ギルドへようこそー人のやさしさー
まだ太陽が爛々と輝く真昼間に、富裕層住宅街から爆音がし、大きな水の柱が上がった。街の人々は魔王軍が攻めてきたのではと混乱に陥ったが、国営ギルドから派遣された冒険者たちに冷静になるよう声を掛けられる。早馬で駆けてきた者が、「コメルシアンテ商会の積み荷に可燃物があり、それに火が付けられた事によって起きた爆発事故」と触れ回っていた。夕方になる頃には、人々も日常の生活に戻り、コメルシアンテ商会と懇意にしていた者が、主人が街一番の病院に入院したと聞いて面会に押し掛けているという。
人々は、「これはきっと恨みを持ったものが放火したに違いない」「仕事上の事故だろう」と様々な憶測が飛び交っていた。その跡地に、国王専用の湯治場が出来る事なんて知ることもなく。
街の中心部には街の人たちの憩いの場として、噴水を備えた緑豊かな公園が作られている。その傍に病院はあった。真っ白な壁に床、シーツ、カーテン。病院着に着替えさせられていたルフトが先程よりも包帯をグルグルに巻かれて腕を固定させられていた。
「シエル…」
途中で消えてしまった息子の心配をする。どさくさに紛れて、あの男に捕まっていなければよいのだが…。
「旦那様。私とイディオで必ず探し出しますから」
「ありがとう。モナカ」
同じく包帯で左腕を巻かれているモナカが痛々しく、ルフトは目を逸らした。そして、辛そうに言葉を紡ぐ。
「私のせいだ。私が奴の尻尾を掴もうと欲張ったせいで…」
「アリストクラート=フェオダール=シュランゲ。奴がまさかこんな風に出てくるとは思いませんでした」
「あいつの元にミリッツァがいる筈なんだ…」
「今後も調査は続けます」
「頼む。私はしばらく、成りを潜めるしかないね」
一を得ようとしたら十を奪われる。貴族間の交渉の駆け引きがまさかこんな風に一般市民に向けられるとは露ほどにも思わなかった。悪評で仕事が減るとかのレベルで済む話かと甘く見積もりすぎていた。貴族は自分への反乱分子を抵抗できなくなるまで容赦なく潰す。
アリストクラート=フェオダール=シュランゲ
彼は我儘が過ぎる男だが、国王からの信頼は厚く、有能な者しか与えられない宮廷魔術師の称号も得ている。魔王軍との戦争となれば、魔術部隊の長として指揮を執りしきっていた一族の末席。その手腕は計り知れない。きっと真実を言った所で誰も信じてくれはしないだろう。
「シエル。無事でいてくれ」
ルフトは病院の窓から見える今にも雨が降りそうな鉛色の曇天を心配そうに眺めた。
※
大通りを一本入った裏道に、雑多な古本屋があった。空を眺め、雨が来ることを悟った店主は外に積まれた本たちを店内に避難させていた。
「くっそぉ。ここ最近いい天気だったのに。虫干しもままならねぇな」
一通り中に積み込むと閉店準備を始める。こんな裏道にある店に好き好んでやってくるのは、珍しいものが好きな学生や魔術師くらいで、雨が降れば誰も外には出たがらない。閑古鳥が更に鳴く。光を発生させる魔石だってタダではないからと早々に店仕舞いを始め、ほとんど日光の入らない窓を端から順に閉めていく。最後に扉に錠前を掛けようとして、雨がバケツをひっくり返したように振り出した。
「間に合ったか。しかしまぁ…嫌な降り方だ」
この様な激しい振りでは、低地の街は水が上がってしまうかもしれない。下水が完備されているとはいえ、溢れてしまうと感染症の恐れもある。田畑を耕している者たちは、様子を見に行って増水した川に流される。街の外に出ている冒険者たちも、逃げ場がなければ体が冷えて体調を崩す者もいるだろう。
「さてと…晩飯は昨日の残ってるスープと…」
店と繋がっている自宅への扉に手を掛けた時、店の扉からノック音がした。コツコツと雨の音に掻き消されそうな小さな音。下手したら聞き逃しかねないほど、小さな音だった。
「なんだ!うちはもう店仕舞いだ!他所へ行きな!」
大きな声で言っても、コツコツという音は止まない。店主はカウンターの強盗撃退用に置いてある両刃剣を掴んだ。これでも昔は冒険者として中堅くらいの腕があったから、もし強盗でも追い返せる自信はある。ゆっくりと扉を開いて、隙間から外を覗いた。そこには、見知った緑髪の青年が一人、ずぶ濡れの状態で立っていた。グズグズに濡れていて、泣いているのかどうかも分からないほどに顔から顎にかけて雫が落ちていた。
「シエル!?何やってんだ!おめぇ!!」
「ごめん。おじさん。ここしか思いつかなくて…」
「売りもんが濡れちまうから、隣の扉から入れ。俺の自宅に繋がってるから」
「ありがとう…」
店主は一度、店側の扉を閉めてから自宅へ繋がる扉を抜け、玄関口からシエルを招き入れた。
※
炎の魔石を薪の近くに翳し、店主は暖炉に火をつけた。いつもなら藁に火打石で種火を作り、時間をかけて火を起こすのだが、体の芯まで冷え切っているであろうシエルを早く暖めねばと思い、いつもは大事に閉まってある魔石を引っ張り出したのだ。
この魔石は魔法道具屋で売買されている優れもので、一般家庭にも最近普及し始めた体内の魔力を必要としない一品。つまり、魔法が使えない者でも火をおこしたり、水を出したり…日常生活における最低限の補佐が出来るのだ。昔は魔力を持つ人間にしか使えなかった代物だったのに、人の進歩は目覚ましいものがある。
