01.私は新米獣医さん
精霊獣──かつてこの世界には人語を解し、また自然の中にある『気』を取り込んで生きる不思議な生き物──であふれていた。だが精霊獣の毛皮や牙などの有用性に気づいた人間たちに乱獲され、多くの精霊獣たちは姿を消した。絶滅したとも、どこにあるか人間には知られていない仙境に姿を隠して生きているともされている。
※
そこは様々な動物を診るリンショウ王国で人気の動物病院である。今日も患畜と飼い主たちで待合室は満員だ。
「はい、次はミルヴェーデンさん。『ポン』ちゃん~。診察台へどうぞ」
この動物病院の勤務医であり新米獣医師のライラ・カルムは、飼い主さんに問診をしつつ、鼬のポンちゃんを抱っこする。診察台にいきなり載せないのは、ポンちゃんが小動物ということもあるが、緊張させないためでもある。
「先生! ポンちゃんが昨日から食欲がなくて……」
「そうですか~ん~~……」
ライラはポンちゃんを触診しつつ、ポンちゃんの食欲不振の原因を探る。
「何か、食べ物以外のものを食べちゃったとか、心当たりはありますか?」
「いいえ、何も……ないですわ」
ライラはポンちゃんのお腹あたりを入念にチェックする。お腹に異物が詰まっている感触はない。
「便は出てますか?」
「はい、今朝出ました」
「そうですか、腸閉塞ではないですね~ん~~」
腫瘍や潰瘍も疑いつつ慎重にお腹のいろいろな場所をチェックする。
「胃腸薬で、ちょっと様子を見ましょう」
「わかりました」
ライラはカルテに記入し処方箋を飼い主のミルヴェーデンさんに渡した。
「お大事にしてください。症状が良くならないようであれば、また連れて来てください」
「ありがとうございます、先生」
「はい、次はケルスさん。『ミーミン』ちゃん~。どうぞ」
ガラス張りの手術室ではこの動物病院の院長アレクサンデル・オズボーンが、手術をしている。飼い主が見守る中、テキパキと処置をしている。その手先には迷いはない。リンショウ王国で一番腕が良いと評判の院長は、その治療や処置に透明性を持たせることで、飼い主たちから絶大な信頼を得ている。
ライラは手術の助手を務めることもあるが、院長の処置は縫合に至るまで徹底的かつ完璧なのだ。院内で働く他の勤務獣医師たちは、院長の腕のことを『神の手』と呼んでいる。まさにそう言われるに恥じない腕前なのだ。だから手術室を透明にできるのだ。
私もいつかあんな風になれるだろうか? 目標は高く、だよね。うん。
そしてライラは自分の診察に集中する。
オズボーン動物病院の今日の診療時間がおわり、掃除を終えた後一人また一人と帰宅してゆく。ライラも帰宅すべく白衣を脱いだ。束ねていた栗色の髪を解く。
ロッカーの鏡に映ったライラは少し幼く見えるがそれもそのはずで、今年で17歳になったばかりなのだ。
ライラはリンショウ王国最年少で獣医師の国家資格を取得している。子供の頃から獣医師になると心に決めたあの日から、猛勉強をしてきた。
鏡には強い決意を秘めた水色の瞳の少女が映っている。
ロッカーの扉を静かに閉め、ライラは鞄を持って裏門の扉を開けると、いつも静かな門外が何やら騒がしいことに気づく。馬の嘶きと蹄鉄の音に混じって、人の話す声がするのだ。街灯の明かりが鮮やかな青色の軍服を照らす。
その軍服をまとった一人が、ライラに尋ねる。
「オズボーン院長にお取次を」
「急患ですか?」
「そうだ。表門を開けていただきたい」
「表門を?」
裏門は表門よりは狭いが大型犬くらいなら入れる。急患はそれ以上の大きさなのだろうか、とライラは不振に思った。
「少々お待ちください」
ライラは出て来た裏門から動物病院の中に戻り、見たことと聞いたことを入院病棟にいた院長に報告した。
「満床だぞおい、なんだって軍服の連中が──わかった診るだけ診よう」
院長は赤い頭髪をかきつつぼやきながら1階へと降りてゆく。ライラも後を追った。
「夜分に申し訳ないが、診ていただきたい急患がいる」
鮮やかな青い軍服の中から代表者と思しき、黒髪に赤い瞳が印象的な女性が凛とした声で院長に言う。
「わたしは、リンショウ王国の陸兵第2師団団長マデリーネ・イェイエル。皇帝の名代としてここに来た。獣医師アレクサンデル・オズボーンにこれを診ていただきたい」
マデリーネ団長がそう言うと、荷車の布を取り払わせた。そこには大型の猛獣用の檻があり、中には人間の少年が入っている。オズボーン院長は一瞬あっけに取られた。
「おいおい、病院をまちがえちゃいないかい? ここは動物病院だぞ。人間は──」
「人目をはばかることゆえ、院内にて事情を話す」
この騒ぎはなんだと野次馬たちが群がり始めていた。
檻に入れられた少年は、ぐったりとしている。眠っているようだ。いや、眠らされているといったほうが正しいのかもしれない。