06.領土侵犯者は……
軍用犬の訓練が一通り終了するが、匂いを嗅ぎ分ける試験で失敗する訓練犬がいたり、ハンドラーとの連携がうまくいかない訓練犬がいたりと、まだ実戦投入するには心許ない状態だった。
しかし、動物の気持ちがわかるシルヴィオとジャッキー号は訓練を一通りクリアしていた。
後日シルヴィオとジャッキー号は、教官に執務室へと呼び出された。
「実はうちとヘイジュ王国の国境付近で、ちょっともめている。国境警備軍の話によると、ヘイジュ側に不穏な動きがあって国境を度々侵犯するらしいんだ。小さい集落なんだが──」
シルヴィオは、かつてライラと旅をしたときに最初に宿をとった灰色狼の縄張りだろうかと、想像した。
教官は続けた。
「ヘイジュ王国は多民族国家で、女王も統治に手を焼いているらしい。だが国境線は国際法で定められている。こちらも領土を侵犯されるわけにはいかない。そこでだ、シルヴィオ・アールグレーンとジャッキー号には国境警備軍に加わり哨戒任務についてもらいたい」
「了解しました」
要するに見張り役というわけだ。領土侵犯が何度かあっても武力衝突には発展していない。現地に行ってまずは情報収集が必要だとシルヴィオは感じた。
「えぇ!? 任務でしばらくいなくなっちゃうの?」
ライラは寝耳に水だった。結婚式の段取りや友人たちの招待状などをこれから用意する予定だったが、シルヴィオが任務で留守になるなら仕方ない。全てを延期するしかないようだ。
「ごめん……でもそんなに長期になるわけじゃないと思うんだ」
「そうなの? うん、君は謝らなくていいんだよ」
がっかりだが、シルヴィオは悪くない。軍人なら任地に派遣されることも珍しくないことだが、このタイミングというのがライラは個人的に不満だった。
「詳しくは言えないんだけど、今回はジャッキーと一緒」
「一緒に初任務なのね。危険はないの?」
「現地で情報を仕入れてみないとなんとも……でもすぐ帰ってくるよ」
「そっか、そうだよね。寂しいけど待ってる」
軍の任務のことだから、詳しく話せないのも仕方ない。シルヴィオを信じて待つしかないのだ。彼の仕事を否定したくはない。人として生きている彼自身を否定したくない。
翌日シルヴィオの出立を見送ったライラは、いつも通りオズボーン動物病院に出勤した。ライラは物分かりのいい婚約者を演じようと努めた。大丈夫。彼は大丈夫だと。
峠の宿場町から少し離れたところに国境警備軍の詰所がある。シルヴィオの今回の任地だ。国境警備軍の話だと問題のへイジュ王国の山岳民族は羊を放牧して生計を立てている。土地を返せとデモでも起きているのかと思っていたが、実際はこちらの領土に羊を放牧してくるらしい。
「領土侵犯してくるのが羊じゃ、こっちは犬で追い立てるしかないからな。羊狩りするわけにもいかんでしょ」
「そうですね。羊は山岳民族の人にとっては財産ですしね」
教官がジャッキーを牧羊犬がわりにするために、寄越したのだろうか。シルヴィオにはわからない。
「このへんは、灰色狼たちの縄張りじゃなくなったのですか?」
シルヴィオが兵士の一人に尋ねる。
「遠吠えが聞こえるから、いることはいるな。なんだ、この辺の出身か?」
「いえ──昔そこの宿場町に泊まったことがあっただけです」
「そうか。まぁ羊がいるところには狼いるよな」
「ヘイジュ王国の山岳民族の人とは話せないんですか?」
「言葉が鈍ってて、正直何言ってるかよくわからんのよ」
シルヴィオはジャッキーを見た。山岳民族の牧羊犬とジャッキーが話せないだろうか。もしくは自分たちと牧羊犬が会えれば……。
「羊は毎日来ますか?」
「二~三日おきに領土侵犯しにくるよ。お前さんが出てったら面倒なことになるからダメだぞ」
「わかりました。ジャッキーだけ放します」
犬同士の情報交換がすんなりといけばいいんだけど。
昼ごろ、羊たちが草を喰みにやってきた。羊飼いは年寄りと子供の二人連れ、数匹の牧羊犬を操っている。
「よし、ジャッキー、行けっ」
シルヴィオの号令に、ジャッキーは近くの牧羊犬の一匹に狙いを定めて飛び出していった。
犬同士の挨拶をしている。コンタクトはうまくいったようだ。しばらく追っかけっこをしている。何を話しているかはここまではわからないけれど、しばらくしてジャッキーが帰還する。
シルヴィオはジャッキーに問いかける。するとジャッキーは情報を持ち帰ってきてくれた。
山を越えたヘイジュ側の牧草地とこちらが側の牧草地を羊たちは食事場所としていたが、ヘイジュ側の牧草地の半分が、馬のオーナーに買い取られ羊の放牧ができなくなったらしいことがわかった。それで食べ足りない分をこちら側で補うために、山岳民族の羊たちは領土侵犯をしている。
「それは、仕方ないなぁ……」
シルヴィオは、この情報をどう処理すべきか困惑した。国境警備軍の兵士たちに情報共有すると、みんなも同じように困惑した。
そこへ古参の兵士が来て、なんでそれがわかるのかシルヴィオに尋ねた。
「あの……ちょっとこっそり行って来ました」
犬同士の会話内容から──なんて、シルヴィオには言えない。
「じゃぁ、向こうの馬のオーナーと話をつけるしかないべ」
古参の兵士が言うと、皆同意する。ここのボスはこの古参の兵士かなと、シルヴィオは思った。
「一番階級が上なのは……」
古参の兵士が国境警備軍の兵士たちの階級章を見回し、白羽の矢が立ったのはシルヴィオだった。
「新参の若いの。ちょっと話をつけていってくれや」
「え……大将に同行していただいた方が、心強いんですけど」
シルヴィオは古参の兵士をたてた。ここのボスはあなたでしょうと。
結局、古参の兵士アルヴァーとシルヴィオで、ヘイジュ側の牧草地の半分を買い取ったというオーナーに交渉しにゆくことになった。
話は簡単に済むはずだった。