02.国境なき獣医師団
今回の国境なき獣医師団に参加申請を出してから程なくして、派遣本部の審査面接があった。ライラは、犬猫他小動物の専門として採用が決まった。牛や馬や象などの大型動物は専門外ではあったが、経験を積めるいいチャンスでもある。面接ではこう付け加えられた。
「私たちはどんな動物でも診られるようにならなければなりませんが、お互い教え合う事でカバーし合いましょう。準絶滅危惧種や絶滅危惧種を診ることもあります。プレッシャーはあると思いますが、最善を尽くしましょう」
半月後、ライラに採用通知が届き、ヘイジュ王国の首都ナギリで今回のメンバーの顔合わせパーティーが催された。中年から壮年のベテラン獣医師が集まる顔ぶれとなり、獣医師歴10年のライラでも、この獣医師団ではまだまだヒヨっ子同然だった。学ぶ機会の多い旅になりそうだと、ライラは改めて気の引き締まる思いになった。
「全部、事後報告なんだね、ライラは」
「うぅ、ごめん」
半休をとったライラは、リンショウ王国軍本部の近くのカフェまで出向いていた。シルヴィオは不機嫌そのもので頬杖をついてそっぽを向いた。気まずい沈黙がしばらく二人の間にながれた。
ライラは勇気を出してポツリと言った。
「昔、君が毒に倒れた時あったでしょ? ほら、ふたりで旅してた時、ジャクシン王国の森で。あの時、私どんなに焦ったかわかる? 鵞鳥が解毒薬になる植物を持って現れなかったらと思うと、今でも身がすくむの」
「……」
「自分の知識不足と経験不足を補いたいの」
「……治安の悪いところへ行ったりする?」
「それはまだわからないわ。でもレンジャーやガードマンは現地で雇うらしい」
「毒蛇とかに火蟻にかまれたりするかも。熱射病や高山病になったりとか──」
「医師も同行するから大丈夫よきっと」
「任期は?」
「2年よ。待っててくれる?」
「──ダメって言っても行く気なんでしょ。……わかったよ……でも、連絡は密に」
「うん、ありがと」
ライラは満面の笑顔でシルヴィオに抱きついて頬にキスをした。シルヴィオは渋面だったが、ライラの意思は尊重したいと思っていたので、本当に渋々了承したのだった。
シルヴィオに言ったことは嘘じゃないもの。あの時、鵞鳥のおかげで助かったものの、二度目はないと思った方がいいし。現地で調達できる薬効植物を私が知っていれば……。
オズボーン動物病院では分業制になっているから、効率よく患畜を診られるけど、他所ではそうではないかもしれない。薬剤調合もできてきっと一人前の獣医師なのかもしれない。
「シルヴィオこそ、ちゃんと手紙ちょうだいよね」
「任務上できないときがあるの、わかってよ」
「それでも!」
「あ、そうだ。これ。前から渡そうと思ってた」
「?」
シルヴィオが軍服のポケットから出したのは小さな笛のようだった。ライラの掌にすっぽりとおさまる透明な笛には細いチェーンがつけられていて、ちょっとしたアクセサリーのようだった。
「なぁに? このちっちゃい笛、本物なの?」
ライラが試しに吹いてみる。音がしない。しかし、シルヴィオは耳を押さえてうずくまった。
「至近距離で吹かないで……」
「え……これって?」
「人間の耳には聞こえないけど、僕には聞こえるように調整してある。もしかしたら、僕だけじゃなく他の獣にも聞こえるかもしれないけど、本当にヤバい時は吹いて」
「ヤバい時にこれ吹けば君が助けに来てくれるってことね」
「そゆこと。あ──でも障害物があったら僕には聞こえないかも……」
「えぇ!?」
つまりはクジラやイルカ、象などの動物が独自の周波数の『音波』で会話している原理を、シルヴィオが応用したらしい。高い山脈などの障害物があれば音波の性質上、跳ね返って帰ってきてしまうだけで遠くまで届かないが、この笛を吹く位置や角度では遠く離れたシルヴィオまで届くという理論である。
「使わない時がないことを祈るよ」
「……そ、そうね。でも呼んだら、来てよ〜」
「聞こえたらね」
ライラはちいさな笛のペンダントを首にかける。そして大事そうに胸に押し当てた。
いよいよ出立の日が来た。ライラは獣医師の携帯医療器具と最小限の荷物を持って集合地であるリンショウ王国北東の都市へ着いた。続々と獣医師たちが集まってくる。最初は顔と名前が一致しなかったが、それも旅をしていくうちになんとかなるだろうとライラは楽観的に考えた。
ライラを入れて、獣医師は男性が七名女性が二名、人間を診る医師が一名の旅が始まろうとしていた。
二年間シルヴィオに会えないのは寂しいけど、滞在地からできるだけ近況報告の手紙を書こう。シルヴィオの性格上、浮気はしないと信じてる。
ライラは彼からもらった小さな笛を愛おしそうに撫でた。