呆然としているシエルを暖炉の近くに座らせ、服を脱いでこれに着替えろ。と店主はシャツを渡した。シエルは店主に「服とブーツを寄越せ」と言われ、最初は拒み続けていたが、纏わりつく衣服の気持ち悪さに耐えきれず、早々に脱ぎ捨て着替えた。店主は何処からか洗濯物用の紐を持ってきて暖炉の傍へ括りつける。慣れた手つきで、水を吸って重くなっているシエルの服を素早く干していく。一方シエルの方は、自分より体格のいい店主のシャツがダボダボで、裾は太ももの位置まで来ていた。袖も長かったので、三回ほど折り返し手が使えるようにする。その肌は日に焼けておらず、白い陶磁器のようである。思わず店主はまじまじと見つめ、禿げあがった頭部を撫でた。
「お前、本当に男か?」
「だから嫌だったんだよ」
「外套のせいで今までよく分かんなかったが…」
体の線は細いわ、色は白いわ、今は濡れ鼠のようになっているからか…弱々しすぎる。
「これで勇者と言われたら疑うだろうなぁ…」
「おじさん。心の声が漏れてるよ」
商会のお坊ちゃまとなれば、大事に育てられて来たのだろう。弱々しすぎるその体躯にため息がこぼれた。
「男は母親似だっていうけどなぁ…」
「容姿はそっくりだって言われてた。俺は覚えてないけど」
「緑の髪に緑の瞳か。この辺の人間じゃないな。どこの地方の人だったんだ」
「分からない…」
「なんだか色々事情がありそうだな」
暖炉に冷えた指先を暖めようと手を翳していたシエルの背中を眺めていた店主は、ふと思い出したようにキッチンの方へ行き、カチャカチャと準備をし出した。シエルも後に続こうとしたが、数年前にキッチンにかくれんぼで潜り込んだ時、モナカにこんな所で遊ぶなと怒られた事を思い出して、暖炉の前から動くのを止めた。別につまみ食いをするわけではないし、遊ぶわけではないが、包丁を持っていたモナカが怖くて、それ以来キッチンへ入るのに躊躇するようになった。結構モナカからのトラウマが多い気がするな…と記憶を辿ってシエルはため息をつく。
そんな思い出のあった家が一瞬にして爆散した。
心の準備もないまま、あんなことが目の前で起こされて、平静でいられなかった。気が付いたらその場から逃げていて、街の中を駆け抜けた。何人かの人間に声を掛けられたが、それすらも怖くてひたすら走って逃げ回っていた。体が疲れきって走れなくなった所で、皆と離れたことに後悔した。何処へ行けばいいのか分からなかったからだ。頼れる友人もいなければ、頼りにしていた父は満身創痍でそれどころではない。最後に思いついたのが、いつも隠れてやってきていた古本屋の店主の元だった。
「ほらよ」
温かいスープの入ったカップを渡され、シエルは礼を言う。
「俺…誰かに頼らなきゃ何も出来ないんだな…」
「皆そうだろ?冒険者だって、パーティを組む時は相手に頼らなきゃクエストが達成できない事もある」
「おじさん…やったことあるの?」
スープを飲んでいた店主は腰に手を当てて鼻を鳴らした。
「これでも俺は、ギルドでもそれなりに有名だったんだぜ?【斧使いのアックス】って異名があったんだ」
「それが何で古本屋に?」
「遠征先で依頼報酬に金が払えないと言われてな。代わりに本を貰った。売ったら金になるって言われてな。試しに読んでみたら、それが凄いのなんの…のめり込んじまった」
店主は空を少し眺め、記憶を遡る。若い頃、何も恐れないその気概にどれだけの女が惚れてきた事か…。
「それから本を収集する癖が出来ちまってな。いろんな本を集めて、気付いたらこうよ。たまにクエスト受けて生活費稼ぎに行くがな」
「商人の職業だけじゃないの?」
「その時に合わせて付け替えるのさ。クエスト受けるときは…こっちの識別標識を使ってる」
エプロンのポケットから小さな箱を取り出して、中に仕舞われているピアスを見せた。それは冒険者を表す銅の金具と前衛の職業を表す燃える様な赤色のガーネットが艶やかに光を放っていた。
「俺くらいの歳になってくると、クエストだけ回して生活するのはキツイからな。二足の草鞋ってやつよ。ちゃんと登録しておけば、職業を複数持っていても大丈夫だ」
店主はいろいろ教えてくれた。
前衛職の【剣士】を持ち、後衛職である【魔法使い】の資格を得ることで、高位#職業__ジョブ__#【魔剣士】を持つ者もいる事。
後衛職の【魔法使い】を活用し、【商人】の職業を得ることで、魔法道具を扱う事の出来る【魔法屋】の店を持つことが出来るという事。
現在、存在する【勇者】の中にも複数の職業を有する者がいるという事。
それによって得られる利はとても大きい物だと、店主は説明した。【商人】の父からは聞いたことのない、現実の冒険者の言葉は心に強く響いた。
「おじさん…俺、ギルドに行ってみる」
「なんだ。急に」
「今のままじゃいけないんだって。印無しの無職のくせにって、もう言われたくない」
「だったらちょうどいい。一週間後、勇者適合試験がある。それに登録して来い」
シエルは頑張ろうと息巻いていたが、ここから試験前日まで、高熱を出して店主に迷惑を掛けるのは想像に難くなかった。