13.取引
時遡ること数ヶ月。
南方諸島を見事に奪還し、ホウライ軍を退けたリンショウ軍の士気は最高潮に達していた。
「我らに竜の加護あり!」
勝鬨の声をあげ、リンショウの兵士たちは勝利の美酒に酔う。
陸兵第二師団団長マデリーネ・イェイエルは複雑な気持ちだった。嬉しい事には変わりないが、失われたと思われていた竜を求め、国内だけでなく諸外国にまで捜索の手を広げていたが灯台下暗しとはこのことか。
精霊獣は擬人化できる霊力がある──獣医師であり精霊獣研究の第一人者アレクサンデル・オズボーンの説は正しかった。当の竜が擬人化して我が軍に身を置いているとは気づかなかった。
数年前、ジャクシン王国のジャングルで保護した少年がそうだという。あの子供をオズボーン氏に預けたが、我々は一杯食わされ取り逃がした。痛い失態だった。諸外国に逃げてしまったと気づき捜してまわった。
志願兵だという事だが、諸外国を逃避行していた者が、いつどんな心境の変化があって我が軍ににを置く事になったのだろう。気になるところだ。
絵が描いてある。ここはどこ?
シルヴィオは起き上がる。ベッドに寝かされていたらしい。軍服も今は着ていず、上等な絹の部屋着を着せられている。見覚えのある男が覗き込んでいた。海兵第一師団海兵隊第八部隊隊員ハインツ・イサクションだ。
「ヨゥ。目の前でお前竜化しちゃって、びびったぜ、まじで」
「……」
「ここはシウホだよ。生きて戻ってこれたんだぜ俺たち」
アイボリーを基調とした部屋の天井に絵が書いてあり、調度品なども洒落た作りで見るからに高価な品とわかる。全く記憶にない部屋だ。
「ここ、俺の部屋。っつっても俺はほどんど寄り付かないけどな。親父がどうしてもお前に会いたいとかで。ま、一応、お前を保護したの俺だし」
「? ハインツって、お坊ちゃんだったんだ、へぇ〜」
「『お坊ちゃん』はよせっつーの! 俺、一応第三皇子」
「なんで皇子が戦場にいるんだよ」
「庶子だからね、あんまり大事にされないのよ。でも皇室の人気はとっとけっていう役回りな訳」
その時、ドアをノックされて、シルヴィオとハインツは視線をあげた。
扉の外が騒がしい。
「陛下、お待ちください」
「準備を整えさせますので、どうかお待ちを」
「私は十数年も待った。入るぞハインツ」
開かれたドアから、ハインツと同じ髪色をした覇気のある中年男性が入って来る。傍にいたハインツが砕けた姿勢を正し最敬礼した。
誰?
穏やかさの中に鋭さを秘めたヘーゼルの瞳を、シルヴィオはまっすぐに見つめ返した。
あぁ、そうか。ハインツの親父さん。
「──なるほど。本当に人間のようではないか。いや、これでは人間だ。陸兵第二師団も手を焼くはずだ」
「父上、自分はこの者が目の前で竜と化したのを、確かに見ました」
「うむ。ハインツ、よく連れ帰った。君がシルヴィオか?」
「……はい」
「ご両親は?」
「知りません」
「今、竜化できるか?」
「できません」
「ふむ。自分でコントロールがまだできないというのだな」
「……」
シルヴィオは痛いところを突かれ下唇を噛んだ。
竜化したのは今まで二回。一度目はライラを救うため、二度目は自分を救うために反射的に竜化したに過ぎない。自分の中の竜の力を自由自在に制御することは確かにできない。未熟な自分のことをシルヴィオは腹立たしいと思った。
「取引しようじゃないか」
「!」
「君が竜の力を制御できるように私が訓練してやろう。その代わり、君は私のもとに留まる。どうだ? フェアな取引だと思うが」
「飼い慣らそうというのですか?」
「飼い主は他にいるのだろう? いわば私は『トレーナー』として君を訓練しよう。君は志願した軍人だ。命令すれば逆うことは許されないが、あえて命令はしない。君の自由意志に任せよう」
「……」
シルヴィオは判断を迫られる。信用できるのだろうか、この男は。
戦友であるハインツの父親──。
シルヴィオはハインツを見た。ハインツはこくりと頷く。
悪い取引ではない。
「わかりました」
こうしてシルヴィオは自分の中の力を制御できるようになるため、リンショウ王国皇帝の取引に応じた。
アレクサンデル・オズボーンは皇帝の馬の具合が悪いというので、皇居に呼び出された。しかし案内されたのは厩舎ではなく謁見の間だった。わけがわからない。皇帝はオズボーン院長をなだめるように言う。
「アラン・レーン皇帝陛下の馬の具合を診にきたんですがね」
「それは表向き。実は精霊獣を診て欲しいのだ。そなたのよく見知っている精霊獣だと思ってね。シルヴィオ、これへ」
「シルヴィオだと?」
振り向くとそこに、軍服に身を包んだ銀髪の青年が敬礼をして現れた。
「おま……でかくなったな……。んで? 今は陛下に飼われてるのか?」
「院長、お久しぶりです。ライラには内密に」
「ライラのやつぁ表には出さないが、相当寂しがってると思うぞ」
「まだ、会えません」
シルヴィオは悔しそうな表情をした。オズボーン院長はそれ以上追求するのはやめることにした。
場所を医務室に移して、バイタルチェックや血液検査をする。バイタルは人間に近いが、血液成分はやはり人間のものではない。
「で、どっか痛いのか」
「戦場での切り傷が無数あるくらいで、これといって怪我はないです」
「流暢に喋れるようになったな」
「はい」
「だが、お前は竜として繋がれてしまった」
「力が制御できるようになれば、自由になります」
「皇帝がそれを許すか? せいぜい皇女を娶れと言ってくるかもしれんぞ」
「取引しました。誰がなんと言おうと、僕のつがいはライラですから」
「来院する飼い主たちに言い寄られているから、嫁に行っちまうかもなぁ」
「一人前になったら、奪いに行きます」
シルヴィオの迷いのない目に、オズボーン院長はふっと笑った。
ライラのやつぁ、どんだやつに惚れられちまったな、と──。