第二試験
最初にサイコロに触れたのは、意外にもハリスだった。
「ととと…特に仕掛けも魔力も感じられないんだな…」
「ただのサイコロですから」
リルルの呟きにクリミネルはクスクスと笑う。クリミネルが代わりに説明を始めた。
「これからやるのは、本当に運のゲームっす。投げても叩きつけても転がしてもいい。ただ、出目を揃えるだけの簡単な試験っすよ」
「大事な試験をゲームで決めるの!?」
一番最初に叫んだのはシエルだった。自分が思っていたより大きい声が出て、先程の傷口がむず痒くなり咽てしまった。クリミネルは背中を擦って落ち着くのを待つ。
「勇者様…いえ、今は傭兵ですね。その方の言う通り。ゾロ目が出れば合格です」
「リルルちゃん…いくらなんでもおふざけが過ぎねぇか?」
「サイコロの目すら揃えられなければ、それまでの運という事です」
ダリスの言葉をばっさりと切り捨て、リルルは二つのサイコロを手にした。そして、ダリスの手にそのサイコロを置く。
「では、冒険者・ダリス。どうぞ」
「い…いきなりか…」
あまり納得はいっていないが、逆らった所で試験内容は変わらない。ダリスは意を決してサイコロを地面に優しく転がした。コロコロと転がるサイコロは同じ方向へと進み、机の脚にぶつかって止まった。出目は2と6。
「リ…リルルちゃん。丁半は?」
「関係ありません。同じ目でなければ不合格です。お疲れさまでした」
リルルは禿げあがったダリスの頭に手をかざすと、ダリスは突然膝から崩れ落ち、顔面から床に叩きつけられた。気を失ったのか、ピクリともしない。それに脅えたのはシエルとハリスの二人。お互いを抱きしめあい、震えあがった。
「ななん…ななな…」
「ギルド長さん!?何したの!」
「勇者試験の第二試験以降は絶対機密なので。外部に漏らされては困るので、記憶を一部消去しました」
さらりと怖い事をいうリルルだが、確かにこんな試験方法だと分かってしまっては、何かしら対策やイカサマをしてくる人間もいるだろう。そうこうしているうちに、リルルはサイコロを拾い上げ、ハリスに渡した。
「次は、冒険者・ハリス。どうぞ」
「え…えぇいい!記憶を消すときは、横になってからにしてほしいんだな!」
下手投げで振り回したサイコロは天井と床、別々に叩きつけられた。とんでもないコントロール力である。そして、床に転がったサイコロは3。天井から落ちてきたサイコロは遥か遠くに転がり、壁にぶつかって止まった。リルルが審判の為に出目を確認すると、そこには3が出ていた。
「冒険者・ハリス。合格です」
「や…やったんだな!」
「では、次。冒険者・シエル…えぇっと…クリミネル」
「はいはい」
クリミネルは何の躊躇もなくサイコロを机に転がした。机の中に納まったそれは1と1。ピンゾロである。
「冒険者・シエル・クリミネル。合格です」
これに対して、突如ハリスは抗議の声を上げた。
「こここ…こんなのイカサマなんだな!1のぞろ目が…しかも、ボクの後に続いてとか!」
「偶然すよ。偶然、今、この瞬間に、僕はぞろ目を引いただけっすよ。運だけは強いんで」
犬のような唸り声を上げるハリスを尻目に、クリミネルは最後の受験者、シエルにサイコロを渡した。
「シエル君。最後にどうぞっす」
どうせダメなら思うようにやろう。そう思い、部屋の隅からぶん投げてやろうと移動しようとしたら、横たわっていたダリスに蹴躓いた。頭から倒れ込んでしまい、猫が尻尾を踏まれたような声が出た。二人が慌ててシエルの腕を掴み、助け起こす。合格者の余裕が見て取れた。
「今日は死にかけたり…踏んだり蹴ったりっすね」
「キキキ…キミはどうしてそうなんだな」
「いてて…。あれ、サイコロ…」
倒れた拍子に手を離れてしまったらしいサイコロは、少し先の床で転がっていた。シエルは蒼褪める。まさか、こんなハプニングで不合格になるなんて…ダリスを恨まずにはいられないだろうが、試験中の記憶は消されるらしいし、そういう感情も沸かなくなるのだろう。そう思ったら、怒りも何もないわけだが、今横たわっているダリスに平手で何発か当てて八つ当たりしておくに越したことはない。床に転がったサイコロを見たリルルは、感情のこもらない声で言った。
「冒険者・シエル。不合格です。1と3。お疲れさまでした」
二人も駆け寄ってその結果を見る。
