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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アイ色の空

作者: 書三代ガクト

曖昧な想いを空に重ねた百合物語です。

 一章 寒空

 

 

 見上げると寒々とした空があった。柵に背中を預けて、雲一つない青を眺める。頭の上で格子がきしりと鳴り、下の校庭から体育教師の掛け声が聞こえてきた。

 冬の、十二月の青空はどこか白々しい。乾いた青が剥離しているような薄さだ。晴天なくせに温度を含まず、透き通っているくせにどこか浮世離れ。手を伸ばしてこすったらと剥がれて落ちてきそうだ。

 風が前髪を撫でて私は白い息を吐き出した。眼尻にうっすらと涙が浮かぶ。

 教室の時間割を思い出して、校庭にいるのはクラスメートであると思い至る。太陽は私の斜め上にあって、さぼっている影が校庭に落ちていそうだ。誰か気付いても良いものなのに。

 かさついた青空に心が重なって私は静かに笑う。視線を下げて屋上に投げ出した足を眺めた。膝を隠す灰色のスカートに、学校指定の紺ソックス。あまり早く走れなさそうな、白いすねに手を伸ばした。頬を撫でる風に負けないぐらい冷たい。

 ため息をこぼすと、いきなり鉄扉がガンと鳴った。驚いて足から手を離す。勢いよく柵に寄り掛かった。錆の浮いた格子が私を受け止める。

 給水塔が乗っている小屋の扉が鳴る。唯一の出入り口、その向こうで人の気配が大きくなっていた。私はゆっくりと息を吐き出す。

 少しの嬉しさと怒られる恐怖に鼓動が早くなる。耳の奥で脈打つ感覚に目を閉じると、建付けの悪い扉が音を立てた。

 ねちっこい足音が近付いてくる。これはゴムサンダルかなと、強面の教師が頭に浮かんだ。雷のような怒鳴り声に備え、目に力を入れる。顎を引いた。

「何してんの。あんた」

 想像よりも柔らかく、そして高い声に目を開けた。ゴム底の上履きと厚めの白いソックスがあった。

 ゆっくりと顔を上げ、声の主を眺めた。彼女は腰に手を当て、首をかしげている。日光を透かす金髪の向こうで、三白眼が私を見下ろしていた。

 鋭い目つきが恐ろしく顔を伏せた。気付かれないようにそのまま目だけ動かす。 

灰色のボックススカートからは膝が覗いていた。第二ボタンまで開いたブラウスの上にクリーム色のカーディガンを羽織っている。胸元に学校指定のリボンはなく、白い襟が風で揺れた。

彼女の表情が訝し気にゆがんでいるのを見て、また私は視線を下げた。怖そうな人だとため息交じりに、自身の胸元に手を寄せる。一年生であることを示すえんじ色をいじった。

「何って、サボってます」

 どこかに行ってくれることを祈って、当たり前のことを返す。けれど彼女は立ったまま重心をずらすだけだった。

「わざわざ、屋上の鍵を開けて? こんな寒い、すぐ見つかりそうなここで?」

 納得できないと主張するような声。冷たい風が吹きつける。その凄むようながさついた声色に驚き、私は瞬きをしてから、「なんで?」と顔を上げた。

「サボるんだから、それぐらいしないと」

 逆に言えば、一つでもうまくいかなかったら寒空なんて眺めていない。

中休み、職員室に誰かいたら。鍵保管庫が閉じていたら。鍵が転がってなければ。階段で見つかっていたら。扉の音を誰かが聞いていたら。屋上の影にクラスメートが気付いていたら。

面倒なサボりなんてしていない。

気持ちが他人事のように浮かび上がり、ぱらぱらと剥がれ落ちそうになる。虚しさに顔を上げ、白々しい空を眺めた。どこまでも乖離して、気持ち悪い青だ。

私の回答に彼女は顔をゆがめた。イラつくように首を回して、吐き捨てる。

「……サボるってそんなに大層なもんじゃないよ」

 彼女の言葉に想いがはらはらとめくれ上がった。乾いて劣化した感情が粉になって、落ちていく。心に降り積もる。

今朝からどうにも空回っているような居心地の悪さに、言葉が鋭く尖った。

「あなたもそんなに変わらないんじゃない」

 学校指定のものより高いソックスを指差し、冬の風に晒している胸元へと動かす。彼女は私の人差し指を見て、へえと薄く笑った。

「面白いね、あんた」

 八重歯を覗かせて、彼女は左足に重心を乗せた。体を傾けて腰に手を当てる。そして真っすぐ私を見つめてきた。不敵に笑う三白眼に、顎が引けてしまう。けれど私はじっと彼女の視線を受け止めた。

