第二話 The first step is always the hardest.(2)
きっと悪戯なんだろう。
一時間目からずっと、あたしは今朝の手紙のことで、頭がいっぱいだった。
心当たりがなさすぎる。これが男子からならわからなくもない……一応。でも、ここは女子高で、相手は絶対女の子のはずだ。そして、あたしはエスカレーター組ではなく、受験組だった。好きになってもらう道理がない。
コイズが昨日負けたことなんて、すっかり頭から消え失せていた。それくらい大事件だ。
「本当に一人で大丈夫なの?」
放課後、一緒に手紙を見てしまった玲香が尋ねてきた。
「何であんた――あっと、玲香さんもついていこうとなさるの?」
「だって、悪戯でしょ? あれ」
玲香は悪戯だって決めつけている。
「けど、玲香さんがついてくることないわ」
「止める人が必要だと思うのよねえ。あなた、頭に血が上ると、信じられない行動をするし。もし喧嘩してそれが知れ渡ったら、特待生、取り下げられるんじゃない?」
人を猛獣みたいに言うな。
「そんなに心配していただけるとは、思わなかったわ」
ちょっとそこは感動だ。玲香は、もっと冷徹で、血も涙もない人間だと思っていたのだ。
「だって、あなたがいないと、私一人で昼食を食べることになるじゃない。登下校も一人だし。困るわ」
彼女は極度の人見知りなのだ。
ほんと、あんたよくそういうことを言えるわよね。逆に感心するわ。
そんな玲香の提案を、あたしはお断りした。
午後三時五十分。あたしは、校舎裏へと一人でやってきた。
放課後、と指定していたけど、もしかしたらまだいないかもしれない――いたずら目的なら、どこか隠れてみているのかもしれない……なんて頭の中でぐるぐると思考する。
ラブレターで思い出した。
小学生時代、あたしはコイズが好きだったから、話をしていたのはもっぱら男子だった。少年野球チームに所属していたのもある。
ある日、女子グループから何故だか無視されるようになって、それが何故なのかと問いただすと、「○○君と、話さないで」と言われた。そのグループの一人が、あたしといつも話をしている男の子のことが好きだったようだ。
そんなの知るか、とあたしは構わずにその男のこと話をしていたんだけど――というか、何であたしがそんなの気にしなくちゃいけないのよ。思い出しただけでむかむかしてくる――いつの間にか、その男の子のことを、あたしが取っちゃったみたいに吹聴されていたのだ。それで、上履きに落書きされたり、ノートに落書きされたり……いろいろやられた。
結果的に、その男の子が誤解を解いてくれて、そういうことがなくなったけど……はあ。こちとら、コイズの選手の動向を探るのに忙しいのに、恋愛なんかする暇ないっての。
手に持ったラブレターを見て、ふと考える。
もしこれが本当にあたし宛のもので、悪戯でも何でもなかった場合のことを想像する。
まさか。
鼻で笑う。悪戯だ、絶対に。
この角を曲がっても、人がいない――ことを願っても、校舎裏には一人の女生徒が立っていた。心臓が、ひときわ大きく鼓動を打つ。
おかっぱ頭で、眼鏡をかけている人だ……リボンは紺。二年生だ。背丈は、あたしと同じくらい……よりちょっと低いか。
あたしの姿を見つけると、彼女は歩み寄ってくる。微かに風が吹き、校舎裏にも植えられている桜の花が、軽やかに舞っていた。
「――っ、えっと」
言葉に詰まる。近くで見ると、かなり美人な人だ。整った顔立ちに、眼鏡越しに見える、長いまつげが見えた。
「呼び出して悪かったわね」
涼やかな声が、耳朶を打つ。
「あ、いえ別に――」
あはは、と愛想笑いをしてしまった……どうしたんだ、あたし。ちょっと変だ。
「話というのは他でもないんだけど」
「あ、あの! ご、ごめんなさい!」
あたしは、頭を下げた。
「……まだ何も話してないじゃない」
と、彼女は不満な顔つきをしてる。う。ちょっと怖いかも。
「えっと、その、あたし、別にその気はないっていいますか――あ、いや、その、そういうの、差別しているわけじゃないんですけど……」
何言ってんだあたし。言葉が上滑りしているのを感じつつ、言葉を続ける。
「ま、まだ高校一年生ですし。そういうの早いというか……い、いや違くて」
「……落ち着いてちょうだい」
「は、はい」
眼鏡の上級生は、微笑した。
「ちょっと、誤解があるかもしれないのだけど」
「ご、誤解ですか?」
ごくり、と生唾のみ込んだ。どういう意味の、誤解、なんだろう?
「うちの部、そんな、噂ほど何もしてないってわけじゃないのよ?」
「……?」
部? クラブ? 何でこの人はクラブ活動のことを今わたしに告げたんだ?
「ひるね部なんて……確かに、去年は昼寝してばっかりだけど。今年からはそんなことなくなる」
「はい?」
なんだか話がおかしい。
「えっと、あたしが好きだからって、呼び出したんですよね?」
「何言ってるの?」
訝しげな表情をする眼鏡の上級生。
あたしは、ラブレターを取りだして、彼女に見せる。
彼女はそれを受け取って、眼鏡をずり上げて、しばし凝視。固まること、五秒くらい。すると、わなわなと持つ手が震えて、あたしに手紙を突き返してきた。彼女の顔は、真っ赤になっていた。
「あ、あ、あの子! 確かに秘密裏に呼び出せって言ったけど!」
ぜいぜい、と肩で息をする眼鏡の先輩。
「ご、誤解よ! 勘違いしないで! 私は、そういう人間じゃない!」
「え、えっと、はい」
「こ、これは、歩美が――……!」
かなり慌てている。歩美……それが、このラブレターの仕掛け人?
状況が混乱している中、後ろで、がささささ! という音が聞こえた。
振り返ると、眼帯をしてる女生徒が、茂みの中に体をうずめていた。
「……慣れないことはするもんじゃないな」
滑らかな黒髪の、ツインテール。整った目鼻立ちで、ものもらいでもしているのか、右目を眼帯で覆っていた。彼女の胸元のリボンは、緑。三年生だ。
――なんなんだ、この人。
「えっと、何してるんですか?」
「木に登っていて、足を滑らせてしまってな」
木に? ええ? どういうこと……?
混乱するしかない。眼鏡の先輩が、その眼帯してる先輩へと駆け寄っていく。
「志乃花部長! 何やってるんですか」
「先輩の真似をしてみたのだが……どうにも、いかんな」
「あんな人の真似なんかしないでください」
あたしを置いてけぼりにして、先輩二人は会話している。と思ったら、志乃花と呼ばれた眼帯をしてる先輩と目が合った。その、左目と。
「驚かせてすまなかった」
意外な物腰の柔らかさで、謝罪される。
「いえ、それはいいんですけど――」
呼び出した理由を、それから聞かされた。