「ホントっすね」
「こここ…これも運なんなんだな…」
「あぁ~。ダリス。俺は一生君を恨むからね…」
リルルはサイコロを拾い上げて箱の中にしまうと、横たわっているダリスを除き、三人に向かって今後の説明を話し始めた。
「今日は色々あってお疲れかと思います。勇者の在り方、権利、役目、補償など、明日に説明させていただきます」
それにクリミネルは手を上げて、話をとどめた。
「僕は既に知っているんで大丈夫っす。このまま延長手続きしてもらえれば」
「分かりました。勇者のいない期間が長くあるのは、人類の危機でもあります。では、手続きの為に、この部屋に残って下さい」
「了解っす」
「俺の記憶は…」
「シエルさんは効きにくい体質なので、後でゆっくりと…」
「あ…はい」
ハリスとシエルはその部屋から出ると、外で待っていたエルフの男性が今日の休憩所に案内してくれた。途中でハリスとは別れたが、行く先の廊下には豪華な調度品が並べられていて、特別な部屋へと案内されているのは、目に見て分かった。シエルは「こちらです」というエルフの男性に言われるがまま、前に入室した相談室へと通される。
「勇者様とのお話が終わりましたら、ギルド長がこちらに参ります。それまでお待ちを…」
「分かりました」
シエルは革張りのソファに座り、早くリルルが来ないかと、首を長くして待つことになった。
※
白い漆喰の部屋で、リルルとクリミネルは対峙していた。リルルの目はとても厳しい。
「どういうことでしょうか」
「何が?」
「あなた、イカサマをしましたね」
誰もいないこの部屋で、クリミネルは舞台に立った時の勇者の口調で、リルルに返事をする。
「イカサマも何も…。僕は本当に運で決めたんすよ?」
「シエルさんが投げる前に、イカサマを仕込んだでしょう?」
「そんな…そういうのは彼がいる時に言わなければダメっすよ。そもそも、僕は何もしてないっす」
やれやれと首を横に振って、リルルを一瞥するが、リルルの表情は硬いままだ。
「サイコロから微量の魔力を感じました。貴方の色です」
クリミネルは豪快に腹を抱えて笑い出し、リルルを睨みつけた。
「だからエルフは嫌いなんだよ」
その柔和な顔が一変して引きつったような鋭い眼光になり、口調も壇上に立った時の勇者としての風格を持った固いモノになった。リルルも知っている、クリミネルの本性だ。自分よりも強い魔物を倒す時に現れる獣のような本性。勇者になる傭兵時代、パーティを組んだ冒険者から何度か報告されており、その好戦的な性格は人類の一助となるだろうと、放ったままにされた隠れた爆弾。さすがに此度の試験に私的介入があるのは、リルルとしても見過ごせなかった。
「あなたの不正は見逃せません。早急に勇者の職業を剥奪します」
「そんなこと出来ないでしょう。勇者の解任には、国王とその臣下の半分の許可が必要です。それか、死のみ。僕を今、殺しますか?」
「くっ…」
それが出来れば、どんなに楽だろう。今、生きている勇者はこのシエル・クリミネルただ一人。有事の際には、国王からの厚い信任の元、活動が許される男だ。彼を手に掛けたとなれば、エルフ一族の未来さえ危ぶまれてしまう。クリミネルはまるで演説でもするかのように、部屋を身振り手振りを加えながら、ゆっくりと歩き出した。
「僕は以前から思っていました。『勇者は各個にて魔王の討伐を任ずる』おかしいと思いませんか?力のある者同士が手を取り合えば、簡単に死んでしまう冒険者を雇う必要なんてないんです」
「それは…」
「雇用均等法…でしたっけ?あってないようなそんな法律の為に、僕たち勇者は仲間を選ばなければならないその結果が、5年前の失敗ですよ」
クリミネルだけが知っている魔王城での後の事。クリミネルに付き添い、人類の為をと身を粉にして戦った仲間たちは、敵前逃亡を図ったのだという。魔王を前にして、恐怖に慄き、逃げ出した。死亡した1人を除いて。
「…魔王に立ち向かって戦った僕を、彼らは見捨てたんですよ。勇者は死にたくなくても、死ぬまで戦わなければなりません。逃げれば死罪になるからです。でも、他の奴らは違う。嫌なら逃げればいい。そんな不平等が許されますか?」
「その事も込みでの、勇者への手厚い報酬が用意されています」
「あんな端金で死ねって?僕たち勇者は、その報酬で冒険者を雇って戦ってるんです!ほとんど雇用費に消えてしまいますよ?それが現実なんです」
