13.記憶の欠片
「シルヴィオ、おちょくるのはやめて──」
「嘘じゃない! 行こう、あの島にっ!」
シルヴィオの強い視線にライラは怯んだ。
「わかった。でもその前に風邪治そ? 喉の調子悪いみたいだし」
「急ぐ! 会えなく、なるかも!!」
「わかったから、とりあえずこの島のお医者さんに見てもらお? それから!」
ライラもこれだけは譲れなかった。
風邪は万病の元だ。逃避行中に病気になられちゃ困る。これからサバイバルかもしれないし。アテにしてるんだから。
「風邪かもしれませんが、変声期かもしれませんね。喉の薬出しときますけど」
どっちなんだとライラは内心、医者にツッコミを入れた。
「え──変声期?」
「弟さんは幾つですか?」
「えっと──多分──10歳──前後のはず──だよね?」
シルヴィオはキョトンとしていたが、ライラに問われて促されるままうなずく。
「じゃぁ早い子なら声変わりの時期ですよ、お姉さん。しばらく喉が痛かったり咳が出たりするけど、大人の男性へちゃんと成長し始めたところです」
「はぁ。あの、じゃぁ気をつけることは?」
「無理に発声練習とか歌を歌わせたりしないことです」
歌はもともと、歌わない子だけど──そっか大人の男性に成長し始めてるのかぁ。
ライラには姉が一人いるだけで、兄や弟がいないから男の子の成長過程についてよく知らなかった。
こりゃ無理に喋らせないほうがいいのかな?
隣の椅子に座ったシルヴィオは、喉がイガイガするのか首をさすっている。
「数ヶ月ほど今の状態が続きますが、声が安定するまで気長にみてやってください」
「わかりました。ありがとうございます」
コテージに戻り、シルヴィオと改めて向き合う。
そういえば、今まで他のことに気を取られて気づかなかったけど、この子身長伸びた、よね。
以前はシルヴィオに視線を合わせようとかがんでいたライラだが、今はもうかがむ必要がないのだ。
同じくらい? かな?
ライラは自分の頭のてっぺんに手をおき、その高さを維持したままシルヴィオに伸ばす。
「イテ」
「成長してる……」
ライラの手がシルヴィオの頭につかえた。ほんの僅かだけれど身長越された?
「シルヴィオって、本当は何歳?」
「わからない。それも、あの島、で、『彼ら』に、会えばわかるかも」
「そう、だね」
「ライラ、急ごう、ゴホ」
「うん。あ、飴買って行こうか」
言葉がたどたどしいのは成育環境が原因だと思っていたけど、実は声がうまく出せないからだったりして。
動物にも変声期はある。というか動物の場合はわかりやすくて気にしたことなかった。
『ピヨピヨ』から『コケコケー』っと、『キャンキャン』から『バウワン』て、『ミャウミャウ』から『ニャー』って感じで成長してるんだね。シルヴィオも大人に──。
そろそろ18歳になろうとしているライラは複雑な思いだった。
弟分にドキドキしてる私、ちょっと変態かもしれない。
ともかく森獅子が人間に化けるのかどうか、あの島に行けばわかるのだろう。シルヴィオはつまらない嘘をいう子ではない。多分、シルヴィオの記憶も混乱しているのかもしれないのだ。ジャングルで10年前後も野生動物然たる暮らしをしていたのを、突然捕獲されて人間の世界に連れてこられたのだ。無理もない。
小舟で大きな島へとやってきたライラとシルヴィオは、さっきまで居た小島よりココヤシの木が多いことに気づく。一日で島を一周するのは無理そうだ。そしてこの島はリゾートというよりは、漁業と農業で成り立っているようだった。奥地へ行けば行くほど、深いジャングルが広がっている。
シルヴィオが言うように森獅子が擬人化して人間に紛れてるとしたら、人間と見分けがつかないとしたら……ヒントはココヤシの実を採るために高いココヤシの木に登っている人だ。
「あっち」
シルヴィオが指を差す方向にココヤシ採取中の人々がいた。ライラとシルヴィオは近づいて行く。
すると島人らしい褐色の肌の男性が、叫んだ。
「ココヤシの下にきちゃだめだー。実が頭の上に落ちてきたら死んじまうぞ」
「あ、はい、すみません」
かなり高いところから、ココヤシの実が地面にドカッと落ちてくる。そして木に登っていた人が器用にスルスルと降りてきた。
人間のふりをする森獅子。『──木登り名人』と言うキーワードがヒットした場面に出くわしたのでライラは木に登っていた人に近づいた。
「すごいですね。あんな高いところまで登れるなんて」
「なーに、こちとら、登るのが商売さ。観光に来たのかい?」
「……はぁ、まぁそうです」
ライラは濁した。いきなり目の前の木登り名人に、森獅子ですかとは問えない。なぜなら、人間に扮して人里に降りるくらいなのだから、自分たちが森獅子だということを隠したいのに違いないと思ったからだ。
「そっちの子は、弟かい?」
「はい。ちょっと喉の調子が悪くてあまり喋りませんが」
「潮風が喉に来るんだ。ココナッツジュースでも飲んでいきな」
そう言うとその男性は採れたてのココヤシの実を包む繊維質のものを剥ぎ、大型のナイフでココヤシの実を割った。中から大量の水分が出てきた。ライラとシルヴィオはありがたくご相伴に預かることにした。
水に近い味だが、かすかにココナッツの香りがする。
「喉、少し楽になった?」
「うん、少し」
木登り名人が二人を見ていたが、気に登らなかった人が彼を呼んで、今日の賃金とココヤシの実を2つを渡した。
「エジット、また頼むわー、明日こられるかい?」
「おうよ」
「じゃよろしくな」
エジットと呼ばれた木登り名人は、島の奥地へと姿を消した。
ライラは、木に登らなかった方の人を追いかけて、エジットについて話を聞いた。
「すみません、エジットさんて島の人なんですか?」
「ああ、ガキの頃からの知り合いで、信用できる男だよ。っておいおい登る気か? あの子?」
シルヴィオがココヤシの木の根元からよじ登って行く。ライラは驚いて制止すべく走り寄る。
「こら、危ないことしない! 登れるわけないでしょ!?」
「この木、覚えてる。よく遊んだ」
「……。とりあえず、村の人に話を聞いてみよう?」
「うん」
シルヴィオは何かを思い出すように、ココヤシの木を見上げた。