08.迷いの森②
『声』の主は、近くにいない。思念だけをシルヴィオに飛ばして来たのだ。
森の動物たちが、異口同音で騒ぐ。
『一角獣様がお怒りだ』
『お怒りだ。この森の守り主がお怒りだ。闖入者にお怒りだ』
シルヴィオの竜の目は、その声の気配を見定める。だいぶ離れてはいるし遮蔽物も多いが、その思念が発された方向を見定める。その方向を見据えてシルヴィオは穏やかに言う。
「少し話がしたくてね。断りなく来たのは謝るよ」
シルヴィオはあくまで人間に似た肉声だ。一角獣がこちらに注意を向けているのがわかるから、『思念』を飛ばすのではなく肉声でも届くだろうと判断した。
一角獣は、距離を詰めるでもなくシルヴィオを警戒している。
『話──? この国の女王を介さず話とは……』
「なんでそんなに怯えているの?」
『私は防御属性。お前は攻撃属性。お前がその気になればこの森を焼き払うのも容易いことでしょう』
「そんなことしに来たんじゃないよ。女王以外の人間をそこまで嫌うのはどうしてさ」
シルヴィオは、純粋な疑問を投げかけた。
『人間は信用ならない生き物……お前はまだ年若いからそのことを知らない』
しばしの沈黙の後、一角獣の『声』が続けた。
『いや、お前の中の細胞記憶がそれを思い出していない。お前がなぜ最後の竜なのか、理由がまだわからないか?』
人間の支配を嫌い仙境を目指した下りは聞いている。
「……細胞記憶?」
聞き慣れない言葉にシルヴィオは首を傾げた。
『古代から連綿と受け継がれている、遺伝子の記憶のことだ。細胞記憶に刻まれた恐怖のことを』
一角獣が親切にも教えてくれる。森の動物に怖れられているようだけど、本来この一角獣は優しいのではないかという思いをシルヴィオは抱いた。
シルヴィオが初めて恐怖を感じたのは十数年前、森獅子の元から捕獲されリンショウ王国に連れてこられた時だ。輸送中、檻の中の自分をほとんどの人間たちは遠巻きに見ていたが、数人の人間は檻の外から優しく話しかけてくれたような記憶ならある。
オズボーン動物病院で院長とライラが抱きしめてくれて、恐怖は消えた。
「古代は古代、現代は現代でしょ? 現に一角獣はこの国に大事にされてるじゃないか」
『人間は過ちを繰り返す。歴史が繰り返すのと同じように人間は私たちを狩るようになるでしょう』
聞くところによれば、一角獣はその角が重宝され昔は乱獲されたらしいが、今この、出口の塞がれた迷いの森に入ってくる人間はいないだろう。この森をこういう風にしているのも、一角獣が得た力だとすれば、歴史は繰り返されないはずだ。
『私たちは、多数の人間の前には無力すぎるのです』
いやいや、無力じゃないというか、あなたがたは力を持ちすぎているよと、シルヴィオは言いたかった。
『無数の蟻が猛獣を倒すように、人間は増えすぎました。世界のバランスは崩れようとしています。人間を間引きしなければ、私たちは生き残れない──』
「ちょっと待って。間引きって……あなたは何をしようとしているの?」
『本来の世界の姿に戻そうとしているのです。もっとも、滅んだ種は戻せないけれど。人間を減らさなければ』
なんだか世界のバランスとかってスケールが大きくて、シルヴィオには理解不能だった。
元々は一角獣が住処を拡張したせいで、つまりは羊が食いっぱぐれてこっちに入ってきて……って話だったような。
『少し話しすぎました。もうお帰りなさい。お前を敵には回したくない』
問題は解決しないまま、一角獣は黙ってシルヴィオの感知できるエリアを出て行ってしまった。シルヴィオは茫然としたまましばらくの場にとどまった。
次の瞬間何かを感じた。低周波だ。
地響とともに、森の山が鳴動していることに気づく。
『竜の旦那、逃げてください!!』
先程のムササビが飛んできてシルヴィオの腕に着地した。
シルヴィオはムササビに問いかける。
「あの山……死火山だよね。でもこの鳴動って」
『なんかやばい気がします。命の保証してくれるって言いましたよね?」
「うん、でも君なんにも教えてくれなかったじゃない」
『これから話しますんで、とりあえず避難を──』
ムササビがシルヴィオの腕にしがみつく。シルヴィオは一角獣が森の呪縛を解いたのがわかり、風向きを見て山から遠い方の出口へ向かって走り出す。
死火山が噴火するはずがない。でもこの鳴動は──。
シルヴィオとムササビが森から脱出した時には朝日が登っていた。
地震が辺りを襲う。
そしてそのはるか後方で、死火山だったはずの山から噴煙が上がった。
ヘイジュ側に避難したシルヴィオは、避難所の建物の中で、頭の中の整理を試みる。
一角獣は無事だろうか。彼らは、人間の数を減らそうとしている。でもやってることは森に引きこもってるだけ。ただその森を拡張してはいる。じわじわと人間を減らしてバランスを取るつもりだろうか。
この災害は、一角獣の仕業? 違うような気がする。彼らにメリットがない。しかも死火山を活火山に変えるなんて力があるとすれば……不死鳥? だとしてもなんで?
シルヴィオは考えがまとまらない。考えれば考えるほど混乱してくる。
懐から出てきたムササビが、キョロキョロと辺りを見回し安全を確認すると、シルヴィオの思考に入ってくる。
『この間女王様が森にいらしてましたよ』
「? 一角獣に何を伝えに?」
『何を伝えたかは知らないです』
「……それだけ?」
『そうです!』
女王は何を伝えに来たんだろう。迷いの森の拡張の件で? それとも別件? わからない。というか、女王は一角獣の思いを知ってるのだろうか?