「魔王を倒せば…一生を安泰に暮らせると言われてもですか?」
「あんた達、内勤の人には分からないでしょう。現場って、そんなことで動いたりしない。結局は将来の事より今なんですよ。今の勇者の職業は理想でしかない。それに気づかず、死んでいった他の勇者が哀れでしかない」
演技がかったその動きに、リルルは顔を顰めた。確かに、勇者は業に縛られる厳しい職業。その為に与えられる報奨や権力、補償がどんなにちっぽけなものか。それは頭の中では分かっている。それでも、彼らには戦って貰わなければならない。
「僕って執念深いんですよ…。僕を見捨てて逃げて、平々凡々に身を隠して暮らしていた『元』仲間を見つけ出し、復讐するのに5年掛かりました。長かったですよ。どいつもこいつも自分の目先の幸せばかり…信じられますか?」
勇者に支給される必要物資など、全て国民の税金から賄われている。その雇われた彼らも、その税金から雇用費を受けていただろう。国から支給された防具も武器も、全ては国民の協力の元にある最高級品だ。勇者のパーティに加入することで得られる支給武器を売れば、それはとてつもない価格で売買される。しかし、パーティを抜けても返却義務がない。死ぬことを前提として作られたルールだからだ。敵前逃亡にして命からがら逃げのびたのだとすれば…。クリミネルの気持ちも分からなくもない。
「全てが片付いたので、僕は戻ってきました。もう一度、勇者試験を受けることで、新たな『本来あるべき姿の仲間』を探すために」
「それが…シエルさんを勇者にしない為のイカサマですか?」
含み笑いをしたクリミネルは、「おっと、失礼」と思ってもいない謝罪をした後に言う。
「ハリスとかいうのは…確かに上級魔術師としては優れているでしょう。でも、彼は勇者になる器じゃない。野心が強すぎる。しかし、シエル。彼は使えます。だって、『死なない体』なのだから」
「…聞いたのですか。彼の事を…」
「ドルイド…でしたっけ。不死の一族。有効利用すれば、彼は最強の武器になりますよ」
正確には、死んでも生贄を得ることで生き返る一族ではあるが、クリミネルは確かに見たのだ。自然の生き物の命を吸う事で、傷口を塞いだ所を。
「生贄が必要なのは文献で知っています。ですが、彼は死ぬ前の段階で自分の体を修復出来るんですよ。人間にとって一番邪魔な感情は死による『恐怖』ですから。まだ認知できていない彼の能力を引き出せば、本人自身が武器にもなりますし、彼がいれば死の『恐怖』に脅えない騎士団が出来る。そうすれば、魔王の軍団にだって簡単に勝てますよ?」
「蘇生の際の生贄は…どうするつもりですか?」
「それこそ国民の義務にすれば良いのです!有事の際には、命を差し出す覚悟を持ってもらわないと。僕たち勇者だってそうですからね。戦えないなら戦えないなりに、犠牲になってもらわないと割に合いません」
「そんなの…死霊魔術師となんら変わらないじゃないですか」
「そんなやつらと一緒にするな!」
これが、リルルの描く、人間の行き着く最悪のシナリオ。権力を持った者の暴走は、人の全てを狂わせる。
クリミネルは自分の考えに絶対の自信を持っている。一度でも魔王の元に攻め入った勇者の言葉になら、この話を国王にすれば、彼は耳を傾けるだろう。そうなれば、ギルドも一層大きく様変わりを余儀なくされる。
「私は…最後まで貴方の意見に反対します。1人の人間を道具にするその行為を許すわけにはいきません」
「別に構いませんよ。でも忘れてませんか」
すっと細められたその眼光は、ドラゴンすらも射殺さんばかりの殺気を放っていた。
「僕たち勇者は、国王貴族とほぼ同等の発言力がある。ギルドの頭なんて簡単に変えられるんですよ」
部屋を出ていくクリミネルを止める事も出来ない。リルルは殺気にあてられて、身動きが取れなかったのだ。扉が閉まりきった後、残されたその部屋で膝をつき、座り込んだリルルの瞳には涙が溢れていた。
「う…いってぇ…ここは…って、おい!リルルちゃん!何で泣いてんだ!?」
「…だから……ヒューマは…嫌いなのよ…」
忘れ去られて床に転がっていたままだったダリスが目を覚まし、よく分からないままに泣き続けるリルルを宥めることでしか、今の自分の存在価値が分からなかった。