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良い人悪い人

(寝ていればいい、と言われましても)


 お茶はようやく飲めたが、食事はどうしても受け付けず。

 体調の優れないサレムに対して、ダリウスは心配そうに眉をひそめて言った。

 言われたので、掛け布をかぶって目を瞑ってみた。


(もう全然眠くない)


 目が冴えてしまっている。

 清々しい飲み心地のお茶のおかげだろうか、いつの間にか胸がすっとしていた。

 そーっと寝返りを打ちながら掛け布を目の下まで引き下げ、部屋の中を見回してみる。

 床には瓶や紙くずが落ちているが、ところどころに鉢植えの緑が置かれていて、雑多ながら居心地の良さそうな部屋に見えた。


 ダリウスはサレムの視線のほぼ正面。

 書棚の前に椅子を置き、片足を座面にのせ、首を傾げるようなあまりよくない姿勢で本に読みふけっていた。

 サレムは身動きもしないまま、長いこと見てしまった。


 無造作に伸ばしたような黒髪。

 無精ひげの散った顎に、粗削りで彫りの深い顔立ち。

 横顔が綺麗だ。


 年の頃は二十歳前後だろうか。

 姿勢が悪くても体格の良さが知れて、肩幅も広い。

 骨ばった長い指の先まで、どこもかしこも男性的な造形をしている。


 視線に気付いた様子もなく、ダリウスは頁を繰り、たまに前の頁に戻り、眉を寄せて渋面になり、傾げた首をまっすぐに戻して、いくらもたたないうちにまた姿勢を崩しながら本を読み続けていた。

 やがて、近くに置いてあった小卓から紙片をとって本に挟むと、卓に置いて椅子から立ち上がった。

 伸びをしながら、思い出したように寝台の方に目を向けてくる。

 目と目が合った。


「……起きた?」


 ダリウスは伸びた姿勢のまま、動きを止めた。

 切れ長の黒の瞳に緊張がはしったのがサレムにもわかった。 


「少し前に」


 見ていたのを知られたくなくて、とっさにごまかしてしまった。

 立ち上がると、ダリウスの背の高さが知れた。

 サレムは横たわったままの自分があまりに無防備に感じて、身体を起こす。

 はっとして伸びをやめたダリウスが、足音も高く近寄ってくる。

 その勢いに気圧されて、思わず掛布を握りしめながら身を引いた。

 そこで、ダリウスもぴたりと足を止める。


「さっき、同じ状況で寝台から落ちかけたから、大丈夫かなと。大丈夫なら良いんだ」


 警戒が正確に伝わってしまったらしく、ダリウスが歯切れ悪く言う。

 他意はない、とばかりに両手を広げつつ、二、三歩後退した。

 足元のガラス瓶を踏んで、転びそうになりがくっと肩が下がった。

 サレムは息を呑んだが、ダリウスは転ばずに持ち堪えていた。


「記憶の混乱の方は」


 踏んだ瓶を足で軽く蹴とばしながら、何事もなかったようにダリウスが聞いてきた。


「それは……、変わらずですね」


 スポッと何か抜けてしまった感覚は、まだ戻っていない。

 先程、意識を失ってから目覚める直前まで何か覚えていたのは確かなので、さしたる焦りはなかったが。


(わたしはあのとき、誰かの名前を思い出していた。寝ている側で話しているなら  と  かな? って。とても親しい誰か)


 少し落ち着けば、思い出せるだろうと、このときは楽観的に考えていた。


「だとすると、やっぱりエリファス待ちか。いずれにせよ、住んでいるところがわかれば、そこまでは送るから。さっきより、だいぶ顔つきも言葉もしっかりした感じがする。俺のことも警戒しているみたいで、実に良い」


 最後の方は、ほっとした様子で付け加えられた。


「警戒が『実に良い』?」


 サレムがいぶかしげに尋ねると、ダリスは神妙な顔で頷いた。


「こういうことは、はっきり言った方が良いんだろう。魔法都市(エレミア)にも『学院』にも変な奴はいる。サレムは見た目が良いし、にこにこしていると誰に狙われるかわからない。だから、警戒するくらいでいいんだ。俺みたいな男なんか、特にな。怖いだろ?」


 十分な距離を保って、噛んで含めるように言うダリウス。


(「不特定の誰かを警戒しろ」ならば、わからなくはないと思う。でもこの方は……)


 頭を打って倒れていた自分を助けてくれたらしいし、その後のことも何かと心配してくれる。

 特に、悪い人間には見えない。


「ダリウス様は良い人ですよね」


 サレムが首を傾げながら尋ねると、それを受けたダリウスもまた「さて」と首を傾げた。


「どうだろう。サレムは俺のこと、何も知らないだろ」

「たしかに今は、なぜか自分のこともわかりませんから。だけど、ダリウス様は良い人です」


 ダリウスは胸の前で腕を組み、「うーん」と渋面で考え込む素振りをする。


「決めつけるのは感心しないな」


 ここでようやくサレムは、自分の意見がダリウスによって否定されていることに気付いた。

 ダリウスは、あくまで己を「良い人」と認める気がないらしい。


「どうして自分を良い人と認められないんですか? 助けられたわたしが、あなたを良い人だと思うのは当然です。実際に、良いことをしていますよね?」


 何も難しいことは言ってませんよ? との思いからサレムが言うと、ダリウスはふいーっと息を吐き出した。 


「わかった。絶対に認めない」

「その頑固さは、いったいなんなんですか?」

「お前こそ、その頭の素直さをどうにかしろ。『助けられた』から俺が良い人間だって? 記憶がないのによくそんなことを言えるな。俺がお前を殴って助けたふりをして部屋に連れ込んだだけかもしれないだろ。俺のことを何も知らないのに、良い人だなんて安心している場合か」

「そうなんですか?」


 思ったままに聞き返すと、ダリウスががっくりと(こうべ)を垂れてしまった。

 なんと声をかけるべきかわからず、サレムは掛布を握りしめてしみじみと言った。


「もしいまあなたが言ったようなことを私にしたのなら、あなたはすごく悪い人ということになりますね……」

「……わかればいい。俺は悪人だ……」


 疲労を覚えた様子で、ダリウスはサレムの発言を肯定した。

 共通認識が得られた瞬間だった。

 だが、例え話は嘘だろうと確信しているサレムからして、明らかに「恩人」のダリウスを、「悪い人」認定して終わりで良いのか? と、サレムの中では割り切れない思いが募る。


「あなたは、悪い人の中ではきっと極めつけの良い人で、傍目には実際良い人にしか見えないし悪事も働かないレベルの、名目上の悪人だとは思っていますよ?」

「なんだその、『ブサイク界の美男子で概ね一般人だと思います』みたいな褒め言葉は」


 即座に言い返された。


(ブサイク界の美男子? 概ね一般人? どうなんだろう。ダリウス様……ダリウス様、見た目はとても良いと思うんだけど、わたしの好みなのかな?)


 何を言われたのか一生懸命考えてみて、検証のためにダリウスをじっと見つめ、確認のために尋ねる。


「わたしはダリウス様は男性として格好良いと思うんですが、これはわたしの趣味が悪いだけですか?」

「知るか。聞くな」


 視線を避けるように、顔を背けられる。

 その横顔を、サレムはさらにしげしげと見つめ続けた。


(そうだ。わたしはいま、この方の外見はとても好ましいものだと思った。この感覚はどこから来たのだろう。なぜそう考えたのだろう。誰かと比べた? わたしの記憶の中には誰もいないのに) 


 その時、ふと何かが神経に触れた。

 耳が音をとらえたというより、もっと違う感覚に訴えるものがあった。


「ダリウス様。何か聞こえませんか?」


 他に言い表しようがなくサレムがそう言うと、ダリウスの顔から表情がすっと落ちた。


()()って、なんだ?」

「わからないんですけど……、近づいてくる」


 サレムは俯いて意識を研ぎ澄ませ、音を追おうとする。

 ダリウスがドアの方へと顔を向けた。

 足音がして、コツコツとドアを叩く軽い音が響く。


「ダリウス、入るよ」


 廊下から声がして、すぐにドアが開かれた。

 白いブーツのつま先が見えて、ふわりとまとった白いローブが翻り、腰まで流れる銀の髪が視界に入り込んでくる。

 上品な顔立ちには、紫水晶の瞳がきらりと輝いていた。サレムと目が合うと「あっ」というように大きく見開かれる。


「ごめん、いつもの勢いで開けてしまった。女の子がいるんだった。外で待とうか?」

「イズミール。大丈夫だ、ちょうど彼女も起きて、いま善と悪について有意義な会話を交わしていたところだ」


 二人の会話を耳で聞きながら、サレムはさらに意識を凝らして「何か」を追いかけた。


(なんだろう。会話とはべつに「何か」聞こえる)


 悪い気配ではない。

 聞き取ろうとするとわからなくなる。

 音なのか言葉なのか。

 ダリウスからは聞こえない、何か。

 サレムの視線を受けて、イズミールと呼ばれた青年はにっこりと微笑んだ。


「ああ、なるほど美少女だ。ダリウスが落ちるわけだ」

「落ちてない落ちてない落ちてない。なんの用だ」

「『学院』でエリファスと会ってね、伝言を預かってきた。『エルネスト先生はまだ見つからない。ダリウスが部屋で身動きできていないから、食べ物でも持っていって』って。持ってきたけど、食べる?」


 ゆったりとした調子で話しながらドアを閉め、部屋の中に入ってきて手にしていたバスケットを持ち上げる。

 その白っぽい容姿のせいか、部屋全体が急に明るく華やいだ雰囲気になった。

 彼から聞こえてくる「何か」を追いかけて、注意深く動きを見守っていたサレムに対して、イズミールは胸に手をあてると軽くお辞儀をした。


「はじめまして。『水』のイズミールです。何かご用があればなんなりと」


 その微笑は、サレムの目には「とても良い人」に見えた。

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