ギルドへようこそー秘密の話ー
部屋に静寂が訪れ、先に言葉を紡いだのはシエルだった。
「何者…って…」
突然の言葉にシエル自身もたじろいでしまう。髪や瞳の色が人より珍しいだけで、今まで無職で親に甘えて生きてきた一般人だ。むしろ、自分のこの珍しい特徴が何処から来たものかを知りたいくらいである。
「一応…さっきの書類に名前…書いたんですけど」
「シエル・コメルシアンテ…。コメルシアンテって、この前大変なことになったあの商会の息子さんてことですか?」
「はい…色々あって…」
「おかしいわね。私の記憶が正しいならその息子さん5年前に死亡届出されてるんだけど」
どういうことだと首を傾げるリルルに、シエルは絶句した。
このエルフは何と言った?
5年前に死亡届が出されている?
「今は魔王軍に抵抗勢力となる子供を殺される親も多いですから、いつ死んでもいいように12歳までは識別標識を登録されないのが普通です。ギルドが初心者説明会や冒険者講習を行うのも大人として戦力に数えられた者が受けられるよう、下限を12歳としています。大体の方たちは、学生の道を歩んだり、親の仕事の後を継ぐために商人の職業を手に入れます。シエルさんは、どうして今まで説明会や講習を受けてこられなかったのですか?」
淡々と言われる質問が頭に入ってこなかった。ただただ、自分と言う存在が、根底から覆される言葉で、頭の中を反芻しては消えて、まるで崖から突き落とされたかのような浮遊感を感じる。ずっと地に足がつかないような恐怖しか感じ取れない。
「俺…5年前からの記憶が飛んでて…。もしかしたら、何か既に職業を持ってたとか…。ほら、識別標識って小さいから失くしやすいし…」
「そうですか…。では、こちらで調べておきます。5年前の情報なので、更新されていないとすると少し時間がかかりますよ」
常に新しい冒険者の登録が大量にされるこのギルド本部では、たった一人の情報を探すのもかなり苦労を要するだろう。エルフは長寿で理知的で賢く、勤勉で真面目な者が多い。…このリルルというギルド長は狡賢いと言うべきなのだろうが、決断力と対応力はきっと他の誰よりも優れている事は先の指示を見れば明白だった。
「あの…勇者試験は…」
「もしもです。ただの職業の識別標識喪失なら再発行すれば受験は出来ます」
「じゃあ…やっぱり、受けられないんですね」
「何か身元の分かるものがあれば…」
そういえば、父に別れ際に渡された母の印があった。首から下げていた小さな袋を服の胸元から手繰り寄せて、中身を取り出した。
「これ…母のモノらしいんですけど…木製のイヤリングなんて、識別標識に使われてないですよね」
リルルに見せると、その表情はまるで彫刻のように固まった。しばらく様子を伺ったが、目の前で手を振って見せても、エルフにとっては敏感なはずの耳の先を摘んでも、反応が返ってこない。
「えっと…ギルド長…さん?」
「…嘘でしょう…?」
眼鏡を外し、片手で目頭を押さえて、シエルから表情が窺えないようにそっぽを向かれた。鼻もすすっているのか、グズグズと音がする。
ーこの人、泣いているー
「え…あ…。俺、何か泣かせるようなこと…」
「いいの。気にしないでください。そもそも泣いていません」
気にするなと言われる程、気にしないといけないのが女の涙ですよ。と、モナカに言われたことをシエルは思い出した。目の前に不測の事態が起こると、人の思考と言うものは容易く変わるものなのだな…とシエルは実感した。モナカのしつけや元来の性格も手伝ってなのだろうが、目の前で女性に泣かれるというものは、男としてはかなり精神的にくるものがある。少しして落ち着いたのか、向き直り居住まいを正す。鼻の頭を赤くしていたのは、敢えて追求しない事にした。
「その識別標識で大丈夫です」
「いや…あんまり信用できないんですけど」
「私の方からの推薦でも大丈夫です。なんなら、5年前の死亡届も握りつぶします」
「それってギルド長としてどうなの!?」
「私は、その持ち主の女性に恩がありますから。エルフは皆、義理堅いのですよ。どうとでもします!」
流石に勇者試験を受けずに勇者の職業を得ることはできないが…と付け加えられたが、それは当然のことだとシエルも理解している。そもそも、自分の力で合格しなければ意味がないのだ。
「ちなみに、試験当日はこれを付けていけばいいんですか?」
「それだけは避けて下さい。誰か他に見せたりしましたか?」
「ギルド長が初めてです」
店主にもたぶん見られてはいないだろうと推察ではあるが答える。それは良かったとリルルは肩を下ろした。
「決して誰にも見せてはいけませんよ。特に黒魔術師の系統職の方たちには」
「何でですか?これ…そんなにヤバいんですか?」
リルルは辺りに気を配り、指を軽く鳴らす。リルルを中心とした魔法陣が展開されて、シエルもその中に収まるようになっていた。周辺をほの暗い蒼が覆っている。
「これは、音を遮断する魔法陣です。私のオリジナルですよ!」
自慢の魔法なのか、胸を逸らせて腰に手を当てて反り返った。シエルは一言、「凄いですね」と返す。自分としては、大人の対応が出来たのではないか…と自画自賛したいくらいだ。
