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無職(ニート)ー語りー

 商談の客人を素早く案内する為に、客間は入り口から最も近い所にある。扉は質素な作りではあるが、中にある調度品にはそれなりのものが並んでいた。国からの優良商人の証である盾が所狭しと並んでいたり、賞状が立派な枠に入れられて行列のように壁に掛かっている。そして、客人を迎えるために専用のお香が焚かれ、芳醇な花の香りが辺りを包んでいるはずだった。


「父さん…」


 目の前に座っている赤土色の髪と瞳を持ち、耳に下げられているイヤリングも商人の証である鉄の金具にシリトンの宝石がはめられていた。モノクルを掛けたいかにも商人風の格好で、その服には所々に血の跡と思われるような赤黒いモノがこびり付いていた。今はちょうど、額の辺りにガーゼを当て包帯で巻いている最中だった。首から下げられている真っ白な三角巾で右腕を吊り、その腕は何重にもぐるぐるに包帯で巻かれている。


「やぁ…シエル。元気にしてたかい?私がいない間、不便はなかったかな?」

「そんなこと言ってられる状態かよ!」


 父・ルフトはいつも帰ってくると必ず言う台詞を何事もなく言った。


 父は商人としての交渉もするが馬術にも長けていて、貴重度の高い商品は直接自分で荷馬車を操る。王都を目指した今回の場合、通常の商人であれば1週間かかる所を3日程で駆け抜けてしまう。故に、商人仲間で異名を持つ唯一の男【疾風のルフト】と呼ばれていた。彼の選んだ道はいつしか馬車街道として整備され、そちらの分野でも大きく貢献している。王都へ行く道に『ルフト街道』という名付けもされているくらいだ。その功績により、ギルドに対して少しばかり口利きが出来る立場でもある。


「いやぁ…参ったね。この腕だとしばらく手綱は握れないな」


 痛々しい包帯の上から右腕を擦るルフトに、シエルは何と言ったらいいのか分からなかった。ルフトの表情はいつもの穏やかなそれなのに、目だけは笑っていなかったのだ。


「…父さん。あの…」

「悪いが、シエル。使用人さんを全員ここに集めてくれないかな。とっても大事な話があるんだ」

「父さん…一緒に帰ってきたイディオは…どこ?」


 先程から、使用人の中で唯一生き残って帰ってきたという執事のイディオの姿が見当たらない事に気づいた。シエルにとっては兄のような存在で、腕っぷしが強い男。少し女性関係にルーズな所もあるのだが、そんなちょっと悪い所が、シエルの理想の片鱗でもある。


「イディオなら心配しなくていい。大丈夫だよ。私の雑用を頼んでいるだけだ」


 いつもの平穏な父の声が少しだけ、怒りを必死に覆い隠しているような。これから皆に伝えられるであろう話の想像までとてもじゃないが、シエルの思考は及ばなかった。


「モナカ…耳を貸してくれるかい」


 ルフトに言われ、モナカはそっと屈んだ。









「全員呼んできたよ」


 シエルはルフトの座る椅子の左手に立つ。ここからなら皆が見渡せるからだ。何かあれば手助け出来るだろうと思ったのだ。


 夜勤明けの所を叩き起こされた者もいるのか眠そうにしている使用人が数人いたが、使用人全員を招集する程のことだ。髪は寝癖だらけだが、意識だけはしっかりと保っている。他の商人であれば、100人を超える使用人を抱えてもおかしくないのだが、ルフトはその半数以下。30人のみ。そのうち、今回の輸送任務に割かれたのは6人でそのうち1人が帰還。今、残っているのは25人。

 1人ひとりの顔を見渡すと、ルフトは重い口を開けた。


「皆…今までご苦労だった。本日付で、我がコメルシアンテ商会は廃業となりました。この屋敷も土地も全て人の手に渡ります」


 23人の使用人達は互いに顔を見合わせてざわつき始めた。モナカだが、彼女はこの事を知っていた様に冷静だった。


「まさか…前科持ちの俺たちのせいですか!?」

「旦那様は何も悪くないじゃない!」

「これから僕たちはどうしたら…」


 口々に不安を吐露する使用人たちを静まらせるように、客間の扉がズズズ…と開かれた。全員の視線がそこに集中し、その先には浅黒い肌を持った金髪蒼眼の男が大袋を抱えていた。


