14.困惑と不安
往診に応じた老齢の医者が、ライラを診察して静かに言った。
「切迫流産ですな」
「え……切迫?」
「流産──! 私、妊娠してたの?」
ライラが呟く。老齢の医師は続けた。
「お腹の赤ちゃんはなんとか頑張っています。お母さん、あなたは安静にしていてください」
そして医師はシルヴィオに向き直るとこう言った。
「赤ちゃんのお父さんですか?」
「──はい」
「奥様にはとにかく負担をかけないようにサポートしてください。夜の営みもだめですよ?」
「わかりました」
「お母さん、出血がなくなったらですが、近場の外出なら大丈夫でしょう」
「はい!」
医師が帰ったあと、ライラは思案していた。
月のものがないから、自分はシルヴィオの子供を産めないと諦めてたけど、どういうわけか妊娠できていた。月のものがあるのは人間と一部の類人猿だけ。シルヴィオの子となると従来のカテゴリーに当てはまらないので、イレギュラーだ。
胎盤を排出して出血する人間と一部の類人猿と違って、他の哺乳類のように胎盤を排出しないで母体が吸収する仕組みなのかもしれない。
問題なのは、子供はいらないと言っていたシルヴィオだ。協力をしてくれるだろうかと、まだ呆然としている彼を見やった。
やっぱり私の妊娠を喜んでくれないのかな。でも絶対に産みたい。
ライラは一瞬不安になったが、産むという意志は固まった。
「シルヴィオ、協力してくれるよね」
「え? あぁ……うん」
なんとも歯切れの悪い返事だ。ライラの不安が膨らむ。これは説得するしかない。
「私が、寿命がきて死んでも、この子が君を一人にしない。だから私、産みたいの」
「死んでもって、そういうこと言わないでよ」
「私はシルヴィオを独占したい。だから、この子を見る度に私を思い出して欲しいんだ」
シルヴィオはライラをまっすぐと見つめた。
「ライラは死なせない。僕が生きている限り」
「? 守ってくれるってこと? ありがと」
ライラはシルヴィオの言葉の真意まで気づかなかったが、それでも子供を守ると言って欲しくて言葉を重ねた。
「この子も一緒に守ろ?」
シルヴィオは、渋々と了承した。ライラはこれは先が思いやられるかなと思った。
シルヴィオってば、多分子育てに消極的だわ。困ったな、どうすればいいんだろう。
ライラの困惑をよそに、シルヴィオは立ち上がって言った。
「何か、軽く食べられるものを持ってくるよ」
「食欲、ないんだけど……」
「今日、ろくに食べてないでしょ?」
「う、うん」
シルヴィオは、宿を出て行ってしまった。
ライラはますます困惑した。
いつだったか、シルヴィオは子供はいらない的なことを言ってたのは、彼がまだ若いのと、現実に起こってないことだから想像もつかなかったんだと思う。
でも今は、私のお腹の中に新しい命が宿っているのに……。シルヴィオは子供が嫌いなのかしら?
しばらくすると、シルヴィオがカゴにパンと果実ジャム、サラダにハーブティーを持ってきた。
「シルヴィオは、食べないの?」
「僕は、あんまり食べなくても良くなってきた。この辺は森の気があふれてるから不足しない」
森の気……そっか、シルヴィオは精霊獣として成熟してきてるから、それが可能なんだ。食費がかかるのは私だけね。せめてその分は自分でなんとかしないと。
ライラは、お腹の子のためにも栄養を取らなきゃと、頑張って食べた。
ライラはしばらく横になって安静にしているうちに、寝入ってしまった。
翌日の遅めの朝、起き上がると宿にシルヴィオはいなかった。
どこいっちゃったんだろう。まさか蒸発? そんなことないよね。だってもう私を一人にしないって誓ってくれたもの。
もしかして水晶竜って、メスだけが子育てして、オスは子育てに参加しないのかな。
昼になると、シルヴィオがライラの昼食を持って帰ってきた。
「書置きぐらいして欲しかったな」
ライラはちょっと拗ねる。
「……ごめん。ライラの容態が落ち着くまで、僕、仕事決めてきた。さっきまで山菜採りしてた」
「そうなの? それは……お疲れ様」
シルヴィオはベッド脇に座ってライラを見つめた。
「ねぇ、ライラ」
「なあに?」
「子供が生まれても、僕のこと愛してくれる?」
「もちろんよ! どうしてそんなこと聞くの?」
「子供のほうにかかりっきりで、僕のこと放置とかしない?」
「当たり前じゃない!」
「なら、いいや」
シルヴィオが一人納得する。
「何? そんなこと心配してたの? シルヴィオったらお子ちゃまね」
「子供に、ライラを取られるんじゃないかって、不安だっただけ」
「ふふ、そんなことしないわ」
ライラはシルヴィオを安心させるように抱きしめた。
さて、リンショウ王国の首都シウホではシルヴィオの遺体のない葬式がしめやかに行われていた。喪主はアレクサンデル・オズボーンだ。
オズボーン院長は、シルヴィオは生きている方に賭けていた。ライラはまだ戻らない。
ほとんどの参列者は軍関係の人々だった。その中の一人、シルヴィオと親しかったハインツ・イサクションは皇帝の名代として参列していた。
ハインツはシルヴィオの死を受け入れていなかった。喪主であるオズボーン院長にお悔やみではない言葉を投げかける。
「院長さんよ、俺はシルヴィオのやつが死んだなんて信じちゃいない。ところでライラさんはどこに?」
オズボーン院長は、ハインツを警戒する。
「動物病院を辞めた。あとは知らなねぇな」
「随分あんたは冷たいんですね」
ハインツがニヤニヤする。察しのいいこの第三皇子は油断ならない。
「シルヴィオがどっかで生きてて、彼女はアイツに会いにいったんじゃないですか?」
嘘に一パーセントの真実を混ぜてオズボーン院長は話す。
「探しには行っただろうな、あの性格だから。だがそれ以来音信不通だ」
「俺の方は俺の方で、捜しますよ」
「死んだ者を捜す? 妙なことをおっしゃる皇子だ」
「死んでない! 俺はそう信じてる」
強い視線を院長に投げかけ、ハインツは踵をかえした。
もういいだろう、シルヴィオを自由にしてやってくれ。
オズボーン院長は心の中で呟いた。