「あんた面白いね、気に入った」

 彼女は繰り返して、近づいてくる。腕をつうっと上げ、人差し指を私に突きつけた。態度からは想像できない、細く白い指。

「じゃあ、改めて。なんでこんなところにいるのさ」

 真っすぐ向いた言葉には快活ささえ含んでいる。目を向けると、彼女は「はは」と声をこぼした。腰に手を当て、さらに一歩距離を詰めてくる。ニィっと笑った。

 あ、可愛いじゃん。

自然と浮かんだ言葉に私の胸がドキリと跳ねた。思わず顔を背ける。それでも距離が縮まった笑顔は頭から消えない。耳が熱くなり、胸に手を当てた。

 ゆっくり二、三度、息を吐き出して、目を開く。横目で彼女を見つめた。警戒するような色が消え、華やかな表情になっている。弧を描いた目がまっすぐ私を見つめていた。また頬が熱を持つ。

「で、なんでこんなところにいるのさ」

 言葉を重ねてくる彼女。大きく息を吐き出して、私は朝のことを口にした。

「父親、お付き合いしている人がいるんだって」

 今朝、母親の仏壇に手を合わせた後、父親に言われた内容を思い出す。思わず用意していた弁当を投げつけ、飛び出すように家を出てしまった。

誰にも話すつもりはなかった。けれど一度言葉にしてしまうと、次から次へと溢れてしまう。

「でもそれ自体は別に仕方のないことだと思うの。一人になって長いし」

ただただそんな大事なことが知らないうちに進んでいるのがすごく嫌だった。毎朝母親の仏壇に挨拶をするのも、父親の弁当を作るのも急に虚しくなったのだ。私がやっていることに意味なんてないような気がした。

そんな気持ちが不愉快で、そんなことないと怒られたかった。授業中、教科書も開かずにいたけれど、誰からも注意されない。何をしていても関係ないと言われているみたいだった。

