試験開始
青い空。白い雲。緑の映える開けた草原の大地。冬の訪れを感じさせる冷たい風が、何とも言えない寂しさを増長させた。
「偉大なる母よ!愚かなる贄に大地の賛美を!『グランドクラッシャー!!』」
ハリスが詠唱をすんなりと唱えれば、大地が隆起し、標的となるベアウルフの群れの足場を崩した。何匹かは隆起した地面に押し潰されて口から血を吐いて圧死。それを避けた二匹がハリスに向かって突っ込んできた。
「行かせねぇよ!」
ダリスは斧を思い切り下から上に振りかぶり、一匹の首を跳ねた。その胴体はその場で崩れ落ち、首は宙を舞う。そして、その首は飛びに飛んでシエルの足元に落ちて転がった。
「ひぃ!」
ゴトリと鈍い音をさせて、口からは舌をだらりと垂らしている。これが先程まで生きていた魔物なのだが、事切れる時は一瞬なのだと物語る。判断ミスをすれば、次は自分がこうなるのだ。
「こっちも終わったっすよ」
クリミネルも配給されているスチールソードでベアウルフの首を跳ね飛ばし、尻尾の切断に入っていた。ダリスも地面に押しつぶされているベアウルフの尻尾だけを切り出し、腰の麻布の中に入れていく。ベアウルフは剛毛でその骨も太く、加工すれば矢じりに使える為、出先の冒険者にはもってこいの素材だ。筋肉質ではあるが、火を通せばさっぱりとした口当たりの美味な肉を持ち、ウリベアに並ぶ美味さだ。ちなみに、ウリベアを家畜化したものが食用として、街の人々に愛用されていたりもする。配給されている干し肉は庶民の台所・ウリベアの肉で、ベアウルフは旅の最中の冒険者の非常食…と言った所である。
「結局、何匹やったんだ?ひぃ、ふう、みぃ…」
「6匹居たっすよね。こっちは尻尾二本取ったっすよ」
「俺は三本。一本足んねぇな。潰れちまったのか?」
「もう数は足りてるし…次に行こうよ!」
シエルはなるべく見せまいとはしているが、膝も腰も肩もガタガタと震えている。寒さもあるのだろうが、それ以外も絶対に影響している。
「こここ…後衛でボクを守るって話…やっぱり期待出来ないんだな」
「悪かったなぁ!短剣握るのも初めてで!」
二人は未だに地面の隆起の中を探しているのを他所に、シエルはハリスと言い合っていた。
「ススス…スライムは物理が通らないから仕方ないにしても、べべべ…ベアウルフに立ち向かえないとか…ないんだな」
「うるさいなぁ。何かあっても助けないからね!」
「こここ…後衛のボクらは、詠唱中守って貰えないと役に立てないのは分かってるから良いけど…ききき…キミの場合は何が出来るかも分からないから困るんだな」
今回の戦闘の際もそうだったが、突如現れた魔物に慌てふためき、短剣を取り落としてしまった。危ないから下がっていろと言われたが、もし、試験項目の中に『仲間との連携』があった場合、落第は必至である。
「ハリスもダリスもいいよね。識別標識…だっけ、イヤリング付けてるから多少有利じゃん」
「キキキ…キミだって、付ければいいんだな。あ…再発行間に合わなかったんだったな」
「すっげー嫌味だね。だから誰もパーティに入れてくれないんでしょ?」
「わわわ、分かったような口を利くな!なんだな!」
ハリスが杖を振りかぶってシエルを叩こうとしたその時だった。クリミネルが「まだ一匹生きてるぞ」と叫んだのだ。シエルは隆起した地面の隙間から、リーダーと思わしい大きな体格をしたベアウルフが身を捻りながら飛び出してきたのを見た。そのベアウルフを薙ぎ払おうとダリスが斧を下ろしたが間に合わず、すり抜けてこちらに向かってくる。シエルは咄嗟にハリスを背に庇い、ベアウルフの前に立った。全ての動きが、ひとつひとつ切り取られているように、ゆっくり見えた。あの大きく鋭い牙が、短剣より大きく、鋭くて。気付けばシエルの首に、ベアウルフの牙が食い込み、飛びかかられた勢いで吹き飛ばされた。ハリスが尻もちをついて、呆気に取られているのが、視界の端に映った。
痛いより先に熱いが来た。
苦しいより先に心臓が跳ねた。
両肩にベアウルフの爪が食い込んで、痛いはずなのにそこすらも熱いと感じる。
喉の奥から何かが溢れてきて、それがとても苦々しい鉄の味がして。
ベアウルフの獣の臭気が、嗅覚を刺激した。
先程まで感じていた重みが体から取り除かれたのか、全身が少し楽になった気もする。シエルは遠のく意識の中で、体の中に何かが流れていくのを確かに感じていた。
※
「おい…これ、どういうことだよ」
ダリスはただ驚愕した。シエルに馬乗りになっていた体の大きいリーダー格のベアウルフを斧で薙ぎ払い、首を叩き落とした。その下には草を血で真っ赤に染めているシエルが横たわっている…はずだった。手練れのダリスでさえ、あの襲われ方ではシエルは死んだと思ったのだ。今までの経験上、あの鋭い牙で首に風穴が開き、呼吸もまともに出来なくなって、首に通る血管を食い破られて出血死。そうなるはずだったのだ。なのに、シエルの首には風穴ひとつ開いていない。出血の跡はあるのにだ。
「ままま…周りの草花…枯れてるんだな」
シエルの体の下にある雑草だけではなく、周囲数メートルの草花が茶色く変色をして、水分を失くしたように枯れていた。クリミネルはシエルの肩を揺すって声を掛ける。
「シエル…シエル!聞こえるか!」
「……うっ…」
