4 風
紫龍ひとりでは持ちきれない荷物も、今日はウィーゼンが抱えてくれる。
そのまま屋台でパンに野菜や肉を挟んだものを買い求め、木陰を探して簡単な食事をとる。
すべてに財布を出そうとするウィーゼンを止めて、半々にするのはなかなかの至難のわざだったが、施されるのは嫌だと主張し納得させた。
ウィーゼンも砦までのたびに必要な携帯食を買ったりしながら、二人は飽きることもなく、リドの町を歩き回った。
必要なものは買い終わり、そろそろ家に戻ろうかと声をかけようとした時だった。
ウィーゼンが、
「あれ、似合いそうだな」
と指さした。紫龍がウィーゼンの指の先を振り返ると、屋台などが立ち並ぶ端に、装飾品を並べる出店があった。
幾つも並ぶビーズの首飾りや光る石の耳飾り。赤や黄、緑や青といった色とりどりの小石や宝石が、銀細工にはめられて装飾品として売られる中、ウィーゼンは紫龍を伴ったまま店に近づき、他の品よりも殊更に丁寧に飾られているものを再び、指さした。
それは銀のごく細の鎖に紫水晶がはめ込まれた、瀟洒なサークレット。
「紫龍の色合いだ。きっとよく似合う」
ウィーゼンはそう言うと、頃合いを見ていたかのように店主が「剣士さま、お目が高い!」と言ってでてきた。さっそく手袋をした手でその品を台からはずし、ウィーゼンに渡してくる。
「紫龍、つけてみよう」
ウィーゼンがそんな風に言って、驚きで固まっている紫龍の顔の前にきらきらとした繊細な鎖のサークレットをかざした。
紫龍は、自分の暮らしとはあまりに遠い額飾りを前に、とっさに拒むように首を振る。
「俺が贈りたいんだ」
黒の瞳がじっと紫龍を見る。少しの隙も与えず見つめてくる瞳に紫龍は、逆らえなくなった。
ウィーゼンは「じっとして」と告げると、片手で器用に紫龍の髪をまとめている布を少しゆるめて額だけが出るようにした。ウィーゼンは真剣な顔をしてその銀と紫の飾りの額に当てる。
「色白の紫龍に良く合う。紫の瞳とも……きっと銀の髪とも」
ウィーゼンが目を細めてそういう。甘く蕩けるような優しい声の響きに紫龍はどんな顔をしていればいいのかわからなくなった。装飾品を似合うと言われたのは生まれて初めてだった。
こそばゆいような気持ちと、なにか恐れるような気持ち。
ここに立っていてはいけないような気がして俯こうとすると、つかさず「お客さん、こちらの鏡で……」と店主が鏡を差し出した。
紫龍もあまりにちょうどよい声かけに、つい肩の力を抜いた。
そのときだった。
バサバサと布が巻き上がるような音がした。
市場で軽い悲鳴が上がり、屋台の布の屋根が飛ぶ。
市場を突風が吹きぬけたのだ。
砂埃が舞い、紫龍は目が痛んでとっさに両手で目を覆った。風にあおられ、他の屋台で何かが落ちたり飛ぶ音がした。ウィーゼンが大きな胸板で紫龍をかばったのがわかった。
けれどもその瞬間、紫龍の髪を巻いていた布が風にあおられた。
「あっ……」
つかむまもなかった。風が一気に布をさらい、紫龍の銀の髪が宙に舞う。
あまりに突然のことに、紫龍はさらさらと広がる銀の髪を押さえた。
その瞬間、完全に紫龍の頭に巻かれていた布は風で飛んでいってしまう。
追いかけようとしたとき、遮るような大きな感嘆の声が響いた。
「こりゃあ見事な銀の髪!」
店主の声だった。
「剣士さまぁ、このサークレットは、この銀のご婦人のためにあるかのようじゃないですか」
商いの絶好の機会を見逃すまいとして、突風であおられる商品が飛ばないように抑えながら、店主がウィーゼンにそう言葉を重ねる。
「あぁ、そうだな」
そんな風に答えつつ、ウィーゼンは困り顔の紫龍をのぞきこんだ。
ウィーゼンは片手でサークレットを持ち、もう片方の手で紫龍を風からかばおうとしたため布を掴めなかったのだ。
泣きそうな表情になっている紫龍を安心させるように少し抱き寄せる。
「……紫龍、布がかなり飛んだな。取ってくるからここで待っていてくれ。店主、これが代金だ。このサークレット、包んでくれ」
「へい、まいど!」
ウィーゼンは手早く懐から金袋を出すと店主にさっとわたし、髪があらわになって動揺しきっている紫龍の頬を安心させるようにもういちど撫でると、布が飛んでいった方に駆けていく。