幼い反抗と無関心が不快感に拍車をかけて、私なんてどこにもいないような気がした。

私はずっと空回っていたのかな。

青になりきれない空が頭上に広がっている。晴天の癖に、どこか白々しく、浮いているような気持ち悪さだ。

私と同じだ。

「そうなんだ、あたしと同じだね」

 私の吐露に寄り添うような言葉。顔を上げる。彼女は空を見上げてあいまいに笑っていた。その不安定な表情に私の胸が痛む。

 彼女は私の横に並んで、腰を下ろした。そのまま柵に寄り掛かる。

「あんまり言いたくないのだけど、次は私の番だねええぇぇぇぇ」

背中を預けていた柵が軋むのと同時に、彼女の言葉尻が制御を失う。一人の時よりも傾いた頭を横に向けた。予想以上に沈んだのか、彼女は柵に背中を乗せ固まっている。

「金属だから簡単に壊れないよ」

「金属でこんなに傾くっておかしくない?」

 こわごわと首を回す彼女の髪に錆が落ちる。頭を外に投げ出すような姿勢になっていた。確かに危ないかも知れない。

 私は手を付いて立ち上がった。ぎっと鳴った柵に彼女は悲鳴を上げる。私は背中を軽く払って手を差し出した。

 彼女を引っ張り上げて、立たせる。たたらを踏んだ彼女が私に崩れてきた。その勢いのまま、二人、地面に倒れる。背中を強く打ち付け、口から息が零れた。

 ゆっくりと目を開けると、彼女が馬乗りになっている。視線が合った。

「さっきはよくもやってくれたね」

 私の頭と地面の間にある手を優しく引いて、彼女は舌なめずりをする。私は真っすぐ見返した。

「手、大丈夫?」

とっさに入れてくれた手で、私は頭を打たずに済んだ。その感謝を込めた呟きに、彼女は小さく舌打ちをする。そして数秒見つめ合い、同時に吹き出した。

彼女は私から降りて、地面に座る。両足の間に腰を下ろして、八重歯を光らせた。

呼吸を整えてから私も体を起こす。お腹を押さえて苦しそうにしている彼女に、ふと同じなんだと思った。

制服を着崩して恐ろしかった彼女も一緒に悲鳴を上げ、一緒に笑ってくれる。そんな小さな同じを見つけて少しだけ嬉しくなる。

そんな彼女も私と同じような悩みを抱えていると言う。

「それでなんの話だったっけ?」

彼女は呼吸を整えて、口を開く。それに私は首を振って応えた。

「同じってことは分かったから」

 小さな同じが重なり、少しだけ気分が上を向く。私の悩みもありふれていて、大層なものじゃない気がしてきた。

 彼女は不思議そうに首を傾げてから「そう」と呟いた。そして空を見上げる。

私も視線を追って、寒空に目を向けた。相変わらず虚しさを孕んだ青が広がっていた。山からの風が頬を撫でる。胸の中もひんやりと冷えた。思わず顔を逸らしたくなる。

隣でひゅうと細い吐息が聞こえた。寒さに震える音に、顎を引き上げた。

空転している日常の中で、一人じゃない。そのことが虚しさを受け入れられそうな気がした。

私たちは二人で寒空を眺めていた。



二章 夕空



雲が先に変わるんだなと、マフラーを引き上げながら空を眺める。青の中で、薄い白がうっすらと色を変えていた。

ホテルの裏にある公園には私以外誰もいない。一人ベンチに腰掛け、空を眺めていた。冷たい風が吹き、視線をおろす。体を抱きしめて、ベンチの上で前後に揺れた。

ダッフルコートからワイン色のスカートが伸び、黒いストッキングがつるりと光る。制服で来るべきだったかと考えて、冷たい風に頭を振った。三月になったとはいえ、素足を晒すには寒すぎる。

普段よりも多めに着込んでいるはずなのに、貧乏ゆすりが止まらない。太ももをこすり、つま先を上げて、地面にかかとを打ち付けた。

「あれ、アイカじゃん」

ローファーで土をほじくり返していると、聞きなれた声を掛けられる。どきりと跳ねた胸に顔を上げた。メグミが「やっほー」と手を上げている。見慣れた彼女に手を振り返しながら足で地面を均した。

横目で平らになった地面を確認してから、メグミに視線を戻す。もこっとしたダッフルコートに少しだけ驚いた。

「珍しいね、こんなところで」

 そういえば学校以外で会うのは初めてだと、彼女の私服姿を見る。

 キャメル色のダッフルコートを着込んだメグミは手をポケットに突っ込み、首を回す。最近黒染めした髪を邪魔そうに振って、私をじろりと見た。

「かわいい私服なんだね」

 頬が熱くなった。彼女は何の気なしに、柔らかいことを言う。いつも一人で驚いたり赤くなったりしてしまうのが、どうも損しているみたいで嫌だった。

「そんなこと言ったらメグミだって」

 赤いマフラーを外しながら彼女は隣に座る。コートの前を開いて、裾をひらひらと仰いだ。冷たい風に温かい彼女の香りが広がる。甘いような、こそばゆい空気に耳が熱くなった。

「寒くないの?」

「アイカも赤いじゃん」

 思わずマフラーを引き上げて、ベンチを立った。腕を上げ文句ひとつでも言ってやろうと振り返る。彼女が八重歯を見せて笑っていた。私の中で膨らんだ思いが色を変える。手をだらりと下げた。

 メグミはコートの襟を揺らす。白く縁取りされた、光沢のある黒ワンピースがちらちらと覗いた。

「にしても、アイカはいつも一人なんだな」

「どうせ友達いませんよ」

 私はすねて地面を蹴るふりをした。

 学校の屋上で出会って以来、メグミと一緒にいることが多い。私は授業をサボっていないが、昼休みや放課後、メグミはどこからともなく現れる。教室にいるときはもちろん、食堂や帰宅途中など、人混みの中にいてもなぜか私を見つけてくれた。

