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受付

 白いシーツ。暖かい布団。硬くないベッドのマット。目覚めた時に背中や腰が痛くなることの無い、至福の時間。何者からも守ってくれるような温もりに、香ばしい匂いが嗅覚を擽る。シエルはゆっくりと瞼を開いた。


「おはよう。シエル」


 艶やかな黒髪が肩からさらりと一房零れ、それを細くしなやかな指先が、その髪を耳へとかける。その表情はとても柔和なモナカの笑顔だった。


「モナカ…おはよう」

「朝ごはん。出来てるけど」

「…起きる」


 シエルは緩慢な仕草で布団から抜け出し、部屋の中にある鏡で寝癖を整えた。寝巻きとして使っている白の部屋着のまま、リビングとして扱っている部屋に設えられている食卓テーブルへ腰を掛け、大きく伸びをした。


「明日はシエルの番だからね」


 ここはモナカが借りている平屋建ての家。ギルドの集団部屋に寝泊まりする予定だったシエルは、モナカに交代で家事を行うならと、引き取ってもらったのだ。ギルドのベッドは硬いし、狭いし、清潔感は今の比ではないし、食事に至っては天と地ほどの差である。


「どうしてギルドに寝泊まりしてるやつらは平気なんだろ」

「私に会うまでは、あそこの宿泊所、使ってたんだっけ」


 朝食となるプレートをモナカは二枚持ってきた。プレートには、テーブルロールと目玉焼き、ベーコン、サラダが綺麗な色どりで盛りつけられていた。


「食事だけはモナカにお願いしたいなぁ…」

「シエルがやったら酷いものだものね」


 一日置きに交代で食事の支度をやってはいるが、シエルの番になるとモナカと同じメニューにも関わらず、真っ黒の消し炭が出来上がるのだ。


「ま。サラダだけは出来てるから大丈夫よ。私、焦げてるの慣れてるし」

「ちょっと!ピーマンは入れないでって言ってんじゃん!」

「ちょっとは食べれるようになって。冒険者に好き嫌いは命に関わるわよ」

「うぅ…」


 前は父親がやっていた仕事を継げばいいと、楽観的に考えていた。でも、今は違う。冒険者として生きていくと決めたからには、やれることはやっていかなければならない。食べ物の好き嫌いを無くすことも大事だと、モナカにこの家に来た初日に言われたことだ。


「遠くの場所に野営しながら行かなければならない時。もし、お腹が空いていて、目の前にピーマン畑しかなかったらどうするの?」

「分かった!分かったから!」


 家事をすることは、冒険をする際に必要な基本が詰まっていると、モナカは説明してくれた。冒険者になることに躍起になっているシエルにとっては、『冒険』とつくものには非常に貪欲になっている。それを利用されている気もするが、シエルも文句をは言えない。勇者のクリミネルが待っているのだから。

 意を決して、シエルはピーマンを口にした。あの苦々しい芳香が口の中を支配して…来なかった。


「苦く…ない?」

「やったじゃない!シエルも大人の舌に成長したのね!」


 モナカは手を叩いて祝福した。当のシエルは、屋敷にいた時は一切食べれなかったはずの憎きピーマンを見下ろした。


「大人…?大人…なのかな?」

「夜にはニンジンのグラッセ、作ってあげるから!屋敷にいた時は、一口も食べてくれなかったものね」


 モナカは喜んでくれているし、結果的には良いことのようなので、シエルは納得することにした。そして、シエルは機嫌のよいモナカに、ずっと聞きたかった事を口にする。


「モナカは…なんでずっとメイド服なの?」


 そう。モナカはシエルが見つかったその後も、ずっとメイド服を身に着けたままでいるのだ。モナカは特に気分を害することもなく、笑顔で答えた。


「私、このメイドの制服。好きなのよ」


 特に深い意味はないようだった。





 ギルドの管轄に『職業安定所』は、一度職業ジョブに就いたものの、実践でやってみたら具合が違った。死にかけてその職業ジョブから離れたい。適性はないけれど、どんな職業ジョブなのか学び、仲間の気持ちに立ってその職業ジョブの大変さを実感したい物好きなど…。職業ジョブについて学び、ギルドへの定着率を上げるための所だ。もし、生涯に得られる職業ジョブが一つだけと、最前線に立てなくなった前衛職は一生を捨てることと同義でもある。その状況を少しでも減らし、どんな形であれ、魔王軍と戦う意思のある者を手放さずにいられる『職業安定所』は、全ての国民を戦力として数えなければならない危機的状況をも示唆するのだが、現在の所、その事について言及する者はほとんどいない。冒険者達も、いざとなれば別の逃げ道があるという安心感から利用してる者が多いのも現実だ。

 シエルはギルドの職安登録受付へと足を運ぶ。


「おはようございます」

「おはようございます。識別標識の確認を宜しいでしょうか」


 シエルは右耳に付けられている識別標識・イヤリングをよく見えるように髪を耳にかけた。銅らしい鈍い光の反射が、シエルを一市民と認める証。


「ありがとうございます。本日は前衛職の剣士の部ですが、宜しかったですか?」

「はい。お願いします」


 受けられる授業は国から派遣される人物により、不定期に開催される。前衛職には、国の防衛を担う下位騎士が。魔術講師に至っては、派遣されてくる下位の宮廷魔導師が先導する。なぜ上位がいないのか…という疑問が出てくるが、上位の者は基本的に国王の傍にいるのが通例である。つまり、魔王からの防衛結界や警備に忙しい。極稀に上級職の人間がやってくることもあるが、予約が必須。そして、ある程度、実績を上げた者しか受けられないという敷居の高さもあるのだ。

 受付のエルフは、シエルに木刀をひとつ手渡した。


「本日は、こちらの模擬刀を使います。ギルドの裏手にある庭へお願いします」

「参加者は俺だけですか?」

「あなたを含めて5名です。勇者試験の後ですから少ないように見えますが…まぁ、多い方ですね」


 勇者試験期間中は、様々な街から冒険者たちがやってきて、物見遊山で授業を受けることもある。国王の住む街からもっとも近い商人の街・マーチェンドは、特に授業の質も良い事で有名だ。その参加者は100名とも言われ、人気授業には1000名を超え、講堂からは人が溢れだして、何回かに分けて行われるほど。


「毎年、あの期間は地獄ですよ」

「ギルドの職員も大変ですね」

「いつもが平和ですから。さぁ、そろそろ始まりますので急いでください」


 職員のエルフに促され、シエルは木刀を両手に抱いて走った。実はこの木刀。結構重い。


「俺…この模擬刀、扱えるかな…」


 職業安定所通い初日から、シエルの不安は的中することになる。



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