05.幸せに包まれて
ライラは目を閉じて深呼吸する。
プロポーズの言葉が『はい』だけでも、まぁいっか。だって婚約指輪のことをあの幼かったシルヴィオが考えて言い出してくれたんだし。一緒に住んでるから、このままズルズルと──かなと思ってたけど、結婚指輪の注文も済んでるんだし。
再び左手の薬指にはめた指輪を見て、ライラは冷静になった。この水晶はシルヴィオの一部、私にとってはどんな宝石より大事なものだと改めて思った。
そして仕事に戻った。
一方、こちらは軍の犬舎。ジャッキー号をはじめとする犬たちが朝食を摂っている。餌もハンドラーのメンバーたちが用意したものだ。みんな食欲旺盛で何よりだ。
そして食後の遊びの時間。ハンドラーの中の紅一点、マレーナ・バーリは小柄な体格もあってか大型犬のシェパードに振り回されている。どちらが遊ばれているのかわからないといった感じだ。
ひとしきり遊んだところで教官が犬とハンドラーを整列させて、軍用犬の役割について説明する。
「軍用犬の任務は、主に警備や哨戒、罠の探知、伝令、負傷兵の捜索だが、時には前線に投入されることもあるだろう。野戦では基本的にハンドラーと犬は寝食を共にする大事なパートナーだ。そのことをよく肝に銘じるんだ。犬が怪我した場合の応急処置はナータンから教えてもらえ」
すると、イェオリが挙手して質問をした。
「しばらくは世界は平和じゃないんですか?」
「そうでもない。新興勢力が領土を主張して燻っている」
他のハンドラーたちも騒ついた。
この世界は精霊獣を国獣とする五大国と、いくつもの小国や都市国家が点在する。
以前まだシルヴィオが幼い時に旅した時は、一見どの地域も平和に見えた。でもそれはライラが安全なルートを選んでくれていたからと運が良かったに過ぎない。
大人になってから戦場を経験したシルヴィオは、教官の言葉が嘘ではないことを知っている。
犬は嗅覚が人間の数千倍以上と言われている。できればその能力を安全にかつ最大限に生かす任務に就かせてあげたい。シルヴィオはジャッキー号の毛を撫でた。
昼食時、軍の食堂に行くとハインツに捕まった。
「おぅ、シルヴィオ。プロポーズはしたか?」
「指輪買って渡した」
「で?」
「『で?』って?」
「結婚してくださいとか、言うだろ普通」
「そうなの? 特に言わなかった」
「おま……アホか……一生に一度のプレゼントだろうが。今頃ライラさん怒ってるぞ」
「えぇ!?」
シルヴィオは青くなった。
一緒に住んでるのに改めてそのセリフ言うの照れる。っていうか怒ったライラにどう切り出せばいいんだろう。う~ん、悩む。
帰りに花屋に寄って店員に事情を話しふさわしいと思われる花を選んでもらう。
「やはり赤い薔薇ですね。お家で渡されるのですか? それなら一◯八本がお薦めです。『結婚してください』という意味ですよ」
「じゃ、ください」
一◯八本の薔薇は結構かさばる。これ、外出先で渡したらヒンシュクものだろうな。
などと考えながら、自宅に急ぐ。
階段を上がって奥の部屋。鍵を開ける手が震える。
緊張してきた。
ドアを開けるとリビングにライラの姿が見えた。
怒られる前に言ってしまおう。
シルヴィオは一◯八本の薔薇の花束をライラに押し付け、目を瞑って叫んだ。
「結婚して! ください」
しばらくの沈黙。シルヴィオは恐る恐る目を開けた。
ライラはポカンとしていたが、その後嬉しそうに俯いて言った。
「何よ、今更……もう、シルヴィオのバカ」
「……怒ってた? よね?」
「ううん、怒ってないよ」
「ホント?」
「うん」
「良かった」
シルヴィオはホッとしたように笑って、ライラの頬にキスをした。
ライラはシルヴィオの腕の中でまどろみながら、幸せをかみしめていた。
なんだか不思議。身長も手だって私よりちっちゃかったシルヴィオが、あっという間に育つものね。初めて会った時から十年ちょっとかぁ。私は全然変わってないつもりなのに、シルヴィオは声も低くなって、死線を駆け抜けて……。あ、でも笑った顔は変わらないかな。
私、いつからシルヴィオに惹かれてたんだろう。君はいつから私のことを想ってくれはじめたんだろう。
先程お互いを求めあった。その後の心地よい疲れから、ライラは再び眠りについた。
翌朝、取りあえずまとめて活けておいた薔薇を、ふたりがかりでいくつかに分けて部屋に飾る作業に入る。
「あたっ」
薔薇のとげがライラの指に引っかかる。
「ライラ?」
「大丈夫よ。絆創膏……」
絆創膏が入っている救急箱を探すライラは、シルヴィオに腕を掴まれる。
「?」
「舐めると治るんでしょ?」
シルヴィオはそう言って、ライラの指を口に含む。ライラは昨夜の情事を思い出して耳まで赤くなった。
「ほら、血、止まった」
「ああ、ありがと」
ライラは照れ隠しに話題を振った。
「こ、この薔薇、全部で何本あるの?」
「たぶん一◯八本」
「そんなに?」
「でもそれでライラの機嫌良くなったから、結果オーライ」
シルヴィオが無邪気に笑う。ライラもつられて笑った。
「あ、そういえば……」
ライラは大事なことを忘れそうになっていたのを思い出した。ジュエリー専門店から結婚指輪が仕上がったという報告の封書をシルヴィオにみせる。
「これを渡すときは、なんて言うの?」
「これは結婚式の時に、神父様が質問してくるから『誓います』って言えばいいのよ」
「結婚式って、いつやるの?」
「他人事みたいに言わないの! これからふたりでいろいろ決めましょ」




