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問題編


1


「しまった…」

薄暗い部屋の中、白い息が舞う。安達大は真っ青な顔でひとりごちた。

殺すつもりはなかったのだ。中原教授があんなひどい仕打ちをしなければ、僕はこんなことは…。

安達は血まみれの時計をごとりと落とし、雪のしんしんと降り続ける窓の外に呆然と目をやった。


2


さかのぼること十数分。

「君。いまが何時か、わかってるのか?」

中原教授の鋭い声が、安達の耳に刺さる。

「すみません…遅れてしまいました。お願いします」

安達は乱れる息を整えながら、紙束を中原に差し出す。

「駄目だね。卒論の提出は17:00きっかりまで。何度も言ったはずだ、遅れたら受け付けない」

「そんな…たったの2分じゃありませんか。この雪で電車に遅れちゃって、次ので来たんですけど、歩くのにも時間がかかって…」

「言い訳は結構。卒論が提出できなければ評価するまでもないね。来年、頑張ってくれ」

「そ、そんな!もう就職も決まってるのに、それに留年する余裕なんて、うちにはありません!」

「それは君の都合だろう?遅れた君が悪い。困るんならもっと早く出しにくれば良かったじゃないか」

「それは、そうなんですけど…でも!お願いします、教授が受け付けてくれれば、あの、必死にやったので、中身はとことんこだわってるんです、読んでください!」

安達は泣き出さんばかりの勢いで、中原に論文を押し付ける。

「しつこいな。駄目と言ったら駄目だ。早く帰れ、今日はこんな…電車が止まるかもわからんぞ」

「先生…どうか、お願いします!どうか!」

「ああもう、そうやって騒ぐから私の頭痛はひどくなる。こんなもの、貸せ。諦めさせてやる」

顔をしかめた中原が、安達の手から論文を取り上げる。これで受け取ってもらえる、と安堵の表情を浮かべる安達をよそに、中原はシュレッダーのそばまでつかつかと歩いていき、そのスイッチを入れた。

ういぃぃん、という音と共に、シュレッダーが起動する。

「せ…先生?何を…?」

「こんなもの、提出できなければ、ただのゴミだろう?ゴミはゴミらしく扱ってやらないとな」

そう言うと、中原は、手の中の紙束をトントンと揃える。

「あ」

安達の返事を待たず、中原はゆっくりと、安達の丹精こめてつくりあげた作品を、シュレッダーの口元にあてがおうとする。

「やめて!やめ…」

叫びは言葉にならなかった。伸ばした手で咄嗟に掴んだのは、目の前に置いてあった電波時計。あの手を止めないと、その一心で、安達は中原に飛びかかった。


3


安達の足元には、頭を割られた中原が転がっている。じわりじわりと、床に血が広がっていくのが見てとれる。握りしめた拳を覆う、お気に入りのミトンに、一滴の血が飛び散っているのに気づいた安達はぞわりと身を震わせてそれを拭う。

「ああ、これがばれたら…いやあばれちゃいけない、そしたら、僕は、とっても困るんだ…」

うわごとのように呟くと、安達はきょろきょろとあたりを見渡した。

自分の書いた卒論。それがシュレッダーの横に落ちていた。幸いにも、安達のミトンと同じ目には遭わなかったようで、その紙は折れもせず、汚れもせず、綺麗なままだった。

とりあえずそれを拾い、中原の机に置く。あとは、どうしたらいいんだ?と、困り果てる。目的もなく鞄を開くが、薬入れのポーチとペットボトルしかない。これではなんの役にも立たなそうだ、いや、そういえば、

