講習と再会
シエルはその後、試験前に宛がわれた部屋に戻り、床に就き、朝を迎えた。当初の時とは違い、部屋には一人。小鳥の声が耳に届き、閉じていた瞳を開いた。
「今日は…会えなかったな」
同じ時間に眠りにつくと、出会えると言ってくれた女性。彼女に出会えなかったという事は、その時間に眠らないという事。シエルは鬱屈した感情を抱きながらも、布団からゆっくりと起き上がる。朝の冷えた空気が肌を刺した。
今日から本格的に、冒険者としての日常が始まる。
※
シエルはリルルに説明された会議室に通され、木製のテーブルと椅子に腰を掛けて、説明会の講師を待っていた。その人物は剣術にも魔術にも長けたヒューマで、説明会からそのまま講習に移れるとの事で急遽雇った逸材だという。剣術にも魔術にも長けた人間など居るものなのか。少し疑問を持っていた。世間一般的には、ヒューマは知能は高いものの、エルフよりは劣る。体力面から見てもドワーフや獣人と比べたら見劣りしてしまうのだ。なので、ヒューマの基本的賃金は安い傾向にある。器用貧乏というやつだ。そのヒューマから勇者が排出されたというのは、凄まじい功績でもあるので、クリミネルの努力は並々ならぬものだと察することが出来る。
さて、時間になっても講師は一向にやって来ず、シエルは暇を持て余していた。支給された羊皮紙に羽ペンを持ち、ペン先を余分にインクに付けては垂らし、付けては垂らしを繰り返している。屋敷で取り扱っていた紙と違ってガサガサしていて、インクの染みもじわじわと紙を浸食していく。仕事の都合上、父が使っていた上質的な紙が、普通だと思っていたシエルにとっては驚きの発見だ。
「そもそも…書きとるような事、あるのかな?」
シエルはあまり家から出してもらえない子供だった為、家には常に本が山積みにされていた。最初の頃はそれが辛くて仕方なかったが、教育係を兼ねていたメイドのモナカが読んでくれた勇者の絵本から、本に興味を持つようになった。その絵本の勇者は7人で、力を合わせて魔王を封印したという。ヒューマの他に、エルフ、獣人、ドワーフ、精霊、ドラゴン、天使がいた。それぞれの長が力を合わせて戦う、在り来たりな物語で合ったが、それに凄く感動したのを今でも覚えている。そこから勇者奇譚や元・勇者の日記等、勇者に関するものを片っ端から読み漁るようになった。その読書量たるや、使用人たちも目を見張るものがあり、大丈夫なのかと心配する者もいた。この事から、知識的には物語の内容だけなら空で言えるほどに豊富である。
「まぁ…実際の勇者の試験も、本の内容とは別物だったし…違う事もあるか」
いい加減飽きも極まって来た頃、漸く部屋の扉が開かれた。最初にリルルが現れ、シエルに声を掛けてくる。
「お待たせしました~」
「待ちくたびれました」
「ごめんなさ~い。先生が突然拒みだしちゃって~」
余程の拒みようなのかリルルの片腕は扉の向こうで、誰かの腕を引っ張っているように見える。
「先生~!お願いします~!こっちは正式に依頼出したんですからお仕事してください~!」
「お金なら返します!だから、この人だけは!!」
「…どっかで聞いたことある声だな…」
シエルは椅子から腰を上げ、リルルの方へと向かっていく。そして、扉の向こうにいたのは、よく見知った人間だった。漆黒を称える闇のような長髪は、純白のメイドキャップが良く映える。そして、上から下まで黒を基調としたメイド服が、忘れもしないあの日の事を思い起こさせる。
「モナカ!?」
「くっ…。分かりました。ギルド長。やりますから。やりますから手を放してください」
「何で今もメイド服着てるの?」
「あんたの目印になるようにでしょ!?」
ずっと引っ張っていることに力を使っていたリルルは、モナカの抵抗がなくなり反動で室内に倒れ込んでしまった。尻もちをついたのか、痛い痛いと臀部を擦っている。
「あぁ…もう~。あとはお任せしますからね~」
リルルは不貞腐れながら会議室の扉を閉めていき、そこにはシエルとモナカの二人になった。暫し静寂の後、先に言葉を発したのはモナカだった。
「まぁ…あれね。シエルが無事で良かったわ」
「あの後、ずっと探してたの?」
「仕事をしながらだったけどね」
