はじめまして
やっと主人公登場
彼女は軽く跳ねるように、けれど微かな足音も立てずに長い廊下を進んでいた。長く艶やかな黒髪が、動きに合わせてふわりと靡く。
城の中の使用人やら大臣たちやらは、彼女が嬉しそうに走っていく姿を微笑ましそうに見送っている。
いつものフード付きケープを軽く羽織っただけの姿で、彼女が目指している場所は現在の飼い主の所だ。
つい先程、護衛代わりに飼い主の影に仕込んでおいた使い魔が、飼い主の帰還を教えてくれたからである。今回の外出は長かった。いつもなら魔王領を2日も空けないのだが、今回は1週間も留守にしていたのだ。途中宰相だけは一時帰宅したものの、妻と養女である彼女にお土産を置いてすぐにまた人間領へとトンボ帰りだったのだ。久しぶりに会える、と嬉しそうに彼女は急いでいたのである。
次の角を曲がれば、飼い主……魔王 シュアード・カルナバルの王の間だ。
彼女は更に急いで進もうとして、ピタリと急に足を止めた。ケープの前をしっかり締めて、フードを深く羽織った。足音を更に潜めて、扉の前まで来て、それからゆっくり中を警戒しつつ、扉を少しだけ開き、わずかな隙間から中の様子を確認する。
王の間にいる人数が3人だったからだ。うち1つは覚えのない気配。来客中と判断し、様子を伺うことにしたのだ。
中では3人が眉間に皺を寄せつつ此処のカーブがどうの、模様の数がどうの言っているらしかった。
彼女はそれが恐らく自分が先日意見を求められて改良した魔法陣であると気付いて、同時に悲しく思った。
つまり、あの見知らぬ第三者は、魔法陣をより強くするためにどこかしらから引き抜いて来た優秀な人物ということだろう。彼女はすっかり落ち込んでいた。フードを被っていても分かるくらいには。
魔王たちとしては、改良させた魔方陣を使っても望んだ結果を得られなかったから、もっと良くしてくれだなんて勝手な事を愛する妹(娘)に言えなかっただけなのだが。
「ルゥちゃん、どうしたの?」
「……フィルト」
「セルト達が帰って来てるのに、浮かない顔だね。僕の姪っ子は」
フィルトと呼ばれた男は、宰相であるセルトと良く似ていた。会話から分かるように、宰相の弟で、役職は武官の長たる将軍。なので見た目によらず彼は文官の長たる宰相よりがっしりとした体つきである。
彼女……ルチェは座り込んで元々小さい体を更に小さくして、フィルトから目を逸らした。フィルトは原因は魔王様達かとすぐにわかって、子供を抱き上げるように彼女を片腕で持ち上げると、ノックもなしに王の間に踏み入れた。
「誰だノックもなしに……って、フィルト?と…そこにいるのは……ルゥ〜!」
一番最初に気付いて直ぐに飛んで来たのは宰相である。目に入れても痛くない愛娘がそこに来たからである。いつものように恥ずかしがりながらもおとうさんと言って、広げた腕に飛び込んでくれるかと思っていたのだが、彼女は弟の腕に大人しく収まったまま、フードの奥に隠れた目で静かにこちらを見ている。宰相も魔王も首を傾げた。一体どうしたのだろうと。
「やあお帰り魔王様、宰相様。
そちらは客人かな?それとも新しい技術者なのかな?」
フィルトがわざと技術者というところを強調すれば、理由に勘付いたらしくごめん違うんだよと説明を始めた。
「先ず、コイツは人間領の第二王子……現在は公爵位のリーンフェルト・ロシュバルトだ。5年前俺と1週間殺し合いして相討ちした英雄な」
「サラっと結構な事教えてくれますね、陛下。あの時私が鍛えていた部下達を半殺しにしてくれた輩ですか」
「別にいいじゃないですか、半殺し程度、小一時間もあれば回復しますよ」
「半殺しにするくらいならいっそ真っ二つにしてくれれば、私はあのゴミ達を永遠鍛える羽目にはならなかったでしょう」
そっちかよ、と魔王・宰相は心の中でツッコミを入れた。声に出ていたかもしれない。
「弱いやつら鍛えるのってストレスですよ?
……まあ、それはいいとして。まだご機嫌ナナメかな?」
フィルトが問いかけたのはもちろん、腕の中にいる人物である。彼女はポツリとお礼をつぶやいてからするすると彼から降りた。彼もどう致しまして。と笑う。
今度こそ、とセルトが期待の眼差しを向けるが、お母さま、ご機嫌ナナメ、仲直りするまで宰相さまとは話さない。と愛娘に言われて撃沈した。
「で、将軍の後ろに隠れてお前を警戒しまくってるフードの女の子が俺の妹のルチェな。人間が苦手なんだ」
「例の方ですね。初めまして」
「………………はじめまして」
「ルゥ、こいつは肩書きと能力の割に嫌な奴じゃねえから大丈夫だぞ。……って言っても、安心なんて出来る訳ねえよな。
リーンフェルト、悪いけどルチェの信用は自分で得てくれよ?元々合わせる気もなかったのを、紹介までしたんだ。
……ルゥも、ごめんな?こいつは俺の友人なんだ」
ルチェはこくん…と頷いた。
よし!いいこ!と、魔王がフードの上から彼女の頭を撫でる。大人しく撫でられているものの、フードがずれかけると直しているあたり、リーンフェルトに顔を見せる気が無いのは魔王には分かっていた。それでいいとも思う。それもまた個性であるし、魔族にとって、人間という存在を受け入れる事は絶対などではない。今までの敵対関係の中で、魔族側とて…いや、どちらかと言えば、魔族の方が人間側の勝手な問題ごとに苦しめられた。中には魔獣の群れが森にはいり、その森にいたからという理由だけで殺された魔族だっている。容易に許し合い、助け合う関係…友と呼べる関係など、今の魔族はまだ受け入れるには時間がかかる。人間なんていい奴ばっかじゃねーしな。ティアが嫁にとられて人間領に連れてかれても嫌だし。
……とまあ、魔王様の頭の中はこんな感じであった。
その妹分、シェリティアは別な意味で絶対に顔を晒せないと息巻いていたのだが。