03 花に願いを
あたしはアヤメをボロボロの布で包んだ。だってそっちの方が暖かいと思ったから。宝石が温度を感じられるとは思わなかったけど。
「アヤメ……」
そうして、あたしは日課を済ませるために外に出ていった。これが正しいこととは思ってはいないけれど、生きるために必要だからやる。たったそれだけ。
こんな世界に秩序も善もない。あるのは無法だけ。無と言ってしまっている時点で、無いと言っているようなものだけれど。
「アヤメの分も、あたしが生きていかないと。そうしないとアヤメに申し訳ないからね」
法も何もない世界では、人が死ぬのも日常茶飯事みたいなものだ。昔は良かったと街の人は言っているが、昔のことなんて知らないからよくわからない。
それに、今は朝ごはんの方が優先順位が高い。だから盗りに行く。アヤメのことをわりきれたわけではないが、アヤメは宝石になって確かに存在している。だったら何も問題ない。
鼻歌交じりで路地裏を歩き、そのまま表の通りに出る。割れたまま放置された煉瓦。それはいつまでも割れたまま直されることはない。人の死もそれと同じようなことなのだろう。
割れたらそれでおしまい。直ることはない。
「……アヤメ、大丈夫かな」
割れるという言葉によって、宝石になった彼女の姿が頭に浮かぶ。
少しだけ心配はするものの、彼女のことだから問題ないだろうと納得する。普通に動いていた頃はお調子者で有名だったし。
きっと何も起こらない。なにか起こったとしても、アヤメなら大丈夫だって。そうあたしは思っていた。
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「……知ってるかい? 魔眼を生み出すのは人間の感情なんだ」
キリのいいタイミング。僕はそれを見計らってから口を開く。説明しないといけない時が来たから。だから説明する。
「人間の……感情?」
不思議そうな表情を見せる彼女。それもそうか。あんな奇跡が人間の感情を糧にしているなんて、信じろと言われて信じられる話でも無いのだし。
「ああ。それも、人間のマイナスの感情が一番力になる。復讐したい、殺したい、同じ目にあわせたい、恐怖のどん底に落としたい。その他色々、選り取り見取り」
「そんな感情、あたしは持ってない!」
それを聞いた彼女はやはりと言うべきか、かなり狼狽えている。彼女の願いはきっと、アヤメという少女に関すること。きっと優しすぎる願いなのだろう。
「なら、なんでここに来れたんだろうね?」
彼女を助けたいなんていう陳腐な願いなら、ここに届く前に処理されている。もちろんデリートという、夢も希望もない方法で。
「それは……」
「言ってくれないとわからないんだ。だから――――」
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「おばちゃん、いつものお願い」
「あいよ」
投げ渡されたのは、必要最低限の食料。人間が生きていくのにはちょっと少ない食べ物。ただ、それは今日のあたしには当てはまらない。
「ありがと。あと、ちょっとききたいことがあるの」
「なんだい、こんな婆に。金を手に入れる方法なら今はないよ。それとも……恋かい? 恋なのかい?」
「恋じゃないから。そのね、もし……もしもだけど、大切な人が宝石になっちゃったらどうする?」
二人分の食料を持ちながら、あたしはおばちゃんに質問を投げる。答えが帰ってくることを期待して。
「うんうん、大切な人が宝石にねぇ。婆だったら一欠片だけ残して売っ払うかね。そうして日々の糧に変えるのさ。それが必ずしも正しいとは思わないけどなぁ」
「ありがと、おばちゃん。あと、変な話をしてしまってごめんなさい」
「いいのよ。アリスちゃんが元気なら。それと……アヤメちゃんはどこだい?」
おばちゃんの声が遠くに聞こえる。彼女の名前が出た瞬間、あたしは走り出していた。早く朝ごはんを食べてしまわなければ。そしてこれからについて考えなければ。
そんな考えに頭が支配されていた。そんな楽しい未来なんて、どこにもないのに。