8.襲来②
マインは、背を向けて歩く魔物に懐から取り出した杖を向けた。
「雷ノ槍」
マインが放ったのは雷の魔法だ。一般に雷魔法は攻撃力が高く、突破力がある。
そして、マインは蒼碧の星群の後衛である魔術師だ。優れた魔法を使い、パーティーの火力役となっていた。
退避させた小隊が束で攻撃した威力でもマインの放つ魔術には敵わない。
マインの手から放たれた雷はバチバチと音を立てながら一直線上に魔物へと進む。
やがて雷は魔物へと激しい破裂音とともに着弾した。
――――しかし。
「ッ!!」
(効いてないッ!!)
魔物は何事もなかったかのように立っていた。雷が着弾した背中には傷一つもついていない
マインの魔法が全く通っていない証拠でもあった。
「やっぱり、銀狼と同じ毛なのね。衝撃は巨大鬼の硬い肉で守られたってこと」
銀狼の体表は銀色の毛で覆われている。銀狼の毛は魔力を通さない。正確には、魔力が毛に当たると空気中に分散され威力を弱めることで彼らは攻撃から身を守ることができる。
それに対し巨大鬼は、非常に硬い皮膚で全身を覆われていて、物理攻撃に滅法強い。
銀狼は魔力は通さないが、魔法攻撃に生じた際の衝撃は通じるため討伐は難しくないとされる。
だが、そのセオリーは今この場では通用しない。
目の前の魔物は巨大鬼と銀狼、お互いの弱点を補完し合っているのだ。
単純な発想で混ぜられているように見えるが、それゆえとても厄介だろう。
(魔力耐性も通常の銀狼より格段に強くなってる。おそらくは物理耐性も……)
攻撃を受けた魔物は、帝都へ向かっていた足を止め、思考を巡らすマインに視線を変えた。
魔物はマインを押しつぶそうと、大きな拳を上から振り落とす。
同時に、マインは後ろへ跳び距離をとり大きく避けた。
怪物の拳は何に当たることなく真っ直ぐ地面へと突き刺さり大きなクレーターを作る。
(思った通りこの攻撃速度なら私でも避けられるけど)
報告の通り攻撃は遅く、後衛型のマインでも対応できるレベルだ。だからこそ、一人で迎え撃つという選択をとったが、敵が受けているダメージはゼロに近いだろう。
間髪入れずにマインは火の魔法で魔物を取り囲む。魔物からは高温の炎が燃え上がり辺りは熱気に包まれた。
普通の魔物であれば充分すぎる威力だ―――ただし。
「これも駄目、か」
その魔物は普通ではなかった。魔物は何事もないように動き続けている。攻撃されていることにも気づいていないようにも思えた。
(中途半端な攻撃じゃ無駄に魔力を消費するだけ。魔力を温存しようと思っていたけどそうも言ってられないわね)
このままでは決定打に欠け、ジリ貧になると判断しマインは手法を変えることにした。
マインの杖を持つ左手に魔力が集約されていき、一気に魔力が練り上がる。
そして、肥大化したエネルギーは魔法に変換され――。
「氷ノ獄」
辺りは静寂に包まれ、空気は凍る。魔力を多分に含み天へ伸びた氷柱が魔物を閉じ込めた。ピクリとも動かなくなった魔物を見てマインは術の成功を確信し胸をなでおろす。
(この氷はしばらく溶けない。その間に凍死、あるいは窒息で死んでくれればいいけど)
が、歩こうとしたマリンは膝から地面へと崩れ落ちる。
「魔力切れ、か」
魔力の量は人それぞれ決まっていて好きなだけ魔法を使えるというわけではない。魔力を使い切ってしまうと、全身が脱力ししばらくはマインのように動けなくなる。
強力な魔法にはそれだけ大きな魔力が必要だ。
マインは国の中でも魔力容量はかなりのものだったが、それを使い切るほどの威力でないと止められないと判断し最高峰の魔法を使用した。
「動けなくなるまで魔力を消費するとは誤算だったけど……、これで―――――」
そう言いかけて、マインの後ろでぎりぎりと嫌な音が鳴り始めた。慌ててマインは魔物へと振り返ると、動かないはずの氷柱が大きく震えていた。
ありえないことだった。
マインの体は一気に強張り、冷や汗が頬を伝う。目の前の氷柱から発せられる振動は次第に大きくなっていく。マインは杖を取り出そうとして―――。
――――――瞬間、魔物の咆哮が森へと木霊した。