「すんません。遅くなりました~。え?何?俺様、また何かやらかしちゃった系?」

「イディオ。その袋を私の傍に。モナカ、例の封筒を人数分持ってきてくれるかい」


 歩くたびに金属音の擦れる音がする大袋。かなり重いのかイディオはえっちらおっちらと声を出しながらルフトの元へその大袋を置いた。その頃にはモナカも封筒を両手いっぱいにしてルフトの隣に立っていた。


「色々あって詳しい事は言えないが、今回の事は君達のせいではないよ。己の過信が生み出した失態で看板を下ろさなければならなくなったんだよ」


 イディオに大袋から中身を出すよう指示をすると、そこからは片手でいっぱいになるくらいの小さな袋が口を紐で縛られている。


「この中には、ギルドの就活の際に必要な5銀貨と最低限の武器防具を揃え、一時の宿を得るための準備金50金貨。この袋の中に入っている」


 その場の使用人全員が息をのんだ。一般家庭で生活するのに月平均1金貨必要と言われ、それが50枚入っている。オマケに5銀貨ついてくる。しばらく遊んで暮らせる額でもあるのだ。


「しかし…私たちのような前科者が…そんな容易く受け入れてもらえるでしょうか」


 渋々と手を挙げて発言をしたメイドにルフトは優しく微笑みかけた。


「大丈夫だよ。この時の為に、ギルドへの紹介状を準備してあるんだ」


 モナカから一通封筒を受け取ると、それを使用人たち全員に見えるように掲げる。


「これは、私からのギルドへの上申書です。確かに皆さんは何かしら前科がある方が殆どです。ですが、それは生活をするために仕方なく行われてきたことです。人によっては、誰かを庇う為に濡れ衣を着せられ、投獄され、前科のついてしまった方もいるでしょう。そういう方たちの中で、そんな生活から抜け出したいと強い意志を持った方々だけを雇い続けてきました。ここには、皆さんのこの屋敷で行ってきた事が経歴として書かれていると言ってもいいです」


 一番左に立っていたメイドに声を掛け、傍に来させると使える左手で袋を掴み、その小さな女性の手に乗せて、封筒を手渡した。そこには、メイドの名前が書かれていた。


「貴女の仕事はいつも丁寧で、私が商談から帰ってきた時、いつも庭に咲く花を執務室に花瓶で綺麗に活けてくれていましたね。その優しさがとても嬉しかった。商人の資格を取って花屋さんなんて素敵だと思いますよ」


 メイドは嗚咽を漏らしながら泣き崩れてしまった。誰にも気づかれていないと思っていたその行動をルフトは知っていた。自分は前科のある犯罪者だから、屋敷の物を盗んだりしているだろうと決めつけていて、こんな自分の事を気をかけていないだろうと思っていたのに。続けてその隣にいたシエルが一番苦手としていた庭師の格好をした筋骨隆々の男に同じものを手渡した。


「貴方は最後まで口が悪かったけど、それは正義感が強すぎて上手く表せなかっただけなんですよね。シエルには嫌われてしまっていたみたいですが、あれはシエルに怪我をさせないように注意しただけなんですよね。私の愚息を、今日までありがとうございました。貴方なら前衛職で仲間を守るのに向いているかもしれません」

  

 庭師の男から鼻を啜る音が聞こえた。シエルからはその男の顔が良く見えていたので、目にうっすら涙の膜が張っていたのが分かった。


「おい!小僧!」

「ひぃ…っ!」

「街で見かけても、お前の顔は忘れないからな!悪さしてたらとっちめてやる!屋敷の外ならルール無視だ!覚悟しておけよ!」


 シエルに凄んでいる男を止めるようにモナカは手を打ち、泣き崩れているメイドを引っ張り上げた。


「今日中にこちらを明け渡さなければなりません。受け取った方は、順に荷物をまとめて出る支度をお願いします」


 ルフトは1人ひとりの良い所を挙げ、向いてあるだろう職種を挙げていった。一度、レールから外れてしまった者たちへの風当たりは強く、再就職となると難しい。ギルドではその辺りの審査が厳しく、どんな高度な職業ジョブを持っていたとしても、なかなかパーティを組ませてもらえない。優先順位は下がり、ソロで立ち回るか、酒場などで無頼漢たちを相手にサシの交渉をしなければならないのだ。そこに口利きの出来る人間からの紹介状があるとなれば、それはもう免罪符と同等だ。


「すげぇ…父さん。そんなに皆の事…見ていたのか」


 唖然としているシエルにイディオはにこやかに返した。


「お前のとーちゃんは凄いんだぜ。ちゃんとやり直せる人間とそうでない人間を見分けられる。こいつらは、チャンスさえあればしっかりやり直せるって分かってるやつしか雇わない。前に辞めてった奴もいるけど、ちゃんと次の職業ジョブを見つけられたやつだから。ま!俺様も出ようと思えばれ出られるんだけどね!」

