04.逃避行の始まり
それから数日後、院長に宛てた皇帝直々の書簡が届けられた。シルヴィオを連れて皇帝の元に出頭せよとの内容だった。院長は皇帝の書簡を見るや否や使者に口頭で伝える。
「まだ、リハビリ中だ。動物に育てられた人間が早々に喋れるわけねぇ! この件は俺に任せてもらっているはずだ。事情を聞いてもまだ少年は答えられん」
その台詞を聞いていたライラはヒヤヒヤした。
実際、シルヴィオは早々に二足歩行をしており、言葉もまだたどたどしかったが意志の疎通は問題なくできるようになってきていた。嘘八百とはこのことだ。それに、シルヴィオは捕獲される前のことは話したがらない。
皇帝側としては、この間マデリーネ陸兵第2師団団長が語った通り、シルヴィオに精霊獣のことを早く聞き出したいのだろう。
使者は何か言いたげだったが、院長の様子に気圧され帰って行った。
次の日も、また次の日も、使者は再三に渡りオズボーン動物病院に現れた。その度に院長が同じ台詞を繰り返して、使者を追い返していた。
その日の昼、遅めの昼食休憩をしていたライラに、院長が頼み事をしてきた。
「ライラ、シルヴィオのことなんだが──あの子を連れてしばらく隠れていてくれないか?」
「は……えぇっ!?」
「あの子はお前に懐いている。お前が適任だ」
「ちょっ、ちょっと待ってください。どういうことですか?」
「どうもこうも、これ以上皇帝の出頭命令を突っぱねらられん。今度は多分、無理やり連れていかれそうでな。連中、何が何でも精霊獣のことを聞き出そうと手段を選ばないかもしれん」
「……手段を選ばないって……」
「ああ、拷問も考えているかもな」
「そんなまさか──」
院長はお金の入った皮袋を差し出してライラに言う。
「当面の路銀だ。旅行だと思ってほとぼりが冷めるまで、郊外の温泉かどこかに身を隠していてほしい」
「でもそれでは、院長の責任問題が問われるのでは?」
「それはいい。少年は野生の動物さながらに逃げたということにしよう。だがシルヴィオを一人で逃がしたところで早々に捕まっちまうだろう。まだリハビリ中であることに変わりはないんだ」
「……わかりました。シルヴィオを匿えばいいんですね」
「そうだ。独り立ちできるようだったら、逃がして構わん。なぁにそんな長期間にはならないだろうさ」
「──はい。ひとつお伺いしてもよいでしょうか」
「ん?」
「院長はどうして精霊獣を研究なさっていたのですか?」
「好きな動物を研究するのに、理由がいるか?」
「ふふ、いらないですね」
ライラは思わず笑った。多分状況は逼迫しているのだろう。
私はこの人のもとで働けることを誇りに思う。
その日のうちに身支度をして、暗くなる前にライラはシルヴィオを連れて郊外に向けて馬車に乗った。
「ライラ、どこ、行くの?」
「いいところ!」
シルヴィオが馬車の座席に座り、足をぶらぶらさせて尋ねたので、ライラは適当と思われる場所を頭の中の地図で巡らせた。
ライラは馭者に大まかな目的地伝えて、馬車を出発させる。この時はほんのしばらくの逃避行だと信じて疑わなかった。
「任せたぞ!」
「はい!」
見送る院長の姿が遠くなってゆく。
石畳から砂利道へ、街から村へと風景が変わってゆく。夕暮れから3~4時間ほど馬車を走らせ、山に差し掛かった時に峠の宿屋をいくつか見つけたライラは、今晩の宿をこの村にしようと決めた。とっぷりと日も暮れている。
出発当初は車窓を興味深げにのぞいていたシルヴィオは、峠の宿屋に着く頃は寝入っていた。
「シルヴィオ、起きて。着いたよ」
ライラは寝ぼけ眼をこする少年を優しく起こして馬車を降りた。
シルヴィオを抱きかかえるようにして近くの宿屋に入る。運良く空室があった。質素だが清潔なベッドに小さなテーブルと2脚の椅子を見て、ライラはホッとした。
料金はそれなりにするが、今までシルヴィオがジャングルの中のどんなところで眠っていたかを想像すると、ここはそれなりに心地いいはずだと思った。少なくとも人間の寝室だ。
シルヴィオをとりあえずベッドに下ろす。
そのまま横になろうとする少年を抱き起こし、軽く頬をペシペシと叩いて起こす。
「ほら、起きて。歯磨き」
「う~ん……」
ライラは持参した歯ブラシをシルヴィオに持たせる。
ほんとはそのまま寝かせてあげたいけど、人間の習慣を身につけさせるのもリハビリの一環よね。
厳しいかな?
でも、なんだか突然『弟』ができた気分。
妹や弟はいないから、面倒をみるコツがいまいちわからない。でもこれから手探りで覚えて行こう!
この宿屋、治安どうなんだろ。
ライラは一瞬心配になった。まだリンショウ王国内の郊外だから、大丈夫なはずだ。問題は国境警備軍だ。
明日早くこの宿屋を引き払って、国外に出よう。
シルヴィオの指名手配書みたいなものがここにくる前に……。