「それで…こんな凄い魔法を使うっていう事は…」
シエルの探る言葉に頷き、リルルはそっと言葉を流す。
「この木製の識別標識は、ちょうど50年前。魔王軍によって乱獲・殺害された一族・ドルイドの証です」
このギルド内で指すドルイドとは、自然を読む預言者・自然の力を借りる治療術・生贄による転生・蘇生術が扱える者の総称。その特性により、他者から畏怖と敬虔の念を持たれて、迫害されていた歴史もある為、あまり外部と関係を持ちたがらないので、基本的には森の奥深くに寄り集まって住んでいる。そして、ドルイドは揃ってみんな深緑の髪と瞳を持っていて、森と同化するためにその色になったのではと言われていた、謎に包まれた一族だ。
「ドルイドの民達は生贄による転生を繰り返し、私達エルフと同等の長寿を誇る存在でした。肉体が滅びても、死後100年以内ならば転生出来たのです。生贄さえあれば、他者の蘇生も可能。その力を魔王に見初められ、故に乱獲され抵抗し、5年前に最後の1人が確認されたのを最後に、この世から姿を消したと言われています。そして、闇の浸食に耐えうる凄まじい精神力を持ち合わせているのです」
「そんなの…父親から聞かされたこともない…」
「当たり前です。もし、外に知られたりすれば、研究者たちの良い道具にされてしまいます」
そんな事情があったとすれば、勝手に外出すると厳しく叱られていたのも納得出来る。
「そうだとすれば、新しい戸籍を作ってしまった方が早いですね」
「え!?」
「ファーストネームを消して、シエルだけにしましょう。よくある名前ですし」
「よくあるんだ…」
「今回は冒険者として仮登録しておきますので、明日は【駆け出し冒険者】の体で試験を受けて下さい。後日、ちゃんとした初心者説明会と冒険者講習を受けて頂きます」
「そこは飛ばしてくれないんだ…」
「命にかかわる大事な講習ですよ!尚更、受けさせないわけにはいきません‼」
話が終わると同時に魔法陣の効果が切れ、先程までの厳しい顔がうって変わって、受付にいた時のような表情になった。
「あの…どうして受付にいたんですか?ギルド長が直々に」
「それはもちろん決まってます~。この眼鏡、特別な魔法がかかってますから~、嘘やなりすまし等の不正受験を事前に食い止める為です~。ヒューマの人たちは、私達エルフの顔を見分けられないですし~」
「じゃあ…俺はそのお眼鏡に叶ったんですね」
「おっ!上手いですね~!」
今日は徹夜だ~!と伸びをする。そして、その間の抜けた喋り方からして一転してシエルに詰め寄り、受付の時とは違う裏の声で耳元に呟いた。
「私が裏で取引していることは、どうぞご内密に」
「お…俺も同じようなものですし…そ、それは大丈夫です」
「じゃ、お互い秘密をバラされたら困る間柄になっちゃったわけなので、仲良くやりましょうね」
何故か物凄く湿っぽく、艶っぽい声で耳元で呟かれ、シエルは背中がゾクゾクした。モナカに対しては抱かなかった、女性に対するこのモヤモヤというかドキドキというか…。シエルは意識を逸らそうと先程気になった言葉を聞いてみることにした。
「一つ質問していいですか?」
「なんですか~?」
「さっき言ってた聖断ってどんな事なんですか?儀式的なやつなのは知ってるんですけど」
「聞いて後悔しないでくださいね」
リルルは身じろぎしても逃げられないように、しっかりと抱きしめてシエルの耳に言葉を放り込むように呟いた。
「聖水によって清められた聖剣で首を落とし、頭と身体別々の場所で聖火によって燃やして灰にします。その灰を100年の間、別々の場所で封印し蘇生出来ないようにするのです。同じ場所に埋めない限り、魂はバラバラになって、ドルイドでも蘇生は不可能だそうです。貴方の母が決めた方法です」
死霊魔術師に触れられたが最後、数時間で死に至り、不死兵を量産する為に街の中を徘徊し、ウイルスのように伝播する悪魔に成り下がってしまうという。その魂は白魔術師などの浄化魔法によって消滅させられるまで、永遠に利用される悲しい存在に成り果てる。勿論、ギルドは冒険者講習で死霊魔術師に触れられた際は、素早く自己申告で教会に駆け込めと教えてはいるが、なかなか数が減らないのは、やはりそういう事なのだ。
「彼はとても勇敢で、ギルド内でも信頼に足るヒューマでした。自ら教会へ向かった彼の行動は称賛に値します。だから、泣かないでください」
シエルは自分の瞳からとめどなく水が流れている事に、リルルに言われて気が付いた。自覚をしてしまうと、呼吸すらままならず、唇を噛み締めて、声を殺して、一時の感情が流れるのを耐えるしかなかった。
「約束を守ってくれるなら、魔法陣…張りましょうか?」
「守り…ます。お願…いし…ます…」
「彼の為にも、絶対に蘇生をしよう等と考えないでくださいね」
姿形が似ているだけなら何も怖くはない。だが、母だというドルイドの力まで受け継いでいたら、それは大きな脅威となる。せめて、間違った道に進むことの無いように、ギルドの一員として道を示さねばならない。これから先も必要になる心の整理方法。シエルは、腹の底から声を出して泣いていたが、それはリルル以外、誰にも届かなかった。