 最初は疑問と驚きが先行していたけれど、今は彼女の姿に安心してしまう。その感情をなんと呼べばいいのか、私はまだ分かっていない。

 くすぶる感情を抱えて、私は「あーあ」とベンチに戻る。どかっと彼女の隣に座った。

 空を見上げると、青色はオレンジ色の変わっていた。雲だけが先取りするように紫色に輝いている。

次々変わっていく風景に吐息が零れる。隣の呼吸音が居心地よく、目をゆっくりと閉じた。

「あ、宵の明星」

 彼女が声を上げて空を指差す。「一番星だね」と私が答えると、彼女は得意げに言葉を続けた。

「金星。光る理由は月と同じ」

 語り始めたメグミに顔を向けた。彼女は嬉しそうに顎を上げて、興奮気味に語る。

「水金地火木、金星は地球より太陽側にあるから夜には光らないんだよ。夕方と、明け方だけ。面白いよね」

「詳しいね」

 私の言葉にメグミは顔を下げ、恥ずかしそうにはにかむ。珍しく頬を赤くして、視線を逸らした。

「星好きなんだ」

 言葉少なに理由を教えてくれる。普段見ない表情に私はふうんと頷いた。

「いいと思うよ」

 趣味に良いも悪いもないけれど、後ろめたそうな彼女にそう答える。彼女は三白眼をきらりと光らせて、笑顔を取り戻した。安心したのか、顔を空に向け星の魅力を語り出す。星の美しさやそれに心奪われた人々の話、神話を見出した星座の話。

 次々にあふれてくる言葉に私は驚きながらも、メグミをちらりと見る。知らない彼女がそこにいた。

 そもそもと、少しだけ沈んだ心に苦く笑う。視線をおろして自身の太ももを眺めた。

 最近、一緒にいるとはいえ、彼女の学年も苗字も、何も知らない。そんななのに趣味を知り、落ち込むのもおかしな話だ。

「アイカはなんでこんなとこいいたのさ」

 そういえばとメグミは思い出したように話題を変えた。彼女の口から白い息が零れて、藍色に変わる空に消えていく。

「そんなこと言ったら、メグミだって」

 ダッフルコートの下はおめかしをしたワンピースだった。校則を無視した普段の格好からは想像できない服装。

彼女はふふんと笑って首を振る。光を吸い取ってしまいそうな、黒染めの髪がぶわりと舞った。金の方が似合っていたと私は思うが、学生としては黒の方がいいのかとも思う。

「今日はなんか大事な話があ……」

彼女の言葉にかぶさるように遠くから私を呼ぶ声が響く。顔を向けると父親が一人の女性を連れてやってきた。

今日は父親の交際相手と初めて会う日だった。この後、隣のホテルでディナーを取る予定。相手を待っているときの沈黙が耐え切れず、私は裏にある公園にいたのだ。

メグミに謝ってベンチを立つ。手を引いている女性に笑いかけてから、二人を待った。

メグミはゆっくりとベンチを立つ。そして私の横に並んで、ぽつりと呟いた。

「お母さん」

 その言葉に驚いて、彼女を見つめる。下唇を噛んだ彼女が何を思っているのか、白い横顔からは読み取れなかった。

 その向こうには暗闇に染まった夜がある。さっきまで追っていた一番星はどこかに消え、黒はどこまでも暗く、重く広がっていた。



三章 星空



「イザナギとイザナミの話は有名だがな」

教壇で教師がもったいぶって言う。くるくるとパーマがかった髪をうざったそうに振って、「お前らの好きそうな話だぞ」と前置きを重ねた。

「この二柱は住処を作った後に国生みをしていくんだ。イザナギの成長しすぎた部分をイザナミの欠けているところにはめることで、島が生まれていくんだ。まあ性交のメタファーだな」

 クラスの男子たちが日本史の教科書を放り出して歓声を上げる。退屈な授業に、船をこいでいたメグミが顔を上げた。目を丸くして左右に首を振る。隣の私と目が合い、小さく笑った。

 騒がしくなった教室に、日本史教師は「こらこら」と手を振って鎮める。

「高二のお前らには早すぎたか。でもこの話はいろんな解釈があるんだぞ」

 身を乗り出す生徒たちを抑えて、教師は静かに語りだす。教科書で口元を隠しながら視線を遠くに投げた。

「儀式的な行いだったり、お互いに欠落を埋めていくという精神的な繋がりだったり。日本の男女観が表れているんだぞ」

「でもそれって時代錯誤では?」

 静かに話を聞いていた委員長が声を上げる。第一ボタンまで閉じた学ランの襟元を正し、丸メガネをクイッと上げる。鼻につく物言いのせいか、話題のせいかほかの男子からヤジが飛んだ。

 まあまあと再度、教師は手を上げる。委員長は耳を赤くしながらも動じずに、教師を見つめていた。

「お前の発言ももっともだ。今は愛なんてものは多種多様の形を持っている。だからこそ難しいんだよな」

 教師は一度言葉を切って、ゆっくりと息を吸う。どこか不真面目で適当な印象を受けるかれだが、いつも大事なことを言うときにはたっぷりと沈黙を取る。教科書には載ってない、日本史教師自身の価値観が表れる時、ぐんと空気を変える。

