12.ためらいと決断
船旅は初めてではない。しかし今回は船酔いだろうかとライラは思った。何度か吐き気を感じたからだ。
月のものはかれこれ一年以上ない。オズボーン院長は妊娠できるかどうかはわからんと言っていたが、ライラは月のものがないということは、赤ちゃんを産める状態ではないと判断していた。だからつわりではないと思った。
そんな私がシルヴィオのそばにいたいと思うのは、図々しいだろうか。シルヴィオは生粋の水晶竜の最後の個体。種の存続を考えるのなら、正常に彼の赤ちゃんを産める女性がそばにいるべきだろう。でも──とライラは思う。
これは私のわがままであり、エゴだけれど、シルヴィオが他の誰かを選ぶことは考えたくない。
私は……シルヴィオを愛してる。今わかった。最初から惹かれてしまっていたんだ。歳の差とか関係なく。
シルヴィオが私を置いて死んだりなんかしない。
船はもうすぐ、ヘイジュ王国の首都ナギリに到着しようとしていた。
一方、リンショウ王国の首都シウホにある王宮では、皇帝が驚愕していた。国境警備隊はシルヴィオの正体を知らない。その知らせは、オズボーン院長からもたらされたものであった。
「我が国の至宝が、そうやすやすと命を落とすものか! 一体何がどうなっている? アレクサンデル・オズボーン、また私に一杯食わせるつもりか!?」
オズボーン院長は渋面で答える。
「今回ばかりは、正確に申し上げると『生死不明の行方不明』としか」
皇帝は、前回はスカした態度のオズボーンだったが、今回は難しい顔をしているのを見て、嘘はついていないように思えた。
「だが、死体が見つかっていないのならば、噴火災害をなんとか切る抜けたかもしれないではないか」
「保証も確証もありません」
「うむ、諸外国にこの情報は漏れておらんな?」
「おそらく」
守護竜の不在はこの国にとってはピンチではある。
だがオズボーン院長は、祈るような気持ちでいた。シルヴィオにはどこかで生きていてほしい。そして今度こそ自由に生きてほしいと。
ライラは合流できるかわからないが、合流できなければ帰ってくるだろう。ただしシルヴィオと合流できたならば、オズボーン動物病院としては一人のベテラン獣医師を失うことになるが帰ってくることはないだろう。
その覚悟で送り出したのだから。
シルヴィオは自分がどうするべきなのか、ためらっていた。このままリンショウ王国へ帰ってライラの手を取るということは、彼女の未来を摘み取ることになりはしないかと。
ライラにはもっと別の幸せな選択があるのではないかという考えが脳裏をよぎる。
思えば、出会った頃から随分ライラの人生を振り回してしまった感がある。今更だが、もう迷惑はかけられない。彼女は彼女の人生を歩んでほしいと思う。大切な存在だからこそそう思う。
でも、このままライラの手を離さずにリンショウ王国にも戻らずに、二人で世界を放浪するのもありなんじゃないかという真逆の考えも浮かぶ。
無言で悩んでいるシルヴィオを見かねて、ムササビのサミーが言う。
『竜の旦那。大切な人がもし居て、守る自信があるなら連れてきたらいいじゃないですか』
「!」
シルヴィオは、はっとした。それは先ほど自分がサミーに言ったことだった。
守る自信があるなら、ライラを連れてどこか遠くへ──。
サミーはチッチを連れて、迷いの森ではない別の場所を探すと言う。できれば一角獣の影響がない森林帯まで行きたいと注文をつけてくる。
「サミー、僕にも大切な人がいる。連れてくるから待ってて」
『そうこなくちゃ!』
サミーはチッチと一緒に宿屋で待機することにした。
ライラは、ナギリの港の壁に貼ってあるビラに目を止めていた。女王が愛玩動物であるムササビ〈メス〉を探しているという。
そうか、人探しもこうやってビラを配るという手があるわね。あぁでも無理。ビラを刷るのにお金がかかりすぎる。どうすれば……とりあえずこの街の宿屋に聞いて周るしかないわ。銀髪の青年客は泊まりましたかって。
何十件目かの宿で、ヒットした。
「はい、当宿で昨晩お泊まりになりました。ムササビらしき動物を懐に抱いておりまして」
「ムササビ?」
シルヴィオ、まさか、女王様のムササビを連れ出したりとか……してるわけないわね。そんなことしてなんの意味があるんだか。でも、シルヴィオがここに泊まってたっていうんなら、意外と近くにいるかも。
「あたしゃ女王のムササビを探してるのよ、懸賞金付きだからね」
「銀髪の人? なんか懐に動物抱いてたよ。ムササビかも」
本当に女王様のムササビを……いやいや接点がないわ。
「銀髪の青年なら、さっき港に向かって走ってったよ。なんだか急いでるみたいで」
港? リンショウ王国に帰るつもりで? え? 行き違いになっちゃうじゃない!
ライラも港の方面に走り出した。
途中で激しい雨が降り出した。亜熱帯地域独特のスコールだ。街の人びとは軒下などで雨宿りをしているが、ライラは濡れるのも構わず港に向かう。ここで行き違っちゃったら、もう二度と会えないような気がしたのだ。
スコールの影響で荷の上げ下ろしが中断された埠頭で、シルヴィオは感覚を研ぎ澄ました。自分の鱗を婚約指輪にしているライラ。彼女がその指輪を外していなければ、近くにいるはず──。でも詳細な位置までは特定できない。積荷の中にもクオーツは搭載されているようで、水晶の気配が分散される。スコールで動きが止まった中に、一つだけ動いている気配があるのに気付いたシルヴィオが、その気配に向かって走り出した。
「ライラ!」
ライラは陸寄りの埠頭でキョロキョロしていたところで、名前を呼ばれて振り返った。
「シルヴィオ!」
ライラは、シルヴィオの胸に飛び込んだ。