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8 通じ合う



 広葉樹が広がる森の道、その鄙びた寒村に続く道には、今、ウィーゼンと紫龍の姿しかなかった。人が歩き踏み固めただけの簡素な道は、夕暮れに差し掛かるからか少しひんやりとした風が通り抜ける。

 けれども紫龍がしがみつくように腕を回したウィーゼンの身体は熱く、寒さなどひとつも紫龍は感じなかった。

 抱き合う二人に隙間はなく、紫龍は今まで抑え込んできた思いをすべてウィーゼンをだきしめる両腕に注ぐようにして力をこめた。

 

「ウィーゼン……」


 あふれてくる想いを説明する言葉は思いつかず、ただ名を呼ぶ。

 応じるようにウィーゼンが紫龍を抱き留める。その衣擦れの音と、涙をこらえる小さな紫龍の息遣いだけが森の小道に響いた。


「紫龍」


 ウィーゼンもまた紫龍を抱きしめ、ほどなくして少し身をずらし、紫龍の目尻に口づけた。


「……俺のことが欲しい?」


 そんな風に囁く低い男の声は、先ほどよりももっと甘い。

 紫龍は今まで堰き止めてきたものがあふれた勢いで、ウィーゼンの問いに素直に答えた。


「欲しい。ウィーゼンの気持ちが……心が、私に向いて欲しい。私と共にあって欲しいっ!」


 おさなごが親に菓子をせがむように必死になって言う紫龍に、ウィーゼンは次に頬に口づけた。右頬に一度、左頬に一度。

 流す涙を吸い取るように、口づける。


「どうして俺の気持ちが欲しいんだ?」


 ウィーゼンはさらに問うてきた。

 紫龍は、ウィーゼンと離れたくないというというように、ぎゅっとしがみついた。

 もう今の紫龍には、取り繕うものがなかった。ただただ、心のままに言う。


「好きだからだ。私がウィーゼンを好きだからっ!」


 叫ぶようにして言ったとたん、紫龍は目を見開いた。


 ウィーゼンがぎゅうっと抱きしめる腕に力を込めたのだ。痛いくらいの抱擁。

 次いで、息をするまもなく、紫龍の唇がウィーゼンのそれでふさがれた。

 紫龍のすべてをくらいつくすようにウィーゼンは口づけてくる。絡まってゆく舌先、境目がなくなり溶けてゆくような口づけに、紫龍は必死で答えた。

 ……熱い。

 今まで幾度もウィーゼンとは夜を越えて来た。

 けれど今うける抱擁と口づけは、いままでの夜にはなかった激しさ、めまいがするくらいに圧倒的な強さで求められていると感じる熱気があった。

 

 森の中に、二人の息遣いが響く。


「ウィー……ゼ、ンっ」


 途切れる息の中で名を呼ぶと、ウィーゼンは応えるようにさらに唇を吸う。

 

 ……求められているのだろうか……。

 与えられているのだろうか。


 紫龍はわけがわからず、流されるようにしてウィーゼンの抱擁を受ける。


 その時だった。

 荒い息のあいまで、唇をずらしてウィーゼンが言った。


「……紫龍は、もう持っていっちまってるだろう?」

「えっ?」


 問い直す間もなく、また唇をふさがれる。

 隙間なく与えられる熱、けれど、またほんの少し唇を離したかと思うと。


「とうの昔に、俺の気持ちなんて、紫龍のものだ」

「……どういう意味だっ」

「俺に言わせたいのか?」

「意味が、わからなっ……」


 ウィーゼンの唇が紫龍の右耳を軽く噛んだ。紫龍が思わず肩をすくませた瞬間、耳に吹き込むようにウィーゼンが言った。


「……好きに決まっている」


 そんな風に呟いて――……返事をする暇も与えられず、ウィーゼンは再び紫龍に強く口づけた。





 ****




 紫龍はふと目を覚ました。

 寝台の隣に、ウィーゼンがいる。静かな寝息をたてる男の剥き出しの肩に、そっと上掛けをかける。

 

 ――もう深夜だろうか。

   

 腹がすいていて、喉も乾いていたが床から立ち上がるだけの力が入らない。けだるくて、なのにどこか満たされている。

 夜目がきかない紫龍は、暗い闇を見つめ、ぼんやりと今日のことを振り返る。

 だが、紫龍はどのようにして家に帰ったかをあまり覚えていなかった。

 ウィーゼンに誘われ、抱き寄せられ、口づけられ、あっというまにあばら家の我が家に着いた気がする。そしてまだ夕刻であるというのに、二人は紫龍の簡素な寝台になだれこんだのだ。


 紫龍の耳の中に残っている。


『……好きに決まっている』


 ウィーゼンは私のことを想ってくれていると……そんな風に言っていた。床の中でも。

 今までだって優しかったが、今日は違った。

 何度も言葉が与えられた。


 紫龍のことが、好きだと。

 

 そしてそれを言われるたびに紫龍の身体も熱くなり、胸がいっぱいになり、紫龍も今までいえなかった分をすべて外に出すかのように何度も「好き……」「ウィーゼンが好き」と繰り返した気がする。


 思い出してきて、紫龍はひとりでに頬が熱くなりごそごそと布団の上掛けを身体に巻き付けた。


 ウィーゼンが、私を、好き?


 まさか、そんな……という想いと、嬉しい想いと。

 

 出会いはたしかに商売女と客だった。

 けれど、たまたまこの村で再会し、そしていつのまにか、想いが深まった……と。

 金袋を置いたのは、紫龍の気持ちがわからなかったのもそうだし、そもそもこのあばら家の暮らしぶりからみて少しでも金はあった方がいいだろうと、ウィーゼンらしい率直なものの考え方によるものだったらしい。

 床の中でそんなことを言っていた気もする。

 

 買われていた……ところもたしかにある。

 けれど、身体だけを求められていたわけではなかったのだ。

 紫龍だからこそウィーゼンは会いにきてくれ、この村に寄ってくれていたのだ。

 馴染みだからというだけでないものがあったのだ――……。


 そのことが、紫龍の心を潤していた。

 私のことを、ウィーゼンは気に留めてくれていた。ただの優しさだけでなくて、私を求めてくれていたのだ……。

 そして、ウィーゼンなりに私を大切にする術を探そうとしてくれていたのだ。

 

 それがじんじんと胸に染みて、紫龍は暗闇を見つめながら、今日何度めかになるかわからない涙を目に浮かばせた。

 

 ……私は、ひとりじゃなかったんだ。


 もちろん、紫龍はウィーゼンが剣士であることはわかっていた。しかも雇われ剣士だと名乗っており、王都やら国境付近やらへと移動が多い。ウィーゼンの身なりは質素だが、あんな大振りな良い剣を持ち、さらにあれほどの金貨を持てるのだから、きっと強い剣士に違いない。

 紫龍と生きてきた道はあまりに違う。

 

 ……寄り添えるとは思っていない。


 そう心の中でつぶやく。きっと自分とウィーゼンには別れがつきまとうことだろう。

 けれども今のこのウィーゼンが紫龍を好いてくれていたという幸せは、何物にも代えがたいと思った。


 そう思って目尻を伝ってゆく滴を自らの指ですくおうとしたときだった。


「紫龍。泣いているのか」


 ウィーゼンの声が闇のなかに静かに響いた。


 

  

 

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