屋敷が無くなった今、仕事をしながらと言うのも当然で、むしろあの日から数日で出会えたのだから幸運と言えば幸運だ。仕事をしながら探せるような期間ではないし、照れ隠しで言っているのだろうとシエルは思ったが、あえて口にはしなかった。言ったらどうなるか、この体が良く知っている。
「でも、モナカが講師って本当?」
「あのエルフに嵌められたのよ」
「剣術と魔術が両方得意って話初めて聞くけど…モナカってメイドじゃん」
「あぁ…そういえば、まだ言ってなかったわね」
モナカも一応受けた依頼を遂行しなければとシエルを椅子に座るように促し、モナカは教壇に立った。背後にある黒板に白いチョークで板書していく。そこには、『魔法剣士』と綴られていた。
「魔法剣士ってどんな職業か知ってる?」
「えぇっと…剣術が使えて、魔術が使える珍しいダブル職業所持者。前衛も後衛も可能な万能タイプで、その貴重さから賃金も高めに設定されていて、引く手数多の人気の職業だけど、そんなに数がいなくて…。ねぇ、まさか」
「そのまさかよ」
その漆黒の長髪を搔き上げ、腕を組んでモナカは言い切った。
「メイドになる前の私の職業は魔法剣士・モナカ。若い頃は冒険者として……待って。シエル。怖がらないで。大丈夫だから」
突然の告白にシエルは壁際に逃げ惑い、ガタガタと震えあがって縮こまってしまっていた。ここの所、屋敷を爆破した頭の可笑しい貴族に出くわしたり、裏の顔が危険でしかないギルド長に出くわしたり、特に何の知識も経験もないのに「パーティに入ってくれ」という勇者に出くわしたり、シエルにとっては既にストレスで胃に穴が開いてしまいそうなほどの連続。そこにトドメと言わんばかりに自分の教育係を務めていたメイドが、実は冒険者と言われてしまえば、何者かの陰謀を疑いたくもなる。
「まさか…父さん…すっごくヤバい事してたんじゃ…」
「あの人は本当に、純粋に、人望であそこまでいった人だから」
「じゃあ、何で冒険者が俺の教育係やってんの?何を信じたらいいの?」
「そこら辺の記憶も飛ばされちゃってるのね…」
少し影の差したモナカの微笑に、シエルは胸が締め付けられた。昔の事を聞くと、いつもこの表情になって遠くを見つめるその姿が辛くて、幼いながらに避けていた過去の話。また会議室に静寂が訪れ、シエルは恐る恐るモナカの顔を覗き込んだ。はたと目が合い、モナカはいつもの毅然とした表情に戻った。
「さて、私も依頼だから、シエルにしっかり冒険者のノウハウを伝授していくわよ」
その切り替えの早さに少し困惑してしまったが、シエルは慌てて椅子に座り、板書をしていくモナカの背中を眺めた。この流れは、屋敷で学習をしていた時の名残と言うべきか。すぐに適応してしまう自分に驚きつつも、シエルはやっぱり彼女の元で学ぶのが好きなのだと改めて感じた。
そして、黒板には『識別標識の素材区分け』と題され、その下に『金 銀 銅 鉄』と書かれていた。
「この区別はつくかしら?」
少しばかり、しどろもどろしながらもシエルは答える。
「鉄は商売をやっている人たちで父さんがそうだった。銅は一般市民やギルドに所属している冒険者。銀は貴族で、金は王族と勇者のみに与えられる」
「そうね。一般的に周知されているのがそれ。しかし、一般市民と冒険者を分けないと、非戦闘員と戦闘員の区別がつかなくなるわよね」
「ギルドに所属している冒険者は、それぞれの職業に合わせた宝石をつけている」
「正解。貴族にも職業を所持している者には宝石を付けるように言われているわ」
銅の文字の横から線を伸ばし、宝石の名前をモナカは書いていく。カツカツと刻まれるその音に、シエルは飲み込まれていく。
「この宝石の区分けは、昔のままだけど分かるかしら?」
「えっと…前衛の職業には、赤。ガーネットが支給されて、後衛の職業には、その内容によって宝石の色が違う…」
「そうね。前衛は基本的にガーネットを身に着けている。それが分かっているなら、シエルには後衛について詳しくやりましょう」
本来、この講義は12歳以下の子供が市民権を得るために受ける内容なので、理解している分は飛ばしていくようだ。今回、シエル一人で講習を受けるのも、リルルのそういう気遣いがあってこその物なのかもしれないと、シエルは今更ながらに感謝した。今まで受けていなかったと同じ講義を受けた子供から、何を言われるか分からない。
