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3 二つの町

 

 食後、ウィーゼンは家の前で剣を磨いている間に台所の片隅にしゃがんで野菜箱と向き合い、芋のかずを数えていた。すると、てっきり外にいると思ったウィーゼンがふいに背後にたったのに気付いた。

 慌てて振り返ると、ウィーゼンは小首をかしげた。


「……俺が泊まる間、食料は足りるか? 足りなければ、市場に行こう」


 すでに中身の乏しい野菜箱に気付かれた後のようだった。紫龍はそれでもウィーゼンの視界から箱の中を隠すようにしながら早口で答える。


「近くの市が立つのは三日後なんだ。それまでなんとかなるはずだから気にするな」


 するとウィーゼンが「買い物に行こう」と笑った。


「今日、予定があるわけじゃないんだろう? 歩くには距離があるが街まで出よう。今から出れば昼には着くだろう。それなら店もあるだろう」


 屈託ない誘いに紫龍は少し俯き加減で頷いた。


「……街か。リドの町なら行く」

「リドか? トエルの町の方が大きいが……」

「トエルは”仕事”の”夜”以外では行かないんだ。昼間行くなら、リドの町だ」


 紫龍が『仕事』と『夜』いう言葉を返事すると、ウィーゼンもリドの町と指定した意図に気付いたのか、


「そうか……紫龍がリドがいいなら、リドにしよう」


とうなづいた。

 その返事に紫龍は胸がちりっと鳴る気がした。自分が希望したのに、受け入れられたとたん、そこにある自分とウィーゼンの商売女と客という形が明らかになったように感じた。

 紫龍のそんな気持ちを知ってか知らずか、ウィーゼンはそっと肩に手を添え穏やかに抱き寄せてくる。

 まるで恋人を懐によせるような仕草に、紫龍が胸が苦しくなりさらにうつむきそうになったが、必死に耐えた。

 ……この短い時間だけでも、恋人を演じてもいいじゃないか。 

 紫龍は添えられているウィーゼンの手に応えるようにして、手を重ねた。


「……リドに、うまい焼き菓子を出す店を知っている。ウィーゼンの口に合うといいな」


 明るい声を出したつもりなのに、自分の声はどうしてこんなに震えているんだと、紫龍は泣きたくなった。



 銀の髪は目立つので、大きな布で包み込むようにして巻く。

 この地方では、信仰上の理由から女性が頭に布をかぶり髪を見せないようにする民も行きかう。紫龍も町に行くときはそんな風に装う。髪を見せて悪目立ちしないために。


「もったいない気がしてしまうなぁ。綺麗な髪なのに」


 あばら家を出てしばらく、街に向かってひとけのない林の中を歩いていた時だった。

 濁った紫と灰色の地味な布で髪を包み込み、顔も日よけの布で隠すように巻いた紫龍の姿をあらためて頭の先からつま先まで眺め、ウィーゼンは残念そうに言った。


「この姿の私と歩くのは嫌か?」


 心配になり問うと、逆に驚くような顔を返された。


「いや、そんなことはまったくない。ただ、髪に触れられないのが寂しいだけだ」

「……寂しいのか」

「あぁ。紫龍の髪はついつい触れたくなってしまうからな。触れられないと手が泳いじまうんだ」


 明るく言いなら手をひらひらさせたウィーゼンに、紫龍は返事のしようがなくなり、照れて目をそらした。

 たしかにウィーゼンはよく指先で紫龍の髪をくるくるともてあそんでいたと紫龍は思い返す。

 そうか、触れたいと思って触れてくれていたのか……そんな風にあらためて思うと、妙にそわそわして居心地が悪い。

 意味もなく服の皺をのばしたり鞄を持ち直したりしながらウィーゼンの隣を歩いていると、またふいにウィーゼンの歩みが止まった。

 どうしたのかと隣を見上げると、唐突にウィーゼンがぐいっと近づき、おでこを突き合わせてきた。

 がっしりした武人の、雄々しい顔が突然間近に表れて紫龍がひっとのけぞると、ウィーゼンが背中を支える。そうして顔を近づけてウィーゼンは、紫龍に満面の笑みを見せた。


「だが、こうして巻き上げてしまうなら、紫龍の綺麗な髪を他の男の眼にさらさずに済む」


 そういいながら、日よけの布の上からゆっくりと頭を撫でる。


「何をいってるんだ……」

「こうして隣を歩いているのに髪に触れられないのは寂しいが、俺だけが、家に戻ってから布をはずして、紫龍の髪を愛でることができると思うと、隠してしまうのも悪くないなと気づいたんだ」

「変なことをいうな」


 拒むようにして紫龍が首を振ろうとすると、ウィーゼンはぐりぐりとおでこを擦り付けて来た。


「俺の女だろう?……今だけなのだとしても」


 合わされたおでこが微妙に痛いと思いつつも、間近で見る、ウィーゼンの真摯な瞳から紫龍は目がそらせない。

 林の木々の木漏れ日がウィーゼンを照らしている。

 林に