10.流浪の旅
「ただいま~!」
読み書きを習いに行っていた息子リネーが帰ってくる。
「遅かったね。おやつあるよ」
ライラが仮の診察室から顔を出してリネーに言うと、リネーから「いらない」という答えが返ってくる。
「帰り道でモミジイチゴ食べてきたからいらないよ」
「また、道草食ってきたのね」
「道草じゃないよ、モミジイチゴだよ」
シルヴィオはその会話を聞きながらクスッと笑わずにはいられなかった。モミジイチゴとは懐かしい、リネーはライラに似たのかなと思った。
「元気なお子さんですね」
患畜の牧羊犬を撫でながら、男性がにこやかに話す。
「はい。妻似の息子です。ノミ除け薬を出しますので、少々お待ちくださいね」
牧場の使いの男性と患畜の牧羊犬にそういうと、薬の準備に取り掛かる。
牧場近くの仮住まいの一室を診察室にして慎ましやかに動物病院を営業している。
仙境のような場所を探すという途方もない目標を掲げて流浪することになったが、初めてみればそう悪くはない生活だ。ライラが国際獣医師免許を持っているおかげで、リネーとライラが食べてゆくには困らない。贅沢はできないけれど、そんな生活にライラもリネーも順応してくれている。
ジャッキーが患畜の牧羊犬と挨拶をしている。
この地域の情報交換をしているようなので、後で教えてもらおうと思いながら、シルヴィオは薬の準備をする。
「遊びに行ってくる。ジャッキー行こ!」
リネーがジャッキーを連れて家を飛び出していく。その背中に向かってライラが声をかける。
「暗くなる前に帰っておいでよ」
数年ごとに移住する。歳を取るのが遅いシルヴィオとライラが周囲の人々から怪しまれないためにはそうするしかない。いつだったかオズボーン院長が言ってた。仙境とはどこにもない場所だと。そしてあの祠でも先祖の竜たちは仙境を探したけれど見つからなかったようなことを聞いた。
ライラは壁に貼ってある世界地図を見た。
仙境なんてこの世界にはもうないのかもしれない。こうして流浪の旅をしてでもわたしたちは生きて命を繋いでいく。わたしはひとりじゃない。シルヴィオがそばにいてくれて、リネーもいてくれる。欲を言えばリネーに弟か妹ができたらいいかな。
「さて、牧場をまわって、羊たちの健康診断をさせてもらいに行こうか」
診察室に『往診中』という札をかけ、ライラとシルヴィオは顔見知りの牧場に向かった。
住めば都だが、ここにもあと何年いられるかな。
リネーが成長して本人がどう生きたいかはまだわからないけど、それも数年後かな。
流浪の旅もそう辛くはないと思う。
わたしはひとりじゃない。シルヴィオがそばにいてくれるから。
数年後──リンショウ王国の首都シウホにいるハインツのもとに、一通の手紙が届く。
親愛なるハインツへ
色々便宜を図ってくれてありがとう。おかげで自由でいられる。
僕とライラは、仙境に匹敵する場所を探すよ。離れていても君との友情は変わらないと信じてる。
僕たちは会おうと思えばいつでも会える。
さよならとは書かない。じゃ、また──。
シルヴィオ
宰相となったハインツは、目を細めて微笑んだ。これでよかったんだと思う。水晶竜はこの国の守護竜であっても、繋がれた精霊獣ではない。
ハインツは執務室の窓から大空を見上げた。
【終わり】