「まず、魔術には二つ。白魔法と黒魔法があるわ。白魔術には水色のアクアマリンが支給され、黒魔術師には紫のアメジストが支給される。また、魔術とは少し違うけれど、信仰形術師に分類される司祭やシスターはラピスラズリを支給される。ちなみに、王のお膝元で使えている宮廷魔術師は深緑のエメラルドを特別に宛がわれているわ」
モナカは一通りの図形を書き終えた所で手を止めた。チョークを置き、両手を叩いて粉を落とす。
「そして、私のような魔法剣士は特異で希少なため、区割りに入ることが出来ない。よって、識別標識を二つ付けることで事で周りに周知させるのよ」
「…ってことは、とりあえず、赤と水色と紫を覚えておけばいい感じ?」
「身も蓋もないけど…まぁ、一般的なのはその三種類だからそれでいいわ」
そして、ドアをコツコツと打つように拳で軽く黒板を、モナカは叩いた。
「問題は黒魔術師。シエルがこれを目指すかどうかは分からないけど、極めれば極めるほど強くなるけど、精神が崩壊する恐れもあるの」
「うそ…」
「本当よ。黒魔術に傾倒し、なれの果てが死霊魔術師だと言われているくらいには。魔術は強力な分、その人の精神性に大きく依存する」
魔王に見初められた黒魔術師達は、孤高な者も多く、人からの認知にも強く渇望する者が多い。その隙を狙われることで、人は簡単に闇に落ちる。
「そして、魔術にも二通りあるのは知ってる?」
「直接攻撃だけじゃないの?」
「敵に直接攻撃するばかりが魔術師じゃないわ」
モナカは両手を掲げて、何もない空間から突如、剣を召喚し、それを右手に取ると、左手から橙色の向こう側が透けるほどの美しい炎を立ち昇らせている。
「武器への属性付与」
左手で剣を撫でると、その剣は炎を纏い、轟々と燃え盛っている。シエルは、それに見惚れ、暫し呆然としてしまった。
「属性付与っていうのが結構難しいの。大技放てば終わりの魔術とは違って、維持しなければいけないから」
「モナカって凄かったんだね」
「何を今更。とにかく、詳しい事は職安での受講の時に聞いて頂戴」
「しょくあん?」
「知らないの?職業安定所」
両目を見開き、驚きの表情でシエルを見つめた。
「職業を得るためには、その職業にあった授業を受けて試験に合格しないと、識別用の宝石は支給されないわ」
「じゃあ…俺ってまだ…」
「ただの一般市民と同じ。このまま職安に行かずにギルドを出れば、晴れて一般市民として大腕を振って歩けるの。納税義務も発生するけどね」
「納税義務!?」
「勿論、冒険者もギルドでクエストを受けても、所得税としてクエストの難易度に応じて掛けられているわ」
「もしかして、その納税の方が大事な話なんじゃ…」
「安心して。これからみっちり叩きこんであげる。だって、講習は合わせて一週間あるんだもの」
ここでモナカは今後の予定を口にした。初日の今日は、識別標識と職業の関連性について。二日目はクエスト受注の仕方と依頼の出し方。三日目はギルドに所属しない一般市民になる場合に置ける義務と権利。四日目に冒険者の義務と権利。五日目から七日目は簡単な基本実践模擬講習だと伝えられた。この一週間を通して受けた内容を、最終日の七日目にテストするという。
「良かったわね。シエル。顔見知りがワンツーマンで講師してくれるんだから」
ここから先は、あまりに過酷すぎる為に描写を省かせてもらうが、モナカの厳しい指導のもと、シエルは無事に講習を合格は出来た。だが、これからどの職業を受講するかを考えねばならず、頭を抱えることになる。
シエルはその日からモナカが借りている家に身を置かせてもらう事が出来、その日暮らしのギルド部屋からの脱出には成功。冷めた配給から温かい食事へと変わった事により、父がいた時に置かれていた環境がどれほどの幸福だったのか、改めて身に染みた期間でもあった。ただ、迎えに来るといったクリミネルに会うのが難しくなり、リルルに言伝を頼む他無くなってしまったのが、シエルの心残りである。
そして、シエルはこれより、自分の適性となる職業を見つける為、ギルドの運営する職業安定所に通う事となる。