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精霊獣を抱く世界で獣医さんをしています  作者: 神守 咲祈
第3章

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12.不確定副作用?

 オズボーン動物病院に久々出勤したライラは、背筋を正した。怪我のため途中でリタイアしたとはいえ、国境なき獣医師団の一員として世界を武者修行し帰還したのだ。脇腹の怪我は傷の跡は残っているものの痛みはもうない。医師からも職場復帰のゴーサインが出て、ライラはここにいる。ドアを開けて室内に入ると、懐かし顔ぶれが迎えてくれる……はずだった。

「ライラ、遅刻よ! ここ手伝って!!」

 獣看護師のひとりが、ライラをガラス張りの診察室の一室に引き込む。動物病院は今日もお忙しで、獣看護師や他の獣医たちにそんな余裕はない。

「あぁ、はい」

 採血のために大型犬を抑え込む。暴れる大型犬を他の獣医師と一緒に抑えた。

「やった、採れた!」

「ライラ、ここお願い」

「わかったわ」

 獣看護師が採血した血液の検査作業に入る。ライラは手を消毒してから、カルテを見てこのワンちゃんの病気の経過を頭に叩き込む。生活習慣病の初期症状が記録されている。

 しっかし、このミミズののたくったような走り書きは院長の字ね。解読する方の身になって欲しい……。

 ライラはついこぼしたくなる。

 飼い主さんとの会話で、このわんちゃんの病気の原因を探ってゆく。そこへ先ほどの血液検査結果が渡された。生活習慣病予備軍だ。

「前回もアドバイスがあったと思うのですが、ご褒美のつもりで人間の食べ物をあげたり……してませんよね?」

「は……はい、多分……」

「多分? ですか?」

「この子、おじいちゃん子なんですけど、時どきチーズを…、ほんのちょっとなんですけど」

「ご褒美にあげちゃってるんですね〜。あ〜〜。人間の食べ物は塩分や脂肪が多いんですよ。人間にとっては小さな1カケラのチーズでも、この子にとっては1ホールであげてるようなものなんです」

「え? そんなに!?」

「はい。カロリーオーバーが良くないのは人間もワンちゃんも同じなんですよ」

「はぁ。わかりました。この子をっていうか、うちのおじいちゃんをよく見張るようにします」

「そうしてください。経過観察のために、また一ヶ月後前後にいらしてくださいね」

「わかりました。先生、ありがとうございます」

 ライラが診察を一件終えてカルテに記入していると、院長が声をかけてきた。

「おぅ、ライラ。怪我の方はもう大丈夫か」

「はい、院長。こうして復帰できてます」

「現地で輸血受けたって聞いたぞ。お前の型は珍しいのに、よく適合するのがいたな」

「シルヴィオの血液が適合したらしくて、血を分けてもらったんです」

「ちょ、待て。シルヴィオの血だと!?」

 院長は赤い髪をかきながらいつになく深刻な表情になって声をひそめた。

「あいつは人間じゃねぇぞ。適合するなんてことがあるのか?」

「実際適合したから、私、助かったんですよ。大きな副作用とかは特に──」

「鱗が生えてきたとか、爪が硬化したとか、そういう……」

「ないですよ〜そんなの。輸血量も早退した量ではなかったと聞いてますし」

「精密検査しとけ」

「何の検査をですか?」

「全部だよ全部」

「はいはい、わかりました」

 院長には言えなかったが、実は女性が二十八日周期である月のものが輸血を受けてから途絶えていた。後で婦人科には行っておこうと、ライラは密かに思った。




 婦人科の医師は首を傾げて言った。

「ライラさんの場合、検査の数値では全く異常は見られないのですが……いつから月のものがきていないのでしたか?」

「半年ちょっとです」

「う〜ん……変ですね。妊娠しているわけでもなく、病気なわけでもない。哺乳類で月のものがあるのは人間と一部の類人猿だけですが、あなたの場合、不要になった胎盤が排出されるのではなく、体内に吸収される他の哺乳類に近いのか……いやでも人間のケースではちょっと」

 婦人科の医師は、今までにない症例に頭を抱え込んだ。

「あの、赤ちゃんは産めないってことでしょうか?」

「……何らかのストレスで止まっている場合もありますのでね、ただ──難しいでしょうということだけは申し上げておきます」

「そう、……ですか。ありがとうございます」

 婦人科の帰り道、小雨が降ってきた。

 きっと遠征のストレスが身体にかかって、一次的に月のものが止まっているだけだよね。そう思うことにしよう。

 ライラは楽天的な方向に考えることにしようとする。

 でも──難しいでしょうってことは、つまり妊娠できないってことだよね。

 シルヴィオの赤ちゃん産めないってこと?

 そんなのやだな。

 知らず知らずのうちに、頬が濡れていた。それが涙なのか雨つぶなのかはわからなかった。

 『産めない』といい言葉だけが、頭の中にズシンと重く響いた。

 自己の感傷に浸っている場合ではない。頭の中で、獣医師としてのライラが感傷に浸る女性としてのライラを抑えて思考を進める。

 シルヴィオは精霊獣水晶竜(クリスタルドラゴン)の最後の個体だという。

 だとすると次世代の繁殖ができなければ、水晶竜(クリスタルドラゴン)は絶滅してしまう。でもどこかにまだ他の個体が生きているかもしれない。シルヴィオのように擬人化して人間の中に紛れていきているかもしれない。

 そこでまた女性としてのライラが、そんな思考を止める。

 シルヴィオの赤ちゃんは私が産みたい!!

 一人で悩んでいても(らち)があかない。

 ライラは深呼吸をついて自分の中の考えを改めた。

 まずはシルヴィオに相談しよう。そして院長にも相談して、それから婦人科の先生に相談して──とりあえずそこまで進めよう。


「ライラ! ずぶ濡れじゃないか!」

 シルヴィオがバスタオルでライラを包み込む。

 帰宅時には、雨にかなり打たれて髪も服もビショビショだった。

「考え事してて……」

 順序立てて、話を切り出そうと思った。

「あのね、シルヴィオ」

「話は後。先にシャワー浴びといでよ。風邪引く」

「うん。フフ。なんかシルヴィオ、お母さんみたい」

「?」

「何でもない。シャワー浴びてくる」

 思った以上に身体が冷えていたようで、シャワーが熱く感じた。



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