「…今回の荷馬車で死んじゃった人たちも?」

「そうだな…あいつらも手が早かったり、口が先に出たりで色々だったけど、心根はいいやつらだった。助けてやれなかったのが心残りだな」


 そう話している間にも、最後の使用人のメイドが涙を流し、口元を押え、たった一言「ありがとうございました」と振り絞るのがやっとだった。そのまま宛がわれた自室に行き荷物をまとめるのだろう。モナカがルフトに向き直った。


「これで全員ですね」

「そうだね。モナカとイディオも…」

「坊ちゃんには、真実を話した方がよろしいかと」


 今、客間にいるのは家主のルフトとモナカ、イディオにシエルの4人だけだ。一瞬イディオの表情に影が差したように見えたが、シエルには何の事かまでは理解に及ばない。ルフトは痛む右腕を撫でながらシエルを見た。じっと見つめた。シエルは居た堪れなくなり、目を逸らすがそれでもルフトは見続ける。


「そうだね。シエルももう大人なんだ。知るべきだね」


 いや。いいです。知らないままで。だって、そんな前振りされたら怖くて仕方がない。


「今回の商談…王都への荷物の配達だったんだ。それは知っているよね」


 あぁ…もうだめだ。諦めよう。大人しく聞くしかない。長丁場になると考えたシエルは、父のソファの向かいに座り体勢を整えた。


「その荷物の中に、母さんに繋がる物があったんだ」

「母さんの!?」

「5年前失踪したと言われる母さん…ミリッツァ。彼女は…本当はある人物に誘拐されて、行方知れずになっていたんだ」


 その人物はあまりある権力でその事実を封殺した。周辺には、母親の失踪という事で憶測が飛び交っていたが、ルフトは『元々は冒険者だったし、風に任せて旅を始めたんだろう。そのうち、土産をたくさん持って帰ってくるさ』と言い続け、次第に人々はそれが真実として記憶の中に定着していったのだ。失踪というのも、商人以外ではギルドを介しての仕事でない限り、遠出したりすることはほとんどない。それ故に申請が無い以上、『定義上』失踪として受理するしかないのだ。冒険者崩れの盗賊たちや魔王配下の魔物もウヨウヨしていて、気軽に旅が出来るほど外の世界は甘くない。


「5年前…俺…その時期の記憶が曖昧なんだよ」


 シエルは消え入るように声を出した。情けない事に母の顔も姿も声も温もりも、何も覚えていない。ただ、『母親』という存在がいるのだとルフトから言い聞かされていただけなのだから。


「それは仕方のない事なんだ。ミリッツァがそういう『まじない』を施していったんだから」

「え?」

「ある人物に連れていかれる前に、今後お前に危害が及ばないように…ね」


 突然の事実にシエルは二の句が告げなかった。自分は母親の顔も覚えていないし、一緒にいた記憶もない。そういう薄情でダメな息子なんだと思っていた。それが、意図的に行われたことだとしたら…


「俺…容姿が母さんに似てるって事しか知らなくて…」

「さすがに容姿は変えられないから…でも、父さんは嬉しかったよ。シエルは母さんが確かに存在したんだっていう証でもあるからね」

「誰が…誰が母さんを誘拐したの?なんで連れていかれなきゃならなかったの?」

「それは…」


 ルフトが逡巡してシエルを見つめる。それは、同じ業を背負わせることに戸惑う親の目だった。


「この事実を聞いても、決して無暗に行動してはいけないよ?共有しているのは、イディオとモナカと私だけなんだ」

「…分かった。約束する」

「まだ確定は出来ないけれど、今回の荷馬車が襲われたのも、その人物が仕掛けた確率が高い…この人物にあったら逃げるんだよ?彼の名は…」


 一呼吸ついたところで、玄関からベルの音がした。まだ中にいたメイドの一人がおずおずと扉を開ける。そこには、純白のシルクハットにタキシード、差し色に入れられた薄紫色のYシャツ。光沢を放つ純白のロングブーツを履いた、蛇の頭が彫られている不気味な杖を持った紳士が一人じっと立っていた。


「…こんにちわ☆」


 紳士の左耳には、貴族を意味する意匠の込んだ銀の金具と上位魔術師を表すエメラルドの宝石が揺れていた。 







 

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