「薬飲んでない。」

唐突にそれを思い出した安達は、中原の乱雑な机に薬とペットボトルを置いて鞄を閉じる。ごくりと薬を飲みくだすと、ペットボトルを鞄に仕舞う。

「いや、こんなことしてる場合じゃない、第一、今見つかったら大変だ…」

そんな当たり前のことに今更気づいた安達は、慌てて部屋中を見渡す。

「僕がいたっていう証拠は…ないな」

そう呟くが早いか、足早に中原の部屋を出る。

階段を駆け下りる安達の足元が、突如ぐらりと揺れた。


4


「被害者の氏名は中原某、54歳、某大学の文学部教授です」

慌ただしい現場に似合わず、そんな情報を平淡に読み上げるのは、刑事B。

「ガイシャの詳しい状況は?」

たった今到着した刑事Cが駆け寄りながら尋ねる。

「ええと、死因は脳挫傷、これですね、この重たい時計、これに血がついてます。死亡推定時刻は、午後4時から6時だそうです」

「そうか。時計で頭を打って死亡、というわけか」

「そうですね。この時計、ぶつかったときに壊れたみたいですよ。5時…3分で止まってます」

「じゃあ犯行時刻は5時3分。死亡推定時刻とも合うな」

「えぇ?これ、殺しなんですかぁ?」

「だって殴られて死んでたんだろ!」

「でも、これ、棚のここの所だけ埃溜まってないじゃないですか。結構高いところに置いてあったっぽいですよ。昨日の地震で落ちてきてガツン、かもしれないじゃないですか」

確かに、昨日の地震はそこそこ揺れた。バランスを崩して時計が落ちてきたとも考えられる…刑事Cはフムと唸った。

「目撃者いました!中原の部屋から出てくる学生を見たそうです」

いつの間に居なくなっていたのか、Bが戻ってくる。その横には気のよさそうな女性が立っていた。

「こちら清掃員の方です。すみません、お話、もう一度お聞かせ願えますか」

「はい、あの、いつものように掃除をしておりましたら、中原先生のお部屋から男の子が出てきまして。急いでいるようで、私のほうは見もせず行ってしまいました。時間はですね…そのあと壁の時計を見たら、4時50分でした。お掃除が5時までなので、覚えています」

「そうですか、ご協力ありがとうございます。またのちに詳しいお話をお伺いします」


女性が去ったあと、Cは考える。

(部屋から出てきた学生は怪しい…しかし彼が犯行を行ったと考えると時間が合わない。とりあえず話を聞くだけ聞いてみよう)


5


時は昨夜に舞い戻る。

安達は一人暮らしの家にたどり着き、倒れるように座り込む。静寂が恐ろしくて、すがるようにテレビのリモコンに手を伸ばす。

「気象庁によりますと、本日16時50分ごろ、〇〇県〇〇地方でマグニチュード4.0の地震が発生し…」

ああ、あれ、やっぱり地震だったのか。キャスターの言葉を聞いた安達は、階段で感じた揺れを思い返してそう思った。そんな思いも束の間、夜は眠れるはずもなく、安達は中原の幻影に怯えつづけて一夜を明かしたのであった。


6


唐突にチャイムが鳴った。チャイムというものは往々にして唐突に鳴るものであるし、「鳴りますよ」と予告があってから鳴るチャイムなどないのであるが、安達はその唐突さにひどくおののいた。震える手でドアの鍵を開け、チェーン越しに外をのぞきこむ。

果たしてそこには、2人の刑事が立っていた。

「すみません、安達大さんですね。我々〇〇県警のものです」

「あ…どうも」

「中へお邪魔しても?」

その言葉に安達は大いにうろたえた。中にはあの時に着ていた服もあるし、血のついた手袋もあるし、調べられたら終わりだ。

「えっと…」

しかし刑事の、とくに背の高い方の、その鋭い目つきは、気弱な安達にNOを言わせてくれそうにはなかった。

「はい…どうぞ」


(何か見られたらまずいものでもあるのか?)

安達のうろたえように、そんな疑いを抱きながら入室したCは、ひどくおののいた。

「わぉ」

と、これは後ろから入ってきたB。安達の部屋は、洗濯物や参考書が積み重なって迷路のようになっていた。

「すみません…片付けが苦手で、こんな部屋をお見せしたくはなかったんですが…」

(これは…見られたくないもの、しかないな。我々を入れるのに渋るのも、分かる)

Cはそんなことを思いながら、本題に入る。

「早速ですが、あなたの大学の教授、中原氏がお亡くなりになったことはご存知ですか?」

「あぁ…はい」

「そのことなんですが、中原教授は亡くなる直前に、あなたと会っていたそうなんですよ。清掃員の方が目撃していまして。」

「えっ(ああ、終わった)」


「あなた、4時50分ごろ、部屋を出られましたよね?」

「あ、はい(えっ、そうだっけ?)」

「何をしに行かれたんですか?」

「昨日、卒論の提出日だったので。ゼミの教授が中原先生なので」

「そうなんですね。中原教授の死亡時刻は、5時過ぎと考えられています。つまり、あなたの帰ったすぐあとです。なにか心当たりはありませんか?」

「えっと…(ん?どういうこと?)」

「C先輩、地震って何時にあったとか調べてないんすか?」

「ああ、それは今調べてるところだ」

「地震…そういえば、帰りに階段を降りてるとき、ありました。揺れたの覚えてます」

「そうですか。ありがとうございます」

「あの…」

「はい?」

「教授は、どうして殺…亡くなったんですか」

Cが口を開く前に、Bが答える。

「時計に頭を打ち付けて。あれはねぇ、不幸な事故だと思いますよ」

「そうなんですか…」

「では、我々はそろそろ。ありがとうございました」

「はい…」


7


「事故だな。時計から他の人間の指紋は出なかった。死亡時刻もはっきりしてる。殺しだとして怪しいのはあの学生だが、目撃証言から考えると時間が合わない、動機もない」

「地震は16時50分と17時3分、2回あったみたいですよ。1回目の地震で時計がズレて、2回目で落ちたんでしょうね」

「ああ。ん、テーブルの上の、この薬は何だ?」

「教授の常備薬らしいですよ。頭痛持ちだったそうで。教授って大変そうですもんね、頭も痛くなりますよ」

「そうか…ん?これは?」



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