「お客さん。あの剣士さん、あんたに惚れきってるね」
店主はからかうようにそういうと、いそいそと屋台のうらへサークレットを包みに行ってしまった。
だが、紫龍はうまく返事もできなかった。
……髪を晒しているのは、嫌だ……。
紫龍はできるだけ髪をまとめて握るようにして店の影に寄った。
店主は、高額の商品が売れたことにご機嫌なのか、箱詰めまでして包んでくれているようで時間がかかっている。店の前には幾人もの冷やかしが通り過ぎ、突風がおさまったのもあってか、また市場の通りをいつものように人々はぺちゃくちゃとしゃべりながら通りすぎてゆく。
穏やかな市場の風景――けれど、そんな賑やかな昼間の市場を、紫龍は出来るだけ目立たぬようにと小さくして立つ。
それでも、たくさんの視線が自分の髪に向けられていること紫龍は気づいていた。
この国に銀の髪はいないわけではないが、本当にめずらしいのだ。
西方のシーリンや、その周辺地域には銀の髪が多いが、西方の民は基本的に自分たちの領土から出てこない。
特にギーリンランドルは雨期の次に夏が来るので蒸し暑く、涼しい気候のシーリン地域とはあまりに違い移り住むものは少ない。色白で線が細い民達は夏の日差しに負けやすく、体調が崩れやすくなるのだ。
紫龍も、なんとか自分で両親から譲り受けた知恵を元に薬草を自分の身体に合わせて調合ししのいではいるものの、夏が来るとぐったりして何もできぬ日も多かった。その日のためにも、冬から春にかけての体調が落ち着いて稼げるときには、夜の街に立ってでさえも蓄えが必要なのだ。
シーリンの親も故郷を離れざるをえずこちらの地に立ったとき、薬草でしのいでいた。その薬草も手に入れるのに苦労するぐらいに貧しくなると、いつまでも美しく細身の両親は、時に身を売る道にすすまざるをえなくなった。
その親が死に、紫龍に残されたのは、親が村と結んでいた取り決めだった。
取り決めというにもお笑い草の内容ではあった。
あのあばら家を貸してもらえ、井戸水を使って良い。村の者たちがシーリンたちを慰め者にしない。そのかわりに、村の者がのぞめばいつでも「無償で」薬草を調合するという、村との約束だ。
だがこの村にとって都合のよい約束は、薬草の調合を村の者たちに無償行うため、収入はそこからは得られない。紫龍も父母の後をつぐようにトエルの夜の街に立つことになってしまったのは、流れのようなものだった。
幸運なのかどうか、親から譲り受けたこのギーリンランドルでは珍しい銀の髪の自分は、痩せっぽっちでも高値となった。どこの世の中でも、珍しいものにはそこそこの金を出す輩がいるものだ。
けっして人間として対等の扱いというわけではないけれど、すくなくとも夏季に働けなくなっても、食いっぱくれがないような額は稼げた。
そんな自分は、もちろん今まで装飾品などとは無縁だった。夜の客で贈りものを持ってくる者はいるにはいたが、それは受け取らないように気をつけていた。近づきすぎるのは危険だと感じていた。
なのに、ウィーゼンとは、偶然の再会があったにしろ、今ではこんなに近しくなってしまっている。 ウィーゼンは、ただ懇意にしている商売女として見ているだけなのに。
きっとただの通りすがりの女よりは親身に思ってはくれているのだろう、可愛がってくれているんだろう。
だけど、それはあくまで、商売女……商品としてのことだ。
この店にならぶ装飾品の中で「気に入り」があっただけのことと大して変わらないんだろう。
自虐に近い物思いに沈む紫龍の耳に、「あの銀髪、すごいね」というささやきが耳にはいっきた。
……この姿は目立つ……。いたたまれない。視線が痛い。ウィーゼン……早く、戻ってきてくれ……。
頼ってはいけない、けれど頼りたい。これいじょう近づいてはいけない、でも近づきたい……相反する気持ちを抱え、紫龍が髪を押さえながら、うつむいたときだった。
「紫龍じゃないか! 紫龍、なんでこんなところにいる!」
場を読まない、大声で名を呼ばれた。
その怒声を孕んだしゃがれ声。
優しさのかけらもない見下げたように名前を連呼してくる声を聞いた途端、紫龍はぐっと唇をかみしめた。
……あぁ、見つかってしまった。
陽光にさらされる己の銀の糸が恨めしかった。