「人間はそうは変わらない。だからこそ神話や逸話にあるものも現代に通じているんだよ」

 一旦、言葉を切った。委員長の席まで歩き、彼の机に指先を置いた。委員長と教師の視線が交わる。

「それなら迷ったときに参考にすればいいんだと思うんだよ。今回で言えば違いを補っていくのが愛とかな」

 委員長が無言でこくんと頷く。教師は「ようし」と声を上げて、教壇に戻った。「授業に戻るぞー」と黒板に向く。抗議の声が上がったが、教師がチョークを走らせると、またまどろむような弛緩した空気になっていく。

「なんかやらしーよね、あの二人」

 隣のメグミが頭を下げて小さく話しかけてくる。口に手を添えて、私をちらちらと見た。

 二人の間で交わった視線は確かに官能的だった。メグミはケラケラと八重歯を覗かせている。楽しそうに上がった頬、その白さに私の胸がどきりと弾む。

「BLなのかな」

 メグミのからかう声に跳ねた心が冷えていく。メグミも私の思いに気付いたら同じように笑うだろうか。

 ため息一つこぼして彼女を見つめ直した。その笑顔にまた頬が熱くなる。そしてその分、余計な寒さが心に入り込んできた。



 昼休みになると、メグミが机を寄せてくる。二つくっつけて、弁当を広げた。蓋に手を掛け、正面の彼女はじっと私を見つめる。慌てて、私もお昼を開いた。 

一年生の時と違って、もう自分で弁当を作ってない。何が入っているか分からない楽しみは二人で共有すると決めていた。

肩でタイミングを合わせ、小さい掛け声で同時に蓋を上げた。彩り豊かなおかずが顔を覗かせる。「今日もおいしそう」と箸を取った。

「ねーねーおかず交換しようよ」

「同じ弁当でしょ」

 八重歯を光らせるメグミの提案にドキリとしながらも、ため息で返した。「だってぇ」と唇を尖らせて、ひじきの煮つけを箸でつつく。

「苦手なんだもの」

「知ってる」

 弁当を差し出すと、メグミは口角を上げてひじきのアルミカップを乗せた。そして卵焼きを一つ取っていく。そのまま口に運んだ。

「ちょっと」

 突然の略奪に顔を上げる。メグミは片目だけ閉じて、笑顔を申し訳なさそうに変える。顔の前で手を合わせて「つい」と小さい声を漏らした。

 思わず顔を逸らす。耳が熱くなった。ずるい仕草だと、もう気持ちは許している。

「次は何か言ってよね」

「ありがとう。大好き」

 最近よく言ってくる言葉に今度は頬が熱くなる。持っていた弁当を落としそうになり、慌てて掴みなおした。

「二人仲良しだよね」

「そうそう、不良さんはもうどっかに行っちゃったのかな」

 少し離れたところで弁当を食べるクラスメートがからかってくる。メグミがそっちを向いて、髪をパサリとなびかせた。

「もう黒髪ですから」

 かつて金色だった髪は艶やかな黒に変わっている。黒染めした分も伸びたのか、光沢があるきれいな濡れ羽色だ。

 私は自分の毛先をつまんで、目の前に寄せる。教室の照明を反射する黒。メグミのものと同じような質感。少しだけ気分が上を向いた。ゆっくりと呼吸をして、鼓動を抑える。

「アイカって食べるの遅いよね」

 メグミが二段目のご飯を頬張りなら言う。あなたのせいだよとは返せず、また箸を取った。

 無言でおかずを口に放り込み、ご飯をかき込む。「がっつくねぇ」というメグミの笑い声も無視して、お茶で流し込んだ。

「にしても、二人似てきたね」

 隣のクラスメートがまた声をかけてくる。メグミは顔を向けて明るい声を上げた。

「もう家族ですから」

 さっきの大好きが家族と重なる。詰まりそうになった胸もお茶で無理矢理流し込んだ。



 脱衣所を出て、パジャマで階段を上った。自室に向かいつつ、頭に巻いたバスタオルの端で顔を拭く。廊下を歩いてふと顔を上げた。

 メグミとプレートがかかっている扉をじっと見る。手をゆっくり上げて、ノックした。返事を待たずに部屋に入る。彼女の姿はなく、正面の窓が開いていた。

 からりとベランダに出る。涼しい風が頬を撫でた。横には屋根の上に座るメグミがいた。三脚を器用に立てて、夜空を見上げている。

