ラーメンは飲み物か
とんこつ醤油ラーメン。バリカタ。セアブラスクナメ。ネギマシマシ。プラス、半チャーハン。
今の会社に入社当時からずっと食べている近くのラーメン屋定番メニュー。気づけば、入社してから二年目が終わる。
「わるい啓介。紅ショウガ取ってくれ」
「ういっす」
先輩の小山さんがぶっとい指を駆使し、紅ショウガをトングでつまむ。
小山さんがトングを使っていると、ただでさえ小さなトングが、赤ちゃんの小指くらいに見えた。
仕事終わり。午後九時。終電までまだまだ時間はあるけれど、飲みにいくって気分でもない。そんな時は、仕事帰りに二人でよくラーメンを食べていた。
夏の匂いが少しだけ空気の中に混じっている季節。
小山さんは、そばにあるティッシュで何度も額を拭いながら、美味そうにラーメンを啜っていく。
「小山さん、ラーメンって食い物ですよ?」
「なに馬鹿なこと言ってんだ」
箸から手を放して、レンゲを掴む小山さん。
大盛りのチャーハンをレンゲに山盛りすくうと、でっかい口に放り込んだ。
顎の動きがわかるくらいはっきりと咀嚼をしてから、また箸を手に持つ。
「ラーメンは飲み物だろうが」
ラーメンもチャーハンも大盛りの小山さん。なのに、いつも食べ終わるタイミングが俺と一緒だ。
「それは、賛同しかねます」
小山さんの半分くらいの量を箸でつまんで、また麺を啜る。
「んで、お前はなんで会社辞めんの」
目の前の飯から視線を外さないで、小山さんはぶっきらぼうに聞いてきた。
別に、怒っているわけではない。小さい山みたいな声で、どしっとした雰囲気。表情もあまり顔に出ないから、少し圧があるように聞こえるだけだ。
「言ってるじゃないですか。実家のネジ工場を継ぐためですよ」
ラーメンがそろそろなくなりかけたころ、俺はチャーハンに取り掛かる。こうすることで、バリカタと柔らかめを同時に味わうことができるのだ。
「実家は弟が継ぐって言ってたじゃねえか」
「いやまあ、そうなんですけどね」
小山さんが、また額を拭く。麺をひと啜り飲んだあと、分厚いチャーシューに取り掛かった。
ここのチャーシューは特に良い。よく煮込まれており、脂が溶けるから柔らかいのではなく、きちんと肉がほぐれて柔らかい。
煮込むときに余計な脂身をそぎ落としているからか、分厚く切られていてもさっぱりペロっと食べられる。
先輩のグラスに水を注ぐと、せんぱいは小さく「すまん」と答えた。
「まだ二年くらいの付き合いだけどよ。お前とは飯やらなんやらしょっちゅう行ってるんだからわかる。俺にぐらい、正直に話してくれよ」
レンゲに手をかけた先輩が、またチャーハンを口に山盛り放り込んだ。
「この写真、どうですか」
俺は、携帯に入っている一枚の写真を見せた。絵の具をぶちまけたような青い空に、薄い雲が手を繋いで整列している。ある夏空の写真だった。
「綺麗な入道雲だな」
ちらりとこちらを覗き込んで、チャーハンをもう一口。
「小山さんは、入道雲って聞いて、なにを連想します?」
突然の問いかけに対して、特に疑いもなく考え始める小山さん。少し上をみながらも、レンゲからは手を離さない。
「夏とか、青春とかそんな感じだな」
いつもの調子で答えると、また箸に持ち替えてラーメンを啜る。
「そうなんですよ。夏にやってる映画の主人公って、だいたい入道雲眺めてるんですよね」
俺は、ラーメンを啜ってから、もう一度口を開いた。
「で、そういう主人公って、平凡って言いながらどこか特質なんですよ。数学の計算めちゃくちゃ早いとか、小学生の時はちびっこグループのリーダーとか」
「まあ、何か特徴でもないとキャラ立ちしねえからな」
グラスの水を飲み干すと、先輩はふうっと一息ついた。
米粒一つ残らない先輩のチャーハン皿は、脂で光っている。俺は、慌ててチャーハンをかきこんだ。
「おいおい、慌てなくても大丈夫だって。俺の方が食うの速いのはいつものことだろう」
「爪先の形です」
チャーハンを飲み込んだ俺を見て、先輩は意味が分からないという顔をした。
「おっちゃん、替え玉おかわり」
小山さんの注文に、遠くから声が聞こえる。ここのラーメン屋は、夜九時以降は替え玉が無料なのだ。
「俺が特殊なのって、爪先だけなんですよ。小指が妙に短くて、親指から薬指までがほぼ直線で結べる。変な形をしています」
すっかり顔なじみのおっちゃんが、先輩の元へ替え玉を持ってくる。何も言わないでもバリカタの替え玉だろう。
「この四角の爪先で、主人公って言えますかね?」
「まあ、キャラ立ちは難しいわな」
「そうなんですよ。こんな特徴しかない俺でも、残念なことに、俺視点なら主人公張ってるんですよね」
小山さんの胃袋に吸い込まれていく替え玉。スピードが速すぎて、麺自ら小山さんの中へ飛び込んでいくように見えた。
俺は話しながらも、小山さんとできるだけ同じタイミングで食べ終わるように、麺を啜りつづける。俺の麺は、自分から入ってきてはくれない。
「すっごい考えた結果、自分を際立たせる方法って、ひとつしか思いつかなかったんです。俺、馬鹿なんで」
「どうやってするんだ」
「自分の好きなこと、ひたすら極めるんです。そしたら、自然と主人公らしさが出てくるはずです」
「まあ、お前ナルシストだからな。努力して自信がついたら、かっこよくなるかもな」
気が付くと小山さんの器から麺が無くなっていて、スープも飲み干す目前だった。慌てて、俺も残りを片づけにかかる。
「別に、俺はお前の転職を止めるつもりはないよ。お前がちゃんと自分のやりたいことを見つけて、そこを目指すってんなら、何歳から何を始めようが、応援する」
俺は、スープを全部飲み干す。ネギがのどに引っかかって少しむせてしまう。
すかさず小山さんが水を手渡してくれる。会釈をひとつ挟んでから、グラスの水を飲み干した。
「さっきの写真、俺が去年の夏撮ったんですよ」
「そうか。そいつは、すごいな。写真のことはよくわかんねえけど、かっこいいよ」
「写真集とか出したら、買ってくださいね」
「それは、出してから言いやがれ」
にへへっと子供みたいに、小山さんが笑った。俺も、同じように笑った。
小山さんは二人前のラーメン代をテーブルにおいて「ごちそうさま」と奥の店主に告げる。
財布を出そうとすると「餞別だ」と言って断られてしまった。
ラーメン屋の暖簾をくぐる。夏前の風が、少しだけ肌にまとわりつこうとしてくる。
「なんだ。会社辞めても、たまには一緒にラーメン飲みに行こうや」
「小山さん。ラーメンは食い物っす」
いつも通りより、少しだけずれたやり取りをすると、小山さんは小さく笑う。
「違いない」
俺たちは、昨日までと変わらない足取りで、並んで駅を目指して歩いた。
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