遠くに飛ばしていた意識が戻って来たのか、シエルは少しだけ身じろいだ。指先を少しだけ動かして、次に腕を上げてみる。そして、先程受けた傷を確認するように、首に指を這わせた。
「あれ?」
確かにさっきまで猛烈な熱に襲われて、身動きも出来なかったのに。シエルは上体を起こし、三人の顔を順番に視認した。ハリスもダリスも、まるで幽霊を見ているかのように、その目が脅えていた。クリミネルも呆気に取られたかのようにシエルを見ていた。
「俺、さっき…うわっ!一張羅なのに血まみれになってる!?どうしよう!」
「心配するのはそこかよっ!」
思わずダリスは声に出してしまった。足を見た限り、幽霊でない事は確かだ。
「いったい…どうなってんだ」
「俺もよく分かんない。あ、もう死んだ!っていうのは分かったんだけど」
「無事で何よりだよ…もう、仲間が死ぬ所には立ち会いたくなかったから」
「クリミネル…心配かけてごめん」
「ああああぁぁぁぁぁあぁぁ!」
「うっせえな!今、奇跡の対面してんだろ!」
「ししし…シエルの下に…マンドラゴラの花が…」
シエルの右手辺りに枯れた草花の間から、真っ赤な花が咲いていて、茎も物凄く太く、土から少しだけ白い頭が見えていた。シエルは片手でそれを抜き、人の形をした根っこが現れる。三人は慌てて耳を塞いだが、マンドラゴラと思しきそれは、悲鳴も何も上げることはない。
「いいい…いきなり抜くとか…ばばば…バカなんだな!」
「なんで!?」
「マンドラゴラの悲鳴を聞くと何日かは起き上がれなくなるからっすよ」
「あ…そうなんだ」
「なんで叫ばねぇんだ。こいつ」
ダリスが指先で突いたり、擽って見たりするが、マンドラゴラと思しきそれは、ピクピクを痙攣はするが全く声を上げることがない。ハリスがそれを受け取り、分かった。と呟いた。
「ままま…魔力切れなんだな」
「魔力切れ?そんなことあるんすか」
「たたた…体力切れというか…、叫ぶほどの元気がないんだな」
「それって役に立つの?」
シエルの疑問にハリスはただ一言。「何の役にも立たない」とだけ言った。
「ままま…また土に埋めて、たたた…体力と魔力の回復をさせるしかないんだな」
「使い方はともかくよぉ…これで試験は合格でいいのか?」
「そういう事になるっすね」
本当ならこの後、日暮れまで血眼になってマンドラゴラを探す予定だったのだが、呆気ない終わりに四人は街に向かう道を歩き出した。その四人がギルドに到着し、リルルの合格を貰うとリルルは魔導回線にアクセスしてアナウンスを伝える。
『受験者の皆さん。試験は終了となりました。街にお戻りください。繰り返します。試験は終了となりました。街にお戻りください』
魔導回線は識別標識に組み込まれた魔術のひとつで、登録された特定の相手に意思を送ることがある便利アイテムである。今回は勇者試験の受験者のみの回線で、通達された。
※
全ての受験者が返ってくる前に、リルルは四人を別室に呼ぶ。誰が合格したのか。それを悟らせないためだが、クリミネルがいる時点でかなり不利で、意味の無い気遣いだった。
通された部屋は白い漆喰の壁に囲まれて、部屋には小さな机が一つだけ置かれていた。その机には小さな箱が一つ。
ハリスは落ち着きのない動きでそわそわと部屋の中を歩き、ダリスに至っては腕を組んで、やっと俺の時代が…等と呟いている。クリミネルとシエルは並んで壁際に立っていた。緊張で動けないシエルに、クリミネルは声を掛ける。
「大丈夫っすか?」
「え…あぁ…うん」
「もう服が血でバキバキになっちゃってるっすね」
「さっきギルド長さんにも言われた。着替えはあるの?って」
「もしなかったら、僕の予備で良ければあげるっすよ」
「でも…それって勇者用のじゃ…」
その先は部屋に訪れたリルルによって遮られ、リルルは一つ咳ばらいをすると四人を見回した。
「皆さん。一次試験、合格おめでとうございます。これから二次試験に入りますね」
「いつものリルルちゃんじゃねぇ…そういう所もいいぞ」
「受験者・ダリス。私語は慎んでください。ここは神聖な試験会場です」
少し声音のきついリルルに、ダリスは閉口した。だが、鼻の下は伸びっぱなしで非常にみっともない。もし、これが勇者などと言ったら、勇者のイメージが悪くなるのでは…と、シエルは心の中で毒づいてしまった。助けてくれた相手にこういうのは良くないと、自分を戒める。
「これから行う試験は、『運』についてです」
「運?」
クリミネル以外の三人が声を揃えて口にした。リルルは続けて言う。
「勇者はほぼ運で全てが決まると言っても過言ではありません。仲間に出会える運。敵と遭遇する運。逃げ切れる運。悪運だろうと何だろうと、生き残る運が必要になります。死に際に選ぶ決断力も大事ですが、そこに及ばないまでの運が必要です」
「確かに僕も運で、前回勇者になりましたしね」
「ただの傭兵だった勇者様が勇者になった事もそうですし、魔王城から、からくも逃げ切れたのも時の運。所謂、運命というやつでしょうか。それを使って試験を行います」
小さな机の上に置かれた箱をリルルが持ち上げ、三人は覗きこんだ。クリミネルは既に知っているのか、その場から動かない。そして、三人の目に止まったのは、ゲームでよく使われる小さな六目のあるサイコロだった。