 声をかけると、彼女はゆっくりと振り向く。目を丸くしてから立ち上がり、手すりを跨いだ。ベランダにすとんと降りて、着ていたパーカーを脱ぐ。さっと私の肩にかけた。

「そんな恰好じゃ、風邪ひいちゃうでしょ」

 近い顔に、頬が熱くなる。

 パーカーの裾をぎゅっと掴んだ。「ちょっと待ってて」と踵を返す。メグミの部屋を出て、階段を下りた。ダイニングでテレビを見ている父親を無視し、キッチンに駆け込んだ。マグカップを二つ用意して、ココアの粉を入れる。お湯を、牛乳を入れ、湯気が立つカップを取った。ダイニングを出て、メグミのところに戻る。彼女は屋根に座って、星空に顔を向けていた。

 私は声をかけマグカップを手渡す。そのまま手すりに足をかけた。メグミが「危ないよ」と声を上げる。ゆっくり屋根に降りて私は彼女の横に腰かけた。

「何見てたの」

 マグカップを一つ受け取りながら私は聞く。メグミはココアをすすった。

「ふたご座流星群。もうちょいで始まるからこれで適当に見てた」

 彼女は傍らにあった望遠鏡を軽くたたく。ぎいと滑った三脚を慌てて押さえた。

 ふうんと私は夜空を見上げる。以前、メグミが言っていた星の魅力を思い出した。届きそうで届かない星自体も、いろいろな意味や物語を見出した歴史も、すべてが好きなのだと。

 夜空を見上げていると、メグミが腕を伸ばした。私の視線に合わせて指を出す。星の名前を挙げて、隣の光と指先で繋いだ。

 彼女の声を聴きながら、メグミとの空を思い出す。屋上で見上げた青空に、公園で並んだ夕空。何も知らなかったメグミとの共通点が嬉しかった十二月に、彼女の趣味を聞いた三月。

 そして今は同じ苗字になっている。両親の再婚によって、同じ家に住み、同じ弁当を持つようになった。進級と同時に同じクラスになった私たちはいつも一緒に食べている。

 ちらりと彼女の横顔を見る。白い頬を上げ、星に目を奪われている。かつての金髪は私と同じような質感の色だ。

 屋上で出会った時、見つけて喜んだ”同じ”はあの頃よりはるかに多くなっている。

「いやー、ごめんね。熱くなっちゃって」

 メグミが服の胸元を掴んでパタパタと風を送る。まさか聞いていなかったとは言えずに、「面白かったよ」と返した。彼女の表情が明るく輝く。

「ありがとう。大好き」

 昼間の大好きと重なり、目元がジワリと湿る。恋愛感情ではなく、家族愛の言葉が胸にまた刺さった。ぐじぐじと膿んでいる。

 どうして私の中にある好きとこんなにも違うんだろう。

 顔を覆いたくなる衝動をグッと押さえて、顎を上げた。こんな感情を抱えていることがばれたら今の関係さえ壊れてしまいそうだ。このままいればもう少し私のことを見てくれるかもしれない。

 ちらりとメグミを見る。彼女はそわそわと肩を揺らしながら星を待っていた。ココアをずずっと啜り、横目で私を見た。

「にしても、今日の先生と委員長。なんか変だったよね」

 退屈していると思ったのかもしれない。彼女は空に顔を向けながらにししと笑う。

 その言葉に私は目を見開いた。二人のやり取りが頭に浮かんでくる。

 違いを補っていくのが愛。

 性別、苗字、髪質。こんなにも同じになってしまった私たちに恋愛感情が生まれるのだろうか。

 同じ、違いが頭の中でぐるぐると回り始める。吐き気にも似た気分の悪さが胸に込み上げ、鼻の奥が痛み出した。

「あ、来た」

 メグミが小さく声を上げる。目元を袖で拭いて、夜空を見た。ぽつりぽつりと光の線が現れる。いくつかの予兆の後、一瞬星空が静かになる。そしてあふれるように、夜が明るくなる。

メグミが歓声を上げる。まるで泣き出すかのような光の筋が夜を覆っていた。次から次へと流れていく。

ちらりとメグミを横目に見た。彼女は大きく目を開いて動かない。夜の泣き顔に夢中のようだ。

私は大きく息を吐き出して、顔を下げる。メグミは隣の泣き顔には一切気付かない。

歓声を上げる彼女の横で、私は嗚咽が漏れないよう膝に頭をうずめた。

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