10.一角獣の予言
それからしばらくシルヴィオは、仕事以外は物憂げに考え事をしている風だったが、みんなが一角獣の話題を話すときは、会話に加わった。すると獣看護師のフィオーレが、シルヴィオの伸びた髪を見てからかう。
「一角獣は女性にしか会わないらしいから、シルヴィオ、女装したら? ちょうど髪の毛も伸びて女の子みたいだし」
「僕は……男の子だよ、ってライラが言ってた。ライラ! 僕の髪切って!」
「いいけど、私、トリミング経験あんまりないんだけど〜」
「僕、ペット、違う」
「ごめんごめん、冗談。うん、いいよ、可愛く切ってあげる」
ライラはシルヴィオを椅子に座らせて、タオルとカットクロスを付けさせ、散髪を始めた。フィオーレがその様子を見ながら感心する。
「へぇ〜ライラってば、上手いもんね。手先器用〜」
「獣医師は手先が器用じゃないとね、手術とかできないもんね」
ライラは褒められて調子に乗り、散髪スピードを上げた。次の瞬間ことは起きた。
ジョキン……。
「あ」
ライラがつぶやいた一言に、敏感に反応したのはシルヴィオ。
「ライラ? 今、『あ』って言った? ジョキンって──」
思わぬ事態に固まっていたライラ。フィオーレが真実を告げた。
「やっちゃったね……」
「え〜〜!?」
「さ、最近はほらこういう不揃いなのが流行なのよ。問題なし問題なし」
「ライラ、自分の失敗を無かったことにするの〜? 悪いお姉ちゃんね〜」
失敗して切りすぎた部分をフォローするように、ライラは素早くカットラインを切り替える。その辺の判断の切り替えは見事だった。
「はい、できました!」
だいぶ短くなった髪を鏡でチェックするシルヴィオに、フィオーレが声をかける。
「あーでもこういう髪型もありね。かっこいいかも」
「ホント? 僕、ちゃんと男の子?」
「もちろんよ」
フィオーレとシルヴィオの会話に、ライラは内心ハラハラしていたが、新しい髪型もまんざらでもなさげなシルヴィオの様子に胸を撫で下ろした。
「ライラは、こういう髪型好き?」
「う、うん」
「ホント?」
「清潔そうでホント好きよ」
「わかった。ありがと」
そんなこんなであっという間に2週間が過ぎ、ヘイジュ王国を治める女王が視察に訪れた。艶やかなの長い黒髪を結い、頭上に独特の冠を戴いた齢30前後と思われる神秘的な女性が馬車から手を振る。
「ようこそ女王様! 女王様!!」
「お花をどうぞ! ようこそ女王様!」
街は熱狂に包まれた。このパレードは街の大通りをすぎて、領主の館へと向かうのだ。沿道には市民たちがひしめき合い、女王様の御姿を一目見ようと身を乗り出している。
警備兵が沿道からはみ出る市民を沿道へと押しやっている姿がそこここで見受けられた。
今日のこの時間は動物病院も開店休業に近い状態だった。
「女王様はしばらく領主の館に滞在されるのですか?」
「厳密には、この街の東側に広がる国定庭園に滞在されるらしいよ」
フィオーレが教えてくれた。
「え? ……庭園に?」
「その庭園ってゆーか森になんだけど一角獣が棲んでるみたい」
「え〜、どんな森なんだろ、行ってみたい」
「迷いの森とも言われてて、一角獣に認められた人間だけが行って帰ってこれるんだって」
「じゃ一角獣に認められてない人間が入ったら?」
「永遠に出てこれない──一角獣の力でそうなってるみたい」
精霊獣は絶滅危惧種で、特に5大国の国獣となるとほとんど伝説レベルになる。
リンショウ王国)の水晶竜、ヘイジュ王国の一角獣、ホウザン王国の不死鳥、ジャクシン王国の森獅子、ホウライ王国の霊亀は、ライラは、イラスト図鑑でしか見たことがない。しかもかなり笑っちゃうくらいあやふやなイラストだった。
でもヘイジュ王国の女王がわざわざここに礼賛されるということは、一角獣に会いに来たということで、実在するということなのだ。
精霊獣を見てみたい。でも出られない森に入っていくわけにはいかない。ライラはそんな命知らずではない。領民たちも迷いの森のことは知っているのと神聖視して畏れているということもあるのか、ズカズカと迷いの森に入っていく者は誰一人いない。
森の入り口で側仕えの女官たちは待機していて、女王だけが徒歩で奥地へ入って行った。
その時ライラは気づいてしまった。意識はあるのに身体が動かなくなっていることに──。領民たちも同じで動けなくなっているのだろうか。唯一動く眼球で当たりを見ると、まるで時間が止まったように誰一人瞬きもしないのだ。
どうなってるの? これも一角獣の力だというの?
その時、ライラの右手に温かいものが触れた。シルヴィオが、ライラの手を握ったのだ。彼は女王と同じくこの呪縛にはかかっていなかった。ライラは目で、この異常事態をシルヴィオに訴えたが、彼はわからないと首を横に振るだけだった。
一方、女王の前に、その一角獣は単独で現れた。彩雲を思わせるサラリとしたたてがみが陽光に反射してこの上なく神々しい。優しげな漆黒の目でこちらの様子を伺うように、女王様一行と距離を保つ。
警戒心が強いようだ。
女王様もその場から動かず一角獣に向かって身を伏せている。
しばらくして、一角獣は女王様のところに鼻先を寄せて、頭の中に直接響くような声で言った。
『お久しゅうございます、アンナ・パオラ・パガニーニ』
「覚えていてくださって光栄です。密猟者たちはこちらでも厳しく取り締まっておりますが……」
『私たちは大丈夫です。密猟者たちは森に食べさせるようにしたので、心配いりません。今回お話したいのは霊亀の気が乱れて居ると言うことです。そう遠くない未来、戦争が起こるでしょう。ホウライ王国にご注意されたし』
「貴重な情報を感謝いたします。この国が戦禍に巻き込まれぬよう、尽力いたします」