05.大蛇の民
ライラとシルヴィオが記した手紙は海をわたり、数ヶ月後にはオズボーン院長の元に届いた。オズボーン院長は診察の合間を縫って、その手紙に目を通す。
手紙には、近況報告とハインツへの伝言依頼が記されていた。
「やっと近況報告してきたか、げんきんな奴らめ。──子供が生まれた? 見せにくる気ないのかあいつらは」
軽く手紙に合いの手を入れつつ読み進めていたオズボーン院長だったが、手紙の後半になるにつれて眉間に皺を寄せた。
八岐大蛇のタトゥーをした人間と、この国の宰相と繋がっているかもしれないだと?
院長は赤い髪を束ね直した。
それはないだろ。
何故なら、八岐大蛇は、かつてリンショウ王国に武力併合された民族の象徴だ。未だにリンショウ王国に反感を抱いている者も少なくない。そんな『大蛇の民』が宰相に力を貸すものか。
リンショウ王国第3皇子であるハインツの命を狙ったというのは、単に利害関係が一致したからか?
オズボーン院長は、宰相のしかめつらしい神経質そうな顔を思い出す。
シルヴィオの訃報を信じている皇帝は、すっかり老けこんでしまった。皇太子に譲位する言葉をいつ口にしてもおかしくない。
だが現皇太子は齢6歳。実質的に宰相が実権を握ることになる。
「……」
オズボーン院長は、難しい表情のまま、手紙を封筒の中に入れた。
一方、王宮では皇帝が宰相を気遣うように説得していた。
「義父上の病が心配です。離宮に移りご静養されてはいかがですか」
「陛下、私めが何か失策でも?」
「そうではありません。ただ侍医によると、ストレスで心臓の状態が良くないとか」
「痛みはございません。それに私めが隠居したら、皇太子はどうなります?」
「宰相は他の誰かでも良いではないですか。しかし正妃の父であり皇太子の爺は、他の誰かというわけにはいきません」
「お気遣い恐縮でございますが、陛下、私めは大丈夫でございます」
皇帝は一呼吸置いておもむろに宰相に向き直った。
「倒れてからでは遅いのですよ。もし有事が起これば義父上には多大なストレスがかかります」
「──陛下……少々お時間をください」
宰相が下がってから、皇帝アラン・レーンは一つため息をついた。
苦手な義父ではあるが、その健康を気遣う気持ちは嘘ではない。侍医はもし大きな発作を起こせば命に関わると言っていた。
ハインツは宰相になることに消極的だ。本人も宰相は「ガラじゃない」と言っていたが有事の際、頼りになるのはハインツだ。軍を取りまとめることができると、皇帝は第3皇子の器をかっていた。
そこへ先触れの女官が現れ、皇帝に申し上げる。
「陛下、オズボーン医師がお見えですが」
「ん? 呼んではいないぞ」
「どうしても、ご報告したいことがあると申しております」
「? わかった。通してくれ」
「はい」
赤い髪を束ね、無精髭はそのままの見慣れた姿の腐れ縁獣医師が謁見室に入ってきた。
「久しいな、オズボーン」
オズボーン獣医師は、水晶竜の飛翔訓練以来だ。あの日がだいぶ昔のような気がするが実際は2年前後ほどしか経っていない。
「単刀直入に申しあげる。陛下は大蛇の民をお忘れではないですね?」
皇帝は背もたれから身体を起こした。忘れもしない。皇帝になりたての頃、西北地方の併合というよりは武力でこの国に従わせた民だ。
「第3皇子からお聞きかもしれませんが、こちらもある筋からもたらされた情報をご報告します。数ヶ月前に第3皇子ハインツ様を襲撃した者の手の甲に、八岐大蛇のタトゥーがあったそうです」
「何!? では大蛇の民の仕業だというのか?」
「待ち伏せをしてハインツ様を襲撃したかと思われます」
「だが、ハインツはその頃、ヘイジュ王国の外れに居たと聞いている。ハインツの行き先をなぜ先回りして待ち伏せられたのだ?」
「さぁ、そこまでは存じませんが。斥候を放っていたのでは?」
皇帝は考え込んだ。彼らから恨みを買っているのは自分だが、大蛇の民にとっては、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い思考なのだろう。ハインツは自分の息子のひとりだ。
武力征服から30年前後、まだ火は燻っているということか。我が国からの独立を目指そうということなのか。
リンショウ王国はいくつかの国が併合されて今の大国になっている。大蛇の民の独立国家を許しては、国内の他の民も黙ってはいまい。そうなれば、この国はなくなってしまう。それは避けたい事態だ。北西地方に監視の目を向けよう。少数民族だが極力民を刺激しないようにしないと──。
「貴重な情報を感謝する、オズボーン」
どっと疲れたように皇帝は背もたれに寄りかかった。
王宮を辞して動物病院に戻ったオズボーン院長は、入院中の動物を見回りしてから帰宅した。
八岐大蛇は実在しない動物のはずだ。だが大蛇の民は今も信仰の対象としていると聞く。生贄こそ捧げてはいないだろうが、彼らは畏れ、神として崇めている。
オズボーン院長は、喉に魚の小骨が引っかかったような思いで、その夜を過ごした。