魔物を覆っていた氷はものの見事に破壊され、轟音とともに大気が大きく震える。
魔物の中心から伝播する衝撃波にマインの体は吹っ飛ばされ、受け身も取れず地面を引き摺られた。
「そんなッ………!!」
魔力はゆっくりと時間をかけ回復されていくがすぐには戻らない。そして、もうマインには魔法が使えるほどの魔力は残っていなかった。
解き放たれた魔物は、マインに向かって一直線上に向かってくる。その目は真っ赤に充血し、血走っていた。攻撃されたことに対する怒りを体現するように、一歩一歩重い音を立て進んでいる。
マインは魔力切れで体を動かすこともできず、迫り来る魔物にどうすることもできない。
魔物の足音とともに、ゆっくりと死が近づいていた。
もはや、絶望するしかない状況だ。
(また、何もできなかった)
死を悟り、マインが一番に頭に浮かんだことは無力感だった。帝都の危機に彼女は何もできず、死ぬ。そして、誰に看取られることなく一人でこの醜悪な化け物に殺される。
その事実を嘆いたところで、何か起こるはずもない。
だからマインは、死の恐怖から逃げるように瞼を閉じた。
――――
―――――――
――――死を待つマインと、魔物だけしかいなかったはずの戦場に、一際大きな声が、轟いた。
「マインッ!!」
聞き覚えのある声にハッとし目を開けたマインの前にいたのは。
「ノルドッ!? どうしてここに!!」
現れたのは黒髪の青年、ノルド・ウェグナーだった。マインの知り合いらしいノルドは、マインをかばうように魔物と相対する。マインは思わぬ人物の出現に、声は荒ぶり死の恐怖や絶望はいつの間にか消え去っていた。
「街を歩いてたらマインが必死の形相で走っていくのが見えて、心配になって追ってきたんだよ!! そしたら森の中で轟音が聞こえて――」
ノルドが言い切る前に、焦燥からマインは言葉を遮った。
「逃げてッ!! あんたにどうにかできることじゃないわッ!!」
「こんな状況のマインを放っておけるわけないだろ!!」
上体を起こしたマインの体は、氷柱が破壊され飛び散ったつららに全身に切り傷を負い血だらけだった。
そのマインの傷を見たノルドが、逃げるという選択は取り得ない。
感情のままに怒鳴り合うが、お互いの主張は通らないだろう。犠牲を出したくないマインと、そんな彼女を放っておけないノルド。
だが、どちらにしろ状況は悪いことだけは確かだった。
「一緒に逃げよう。立てないなら俺が背負うから」
「……無理よ。そんな状態で逃げてもすぐ追いつかれる」
「なら、俺がどうにかする」
ノルドは側に落ちていたマインの杖をとり、ゆっくりと歩く魔物へと向けた。
「両親とマイン達に守られて今の俺があるんだ。今度は俺が――!!」
攻撃の意思表示に見えたのか、魔物は目をギラつかせ逆上したようにノルド達に向かい走り出した。
ノルドはそれを意に介さず、攻撃に集中していく。すると、ノルドの周囲に黒い魔力のエネルギーが現れ、空間が歪んでいった。
その行為に心当たりがあったのかマインは静止を叫ぶ。
「やめてッ!! それは使うなって言ったはずよッ!!」
しかし、ノルドは尋常でない汗をかきながらもやめる様子は見られなかった。
魔物の違和感に気づくまでは。
「……え?」
異変に気づき、ノルドは攻撃しようとしていた手を止める。
――――目の前の魔物が、動いていない。
マインたちへと走ってきていたはずの魔物は、時間が停止したようにピタリと動かなくなったのだ。走って起こった土煙だけが魔物の足元で舞っていた。微動だにしない置物のような魔物に、ノルドとマインは眉を顰める。
この光景は不気味としか言いようがなく、困惑するほかない。
「動かない、のか? 一体、急に何が―――」
次の瞬間、世界が光った。
それと同時に凄まじい速度の白い雷が魔物を包み込む。
太い柱のような雷に叩きつけられた魔物は、自らの焼ける苦しみからか絶叫する。
しかし、魔物の声は頭上から放たれた雷の荒々しい音にかき消され、雷の音とともに消失した。
魔物がいたはずの場所に開けられた大きく深い穴と、マインとノルドだけが残され、二人はただただ目の前の出来事に呆然とすることしかできなかった。