音の無い闇
作られた都市の中に生じた、無法地帯。
「無計画過ぎませんか、エレミア」
サレムが正直なところを言うと、イズミールが顔の前に指を一本立てて「しーっ」と口をつぐむように示唆した。
「それがこの都市のことか、それとも偉大なる第六体系の魔導士のことかはともかく、悪口はご法度だよ。聞かれている」
「誰に?」
見渡す限り辺りには誰もおらず、風だけが梢を揺らしている。
サレムは首を傾げたが、イズミールは淡く微笑んで「風が聞いているんです」とごくささやかな声で告げた。
(風……?)
さわ、と揺れる頭上の葉を見上げていると、「エレミアにおける常識も抜け落ちているな」とダリウスが呟く声が聞こえた。
視線を彼に戻して、サレムはいぶかしげな表情のまま尋ねる。
「『エレミア』の悪口を言ってはいけない、ですか? まるで横暴な独裁者みたいですね。悪口を言われるようなことをしなければ良いのに」
言い終える前に、風がごうっと鳴って強く吹き抜けた。
ふわりと浮いて、空へと持ち去られかけたサレムの帽子を危なげなく掴み、ダリウスが呆れたように呟く。
「筆頭魔導士のエレミアは都市の象徴。実質『学院』を動かしているのは、主席魔導士の『風』のユージェス様。エレミアの悪口は、ユージェス様が嫌う。これも伝説みたいなものだが、ユージェス様も二百五十年前の生き残りらしい」
「魔導士って長生きなんですね」
「エレミア様は記録にある限り一切人前に姿を見せたことがないらしいが、ユージェス様は実在の確認がとれている。中央の研究棟の最上階で暮らしていて、必要があれば出てくる。ほら、あれだ」
ダリウスはサレムに帽子を手渡しながら、視線だけで遠くの彼方を指し示した。それを追いかけて、サレムは帽子を頭にのせつつ、木立の向こうの塔を見上げた。
堅牢な石造りの、空を突き破らんばかりに高く聳えた塔。
(二人の魔導士が維持する、魔法都市と「学院」か。ぴんとこない。私の知らない世界だ)
……不思議な子だ。この子はいったい、どこから来たんだろう……
淡い囁きが心の中に直に響き、サレムはイズミールへと視線を向ける。
まさに同じことを考えていた。
自分はまるで、別の世界から突然この場に来たかのように、物を知らなすぎる、と。
「ここに住んでいるひとは、二百五十年前にエレミアについてきた魔導士たちと、第五の国の生き残り。その子孫だけなんですか? であれば、みな顔見知り」
都市の規模もわからず、サレムが疑問を口にすると、答えたのはダリウスであった。
「そういうわけじゃない。数は大いに少なくなっているが、大陸では今も魔導士の素質のある子どもが生まれている。それは、各国の『門』を通じてエレミアの『学院』に学びに来る。さっき顔を合わせたエリファスも、外部からの入学者だ。『炎』の出身で、炎の魔導士。イズミールは両親とも魔導士のエレミア出身。俺は……、エレミアの北側の出身。そういった、魔法都市生まれの魔導士は、属性判定がしにくい。俺みたいに両親の素性も行方も知れないような奴は、見極めでほぼ間違いなく引っかかる。属性不明の落第生の指導がまわってきた理由も、そのへんだろう」
淡々と言い終えてから、「行こう」と言って歩き出す。
遅れて足を進めながら、サレムはダリウスの広い背中を見上げた。
(第五体系の魔導士の生き残りの子孫……が、「土」の魔導士ということは、属性は必ずしも両親のものに左右されないということ? もしくは、門を閉ざされた向こう側とも都市の一部で交流があって……)
「属性不明の私は、魔法都市出身者なのでしょうか?」
自分のことなのに、ひとに尋ねるしかないという不思議な状況。
肩越しに振り返ったダリウスは「そう考えるのが自然だろうな」と落ち着いた声で答えた。
「俺は下級生にさほど詳しくないが、さすがに初等科の在籍生ならサレムのことは知っているだろう。家族も都市にいるかもしれないし、会えば記憶も戻るんじゃないか」
深刻な様子もなく言われて、サレムはそういうものかと納得しておいた。
しかし、小道を通り、中央区画に近づいて徐々にひとの姿が見えてくると、サレムはめまいと吐き気で足が止まってしまった。
さきほどまで聞こえていた、イズミールの声にも似た、音ではない何か。
それが、目にした人数分いっせいに頭に流れ込んできて、めちゃくちゃにひっかき回される感覚があったのだ。
たくさんの、声、声、声。感情の原液のようなものが、頭の中で暴れまくり、吹き荒れる。
その凄まじさ。
ふらついて、地面に膝をつきそうになったところで、ダリウスが腕を伸ばしてサレムの華奢な体を支えた。
「どうした?」
その声を耳にした瞬間、頭の中でいっせいに鳴り響いていた大勢の声が、闇に吸収されるようにすうっと消え失せた。
(混沌にして闇、夜の国の門。このひとは、私のこの変な魔力を無効化できるんだ)
無音の彼の側は、信じられないほどに静かだった。
苦しさから逃れるべく、サレムはダリウスの胸に飛び込み、すがりつく。
「おい、なんだ」
焦る声を聞きながら、振り払われまいとしっかり腕を回して抱きついて、サレムはほっと息を吐き出した。
このひとの側を離れないようにしよう、と勝手ながら心に決めた。




