22. 鬼ごっこ
「聞かれてた……って何が?」
ノルドがぼけっとした顔で僕に聞き返してくる。この状況で、この言葉の意味が分からないとは頭がよくないのは本当らしい。
「さっきの僕らの話しかないだろ? それを現場に細工したであろう奴に聞かれてたんだ」
「なっ!」
犯人は現場に帰ってくるとよく小説では言うが……、その可能性は正直考えていなかった。……なんで? 人間ってそういう習性があるの? みんなそうなの?
あれこれ文句を垂れたところで、事態が好転するわけではない。
「早くマインに知らせねえと!!」
そのままどこかへすっ飛んでいきそうだったノルドの肩を掴む。
「ちょっと待った。それより先に僕らの身の安全を優先しよう」
と言うか主に僕の身の安全だ。今の僕は、武器も何も持っていない。この状態で何かに襲われでもしたら……。想像して思わず身震いしてしまう。
「え? でも……」
困惑した様子でノルドは足を止める。
「一方的に僕らのことを知られてる状態なのがまずいんだよ。今僕らは、マインと離れてしまっている。もし、相手が始末してしまおうなんて考えていたらどこかで僕らを殺す機会を窺っていてもおかしくない」
ノルドははっとと息を呑む。どうやら事のまずさを理解したようだ。
もちろん証拠を隠したり、逃走して、終わりという可能性もあるがいかんせん相手のことが分からない。狂人だった場合は、マインと僕らが分断したところを暗殺してしまおうと考えているかもしれない。
「最悪、俺が囮になるから……、その間にライズは逃げてくれ」
声を震わせながら、僕の前に立ってくれている。
(うーん………、進んで囮になってくれるならありがたいけど……)
そもそも囮になるのだろうかという疑問がある。人間相手にこの男はどこまでやれるのか。シルビアによると、ノルドは学園での成績は最下位という話だ。特殊な力があることを考慮しても、戦闘力は期待できそうにはない。
辺りを見回すが、部屋から廊下が一直線に広がっているだけで特に変わった様子はない。確か、この棟はコペルバウスさんだけが使っていると言っていた。安易に誰かに助けは呼べに行けない。ここから離れるにも階段をいくつか降りたり移動しないといけないし、その間罠が張られているかも……。
「助けに来てくれないかな……」
ルカ……、牢屋をぶち破って僕のこと探してくれないだろうか。
僕の弱音を聞いたのかノルドは明るく、励ましてくれている。
「大丈夫だって! マインに教えてもらって俺もちょっと魔法使えるようになったし!! それに、マインが敵を倒してるかもしれねえじゃん?」
「……。そういえば通信魔具もらってたな」
そう言って、通信魔具をポッケから取り出す。そこからは衣ずれの音が微かに聞こえる。どうやらまだどこかを移動中らしい。
「こっちの声も届けばいいのに……。通信魔具とかいう名前のくせに一方向だけとかふざけてるよ」
「…………」
「どしたの?」
「いや、ここを通ったマインが襲われてないってことはやっぱりこの辺に犯人はいねえんじゃねえかなって」
ポジティブすぎるが……一理あるかもしれない。悲観的に考えてしまったが、全て気の所為ってこともある。
「……まあそうだね。うん、考えすぎだったかも」
「おう。あんま良くない方向に考えても仕方ねえよ」
「ドアの一箇所が暖かいだけで考えが飛躍しすぎてた。動物がここに引っ付いてたかもしれない」
「それはねえと思う」
「とりあえず、ここを出ようか。とにかく、マインと合流して__」
その時だった。廊下の奥で風を切る音がしたのは。
廊下は広い為、音がしたところからはまだ距離がある。僕は、何事かと目を凝らす。
「…………あれは」
ゆらゆらと何かが揺れている。おそらく人間なのは間違いないが……明らかに様子がおかしかった。
しかも、こちらに確実に近づいてきている。さらに目を凝らし、相手の姿をようやく視認することができた。
セントリス学院の女子制服を着ており、ピンクの髪を揺らしている。そして、その姿は見覚えのあるものだった。
「シルビア?」
そう声をかけた瞬間、シルビアらしき女から魔力が噴出し辺りに風が激しく吹き荒れた。呆気に取られていると、シュッと風を切る音がした。先ほど、廊下の奥で聞いた音だ。
だが、今度は僕の真ん前から音が聞こえ、視界がブレる。
「え?」
「危ないッ!」
反射神経のよくない僕をノルドがすごい力で引っ張り、そのまま駆け出す。僕たちがいた場所を振り返ると壁に大きな切り傷が刻まれていた。
「なんでシルビアが攻撃してくんだッ!!」
シルビアはゆらゆらと揺れながら、僕達へと顔を向ける。そして、その不安定な体制のまま走り出す。
しかも、今にも転んでしまいそうな走り方なのに、めちゃくちゃ早い。
立ち止まるわけにもいかず、そのまま全力疾走するが……。
(いきなり駆け出したせいで、心臓がバクバクするし息切れもやばいっ!!)
隣で走るノルドは僕より全然平気そうだ。魔術学院に通ってるし、体を鍛えたりもしてるんだろう。……てか、なんで並走してんの? 囮になるんじゃなかったの?
「ノ、ノルドッ…お……はっ………はあ……」
囮になってくれと伝えたいのに息切れで、全く喋れない。というか、余裕もなさすぎる。相変わらず背後からはビュンビュン風を切る音が続いていた。
「ライズ! シルビアは捕まってたんじゃないのか!?」
「ッはあ、……はっ。知るかっ!!」
いや、そんなのどうでもいいから、シルビアをどうにかしてくれ!
風を切る音の感覚が短くなっている。この度に何かを破壊する音が、聞こえてきた。おそらく、僕たちを狙ってるようだが、攻撃自体は無作為に行っているのだろう。
ただの、魔物じゃん……。魔物でももっと賢いぞ。
懸命に逃げる僕だったが、背後から風の刃がすぐ隣の壁に打ち付けられる。
「あっ」
その衝撃に揺られ、僕の体はバランスを崩し転倒してしまう。
(……やばい)
大きな隙を見せてしまう僕に、シルビアは焦点を合わせ大きく腕を振った。もちろん、風の魔法が射出されている。
「ライズッ!!」
ノルドが転んだ僕に気付き、手を伸ばしてくるが間に合わない。シルビアの攻撃の方が早かった。
猛然と迫り来る刃に僕は、回避することもできない。
どうすることもできない状況で、諦めかけていたその時。
────景色が反転し、何かに抱き抱えられていた。
放心していたが、意識を覚醒させるとシルビアとの距離が離れていることに気づく。どうやら、強引に引っ張られて、なんとか攻撃にあたらずにすんだようだ。
顔をあげると、見慣れた僕の部下が凛とした表情で立っていた。
「すみません、ライズさん。遅れました」