解決編
8
安達の家のチャイムが、ひび割れた音で来客を知らせる。
「はい…」
気だるさを纏いながらドアを開けた安達の目に映ったのは、またしてもあの刑事たちだった。
「どうかなさったんですか」
「ええ。安達さん、中原教授殺害の件で少しお話を伺いたいと思いまして。現場までご同行願えますか」
「え…?中原、教授は、事故なんじゃ…」
「我々もそう思っていました。あれを見るまでは」
「…」
「安達さん、とりあえず、教授の部屋まで行きませんか?」
あのことは悪い夢だったのだ、と思い始めていた安達にとって、それは思わぬ奇禍であった。部屋を出るように促す刑事たちに従い、安達は動揺を隠せぬまま、あの忌まわしき場所へと向かった。
9
「あの…こんなところで何のお話でしょうか。話なら家でもいいじゃないですか」
怯えた様子で部屋をぐるりと見渡すと、それでも安達は精一杯の虚勢を張った。
「あなたにお見せしたいものがありまして。これ、ご存知ですよね」
そう言ってCが指差したのは、教授の机の上にある薬だった。
「それは…」
安達は、言葉に詰まる。見覚えのある、青いカプセル。あれは僕の常備薬、それがなぜここに?
「あなたがなぜこれを置いていったかは分かりません。しかし、教授の周りでは、これを服用しているのはあなただけなんですよ」
「…あ」
思い出した。あのとき、机に薬を置いたあのとき。間違えて僕は教授の頭痛薬を飲んでしまったのだ。同じ形をしたカプセルというだけで、ああ、なぜ僕はもっとしっかり確認しなかったのだろう!
「確かに…それは僕のです。でも僕が置き忘れて行っただけ。それで僕が殺したということにはならないでしょう…」
「ええ。これだけでは、確かに。でもこれを見てもそう言えますか?」
そう言ってCは、薬包をゆっくりと取り上げた。
その裏には、べったりと血がついていた。
「この薬の裏と、机の表面。その二ヶ所に血がついていたんです。こんな場所に血がつくのは、血が飛び散ったあとに薬がここに置かれた、その証拠に他ならないでしょう」
「………」
「目撃証言については、時間を見間違えたのでしょうね。あなたはなんらかの理由で、教授を殺した。それは事実ですね」
「だって……だって先生が、僕の卒論を捨てようとするから、止めようとして、つい…」
「認めますね」
「…はい」
「では、詳しいお話は署でお聞きします。行きましょうか」
10
自らの袖をまくり、腕をちらりと見たBが、声を上げる。
「先輩、いま何時ですか?署長に連絡しなきゃいけないんですけど、自分の時計忘れちゃって」
「あぁ…そこに時計があるじゃないか。俺の腕時計も電波時計だから、ぴったりだ。
…ん?」
つられて袖を捲ったCは思わず、壁を振り仰いだ。そこに掛かっているデジタル時計と己の腕時計が示す時間とは、十三分もの違いがあったのだ。
「B、おまえ、なんで時計忘れたんだ?」
「自分すか。この前の地震のとき停電あったじゃないですか。ほら、空調も止まって寒くて…そのときに手袋つけたら時計が邪魔で。外しっぱなしでおいてきちゃったんすよ」
Bの言葉の後半は耳に入っていなかった。Cは溜息をつき、ひとりごちた。
「停電。…そうか。そうだったのか」
「なんか言いました?」
「…B。お前が連れてきたあの目撃者、見間違えたわけでもなんでもなかったんだな。安達が部屋を出たとき、この時計は四時五十分だった。大学中が停電していたから、時計も止まっていたんだ。ここら辺は窓がたくさんあるから明るい。それで、気づかなかったんだ。つまり、一回目の地震で時計がズレて、二回目の地震で動き出した、そういうことだ」
ふいに、安達の頭の中に響く声。「気象庁によりますと、本日午後四時五十分ごろ…」あのニュースキャスターの声が、蘇る。
ああ、それで、この部屋はあんなに寒かったのだ…安達はあのとき自分の吐いた、白い息、その透き通った色を思い返しながら、静かに部屋をあとにした。