11.逃避行は海を渡り
リンショウ王国のアラン・レーン皇帝は古文書を眺めつつ額に手を当てて、自国の紋章にもなっている失われた水晶竜に想いを馳せていた。
千年近くの寿命をもつ精霊獣の中でも、水晶竜は攻守バランスの良い兵器であり、人語を解することでこの国の竜騎兵隊として竜騎士たちと大空を分かち合っていた友だった。その関係が失われたのは自分が生まれる数百年前。戦いを好まない個体と使役されることを嫌った個体の大多数が、脱走していなくなってしまった。あれだけの巨体で一体どこに隠れてしまったというのか。当時の捜索隊は隈なく探したのだろうか。
レーン皇帝は美しく強い水晶竜に物心ついた時から憧れていた。20代前半で即位してから十数年、あの手この手で探してきたが見つからないのだ。完全に失われてしまったのだろうか。
その手がかりを知ると思われる少年を陸兵第2師団が捕らえたのだが、しかし現在は行方不明ときた。
アレクサンデル・オズボーンにしてやられた。聞けば、逃げてしまったなどとしれっと答える。否、逃したのではないか?
まぁいい。私の包囲網はそうザルではないと信じたい。調べれば逃げる手引きをしたのもまだ10代の獣医師というではないか。そう遠くへは逃げられまい。
別に捕らえて拷問するわけではない。私の夢を──水晶竜を我が手にしたいと思っているだけだ。これはコレクションとしてではなく、国の威信がかかっている。国獣が不在というのは、色々と不都合があるものなのだ。
一方、ヘイジュコ王国でライラは、アメデオ・パルミエリ院長からお給金をもらってほくほくしていた。しかし同じくお給金をもらったシルヴィオは、浮かない顔をしていた。
「シルヴィオ、今日はご馳走よ〜」
「……尾行、されてる……」
「!?」
逃避行中なのをうっかり忘れていたライラは、ちょっとこの街に長居しすぎたと後悔した。
「二手に別れよう?」
シルヴィオの提案にライラは即否定する。
「だ、だめ、あいつらの目的は君なんだよ、シルヴィオ」
「ライラ、そこのお店入って。僕、マーケットで追っ手を撒く。宿屋で落ち合う」
「ちょ、シルヴィオ」
「行って!」
ライラはシルヴィオに言われた通り、近くの店に入って窓から外を見た。走り去っていくシルヴィオに、大人が一人慌てて追いかけていく。
これじゃ私、守られてばっか。たまには守らせてよ!
たまたま入ったお店がパン屋で、硬い大きなパンを買ったライラは、すぐに店を飛び出してシルヴィオを追いかける男の後を追った。
シルヴィオはマーケットを網の目のように走って追っての男を撒こうとする。小回りのきくシルヴィオに手こずる男はスピードがダウンする。そこへ後ろからライラが男めがけて硬いパン攻撃を食らわした。バランスを崩し倒れる男にライラが叫ぶ。
「痴漢ですー! この人痴漢ですーー!!」
野次馬が集まり出したので、男はたまらずその場を逃げるように去っていった。
「シルヴィオ、大丈夫?」
「パンで殴るなんて、ライラ、無茶する」
「この街にも長居は無用ね」
宿屋に帰った二人は、荷造りをし始めた。そこでライラは口を開いた。
「次、どこ行こうか、思い切って海渡ろっか? 結局一角獣には会えずじまいだったけど」
シルヴィオの育ての親がもし、森獅子だとしたら、海を渡った向こうの国ジャクシン王国に行く必要がある。行ったら必ず会えるわけじゃないけど、シルヴィオは何か思い出すかも知れない。
「もう一度、会えるかな……」
この旅は逃避行の旅だけど、シルヴィオにとっては自分探しの旅でもあるわけで──一角獣の呪縛にかからなかったシルヴィオは、精霊獣と何か繋がりがあるのかも知れなかった。
翌日、二人は出発しがけにお世話になった動物病院の院長とスタッフに挨拶してその足で港に向かった。
大きな帆船が、追い風を受けて海上を進んでゆく。
この船古いけど大丈夫かな、沈没しないよね。
イルカの群れが、船の進行方向と同じ方向へジャンプしながら泳ぐ。シルヴィオが身を乗り出してイルカの群れを目で楽しそうに追う。
ライラとシルヴィオはヘイジュ王国の港から、間の小島経由のジャクシン王国行きの船に乗っていた。初めての海なのはライラも同じだが、広すぎるそして深さをたたえた大海原に対し、好奇心より恐怖心の方がまさっていた。
「シルヴィオ、あんまり身を乗り出すと落ちちゃうよ〜」
「ライラ、は、海、嫌い?」
「っていうか怖いよ〜」
「僕は、あんな風に、泳いでみたい」
そう言ってイルカの群れを指した。
「イルカは特別〜。シルヴィオだってこの中に落ちたら絶対溺れちゃうんだからっ」
「ライラ、怖がり」
「サメなんか出て来たら、食べられちゃうんだからねっ」
「ライラ、意気地無し」
「ほんとなんだから、人間は野生の中では弱い生き物なのよ!」
「はい、はい」
シルヴィオが肩をすくめた。
んもう、いつからこんな生意気になったんだろう。少なくとも、一緒にモミジイチゴ食べた時はまだ可愛かった。
言葉がだいぶ達者になってきたのもある。
「シルヴィオ、もう船室に入ろーよ」
「やだ」
ライラを残して、シルヴィオは船内探検に行ってしまった。
えぇ!? 反抗期かも〜。
シルヴィオはまだ船内探検から帰ってこない。
船の中では運動不足になる。食べて寝るだけでは太るのだ。私の船内探検行ってこようかと思った矢先、夕食が運ばれて来た。
魚のムニエルに、海老のアヒージョ、海藻サラダに塩漬けオリーブにライ麦パンだ。
シルヴィオのやつ、どこまで探検に行ってるんだろう。まさか海に落ちたりとか、迷ったりとかしてない……よね。
探しに行こうかと、あてがわれた船室を出たところで、シルヴィオが帰って来た。
ライラは皮肉めいた敬語で応対した。
「探検は面白うございましたか」
「うん!」
シルヴィオは輝くような笑顔で言った。
こっちの心配も知らないで、も〜〜!
「さようですか。お食事の時間です」
「ライラ、怒ってる? 明日は一緒に、探検」
まぁこういうところが可愛いので許す。
ライラはシルヴィオに背を向けたまま、にやけた。