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時計の壊れた朝に

 その朝は、目覚まし時計が壊れていた。


 時間になると目がぐるんとして舌が飛び出る、ブリキのカエルの目覚まし時計だ。

 三時で止まっていた。

 薄い布をカーテン替わりにひっかけた窓からは光が差し込み、実験道具とガラクタと書物と鉢植えの植物が乱雑に配置された室内を照らし出している。


「カエルさん……、寝過ごしたよなこれ……」


 部屋の隅に置かれた粗末な寝台に身を起こし、ダリウスはカエルの時計を持ち上げて呟いた。

 唯一の時計が止まってしまった以上、正確な時間はわからない。


 掛け布を投げ捨て、床に足を下ろすと黒のブーツを履きこむ。

 袖なしの黒の肌着一枚の身体に、近くの椅子の背にかけてあった濃紺のフード付きローブを引っかけながら、本棚の方へと歩いた。

 伸ばしっぱなしで肩を過ぎた黒髪を指で軽く梳いて、しゃがみこんで下の段を見る。


「初等科、初等科……。いまさら『属性不明』ってなんだよ。どうすんだ、面倒くせーな」


 独り言をもらしながら、適当に三冊本を取り出す。『風』『炎』『水』の初心者向けの教本だ。

 そのまま大股にドアに向かおうとしたところで。

 足を踏み下ろす瞬間に違和感を覚えて、床に足がつく瞬間に音を消す。

 動きを止めて、室内に視線を滑らす。


 部屋の隅。

 人の背丈ほどもある鉢植えの横に、何かいた。

 目が合った。


「あっ」


 小さな悲鳴が上がる。


 深く澄み切った青の瞳。色が白く顎のほっそりとした小さな顔に、造形美の粋を凝らしたように配置された小さな唇や、すっと通った鼻梁の線。プラチナのような金髪を白い帽子にまとめていて、帽子からは背を覆うほどの同色の布が垂れている。腰には銀のベルト。膝上の黒のワンピース。小柄な少女だった。

 控えめに言っても、絶世のといった形容がされる類の。


 ダリウスとしては、そこに人がいる事実より、その美貌に呆気にとられたという事情もあって声をかけるまでにやや時間を要してしまった。

 相手は侵入者であり、不審者なのであって、何か言わないと、という発想は遅れてきた。


「誰だ?」

「サレムです! 初等科の……持て余されている……。あのっ『土』を首席で卒業されて、研究科に進んだダリウス様ですよね?」

「ここは俺の部屋だから、それが妥当な判断だろう」


 それほどすごんだ覚えもないのに、サレムは「うぅ」とひるんだようにわずかに身を引いた。


(初等科のサレム。俺が指導を託された「属性不明」の問題児か。そういや男か女かすら聞いてなかった。これか)


 ダリウスは相手の素性に思い当たりつつも、眉を寄せて黒曜石のような目を細めた。


「いつからいたんだ?」

「お待ちしていたんですが、なかなかおいでにならないので、何かあったのかと来てしまいました。そんなに前じゃないです。さっきです。」


 ダリウスに対して、小動物のようにびびっていた。

 びびりまくりながらも、なんとか踏みとどまろうとしている。


(俺そんなに怖いか? 怖いか……サイズ感が)


 身長はあるし、声はまあまあ大きい。目つきはキツイと言われる。

 女性や下級生が寄り付きやすい雰囲気ではない自覚はある。

 しかし、怯えすぎではという気がしなくもない。


「声をかければ良かったんじゃないか」

「気持ちよさそうに寝てらしたので……。あとあの」

「あの?」


 質問をしているだけなのだが、サレムの怯えた様子を見ていると、追い詰めているような気がしてくる。

 大きな目が、今にも泣きそうだ。


(なんなんだ?)


 サレムはぎくしゃくとした仕草で、腕を持ち上げて、寝台の方を指で示した。


「カエルさんが、ですね……」


 その次の瞬間、突然職務を思い出したカエルの目覚まし時計がけたけたましく鳴った。

 アラームは、カエルの鳴き声風。

 演出過剰なカエルは、さかんに目をぐるんぐるんと回し、舌を何度も突き出している。


「あああああああああああああっ」


 叫びながら、サレムが走り出した。

 進路にいたせいでダリウスはまともにぶつかられた。

 華奢な身体が、胸に飛び込んでくる。

 片手に積み上げた三冊の本を落とさぬように体勢を整えつつ、足で踏みとどまってその衝撃を受け止めた。小柄とはいえ、勢いがあったせいでぐっと足の裏に力が入る。

 至近距離で、ダリウスのローブの胸倉を掴みながら、サレムはダリウスを見上げた。


「わたし、カエルがだめなんです! なんですかあれは!」

「俺の目覚まし時計」

「なんで今鳴るんですか!? 完全に遅刻ですよね、待ち合わせ来るつもりなかったんですか!? そんなにわたしのことが面倒くさいですか!!」

「は? 目覚ましが鳴らなかったのは壊れていたからで、俺は寝過ごした。それは悪かったが、今から行くつもりだったんだ。この手に持っている本はなんだと思ってる? 俺が初等科の復習をしたくて持ってるとでも思っているのか?」


 全力で言い返してしまってから、これでは怯えさせるだけだと気づいたダリウスは、咳払いをして喉を整えた。


「ばっくれるつもりだったわけじゃない」

「面倒だとは思ってましたよね?」

「それはもう」


 自分で聞いてきたくせに、ダリウスの返答を受けて、サレムは胸倉に掴みかかったままきゅっと唇を引き結んだ。目が潤んでいる。


(カエルさんのせいか? それともこれはやっぱり俺か?)


 初っ端から泣かせたか? とひそかに動揺するダリウスをよそに、サレムは涙目ながらも凛々しさすら感じさせる決然とした表情で切々と言った。


「わたし、ここで見捨てられたら『学院』落第なんです。どうしても属性を見つけないと……!」

「それはまあ、属性が決まらないと使える魔法も使えないからな」


地の精(グーメ)

風の精(シルフ)

炎の精(サラマンデル)

水の精(ウンディヌ)


 すべての魔導士は、いずれかの精霊と契約を交わして魔法を行使ししている。


(魔法教育機関『学院』入学後に、まだ精霊と契約が成立していなくて、属性が不明というのはかなり特殊な例のはずだ。それぞれの精霊は、その名を冠する国で信奉されており、国民はだいたい自国の象徴である精霊と契約をするから、属性は出身国によってほぼ決まっている)


 例外はここ、生まれついての魔法都市出身者に多い。

 大陸七王国の一つ、魔法都市エレミア。

 世界で唯一の魔法教育機関、栄光の「学院」の魔導士が統治する異端の都市。


 都市としての体裁を守りながらも、実質国の一つに数えられるそれは地図上には存在しない。

 ある者は天空にあると言い、ある者は地中奥深くにあるのだと言い、またある者は大陸南部の広大な大森林の奥地にあるのだという。

 真実は杳として知れない。


 地図上の『土』『風』『水』『炎』そして新興の『鉄と鋼』の各国に設置された『門』を通じてのみ行き来が可能であり、所在地は常に秘匿されている。


 都市がその所在を明らかにしないのは、都市そのものの成り立ちに深く起因している。

 およそ二百五十年前。


 魔法素質者は珍しくなかったが、その能力を極限まで鍛え上げた魔導士は今と変わらず希少であった時代。

 彼らは王宮や国の要となる場所において働きその能力を発揮していた。

 必然的に、国と国の争いという場面でも彼らの力は発揮されることとなった。


 折しもその時代、大陸全土には戦乱の風が吹き荒れていた。

 当時大陸には魔法四属性と対応する『土』『風』『水』『炎』、そしてもう一カ国、五番目の魔法体系の名で呼ばれる国があった。


 戦乱は、五番目の国の滅亡によって、終焉を迎えた。


 そのとき、大陸は疲弊しきっており、怨嗟と憎しみの渦の中にあった。

 それは、やがて戦争の被害を甚大なものにしたとして、魔力を行使した魔導士たちへと向けられた。

 いかに力を有していても、人である彼らは数の前に追い詰められていった。


 そのとき、偉大なる魔導士エレミアが強大なる魔力をもって何処とも知れぬ地へ時空の『門』を開き、魔導士たちを引き連れて旅立ち、魔法都市を築いたのだった。

 異端の魔導士エレミア。

 歴史上ただ一人しか使い手の確認されていない『第六体系』の使い手。


 以来、二百五十年の長きに渡って、『門』により大陸との交流は続けつつも、独自の発達を遂げたエレミアで生まれた二世、三世は、各国の出身者よりも属性が見極めづらいという特徴は、確かにある。それでも、魔法エリートである彼らが『学院』入学後にも精霊との契約、つまり属性判定で手こずり、落第の危機に瀕するなど滅多にあることではないし、非常に考えにくい。


「……考えにくいけど、極端に精霊に忌避される人間っていうのも稀にはいるんだろうなあ……」

「何かいま、わたしに対して失礼なことを言いましたか?」

「自分のことかな、って自覚はあるんだ」


 ダリウスの遠慮のない発言に、サレムは再び胸倉に掴みかかってきたが。

 叫ぶ気力もないかのように、そっと離した。


(落ち込んだ)


 目を伏せているせいで、睫毛の長さが際立っている。

 怯えているくせに、あまりにも無防備に近寄ってくる小動物を物珍しい気持ちで眺めつつ、ダリウスは声をかけた。


「とりあえず、俺は俺でなぜか師匠から落第寸前の下級生の面倒を言いつけられている。落第させるとまずいんだ。だから、出来るところまではやるから」

「それでは、わたしの補修に付き合ってくださるわけですね!?」


 落ち込んでいたくせに、秒で復活して、目を輝かせて見て来る。

 「学院」の優秀な教師陣や、初等科の根気強い教師たちまでもが投げ出した相手に対して、研究科所属の駆け出し魔導士の自分が何が出来るというのか。


(理由は思い当たらなくもないけど、()()()()()とは思えないし、期待させるわけにもいかない)


「付き合うけど。最終的にどうにかするのは、本人だからな」


 釘をさすと、サレムは花がほころぶように笑った。


「はい。よろしくお願いします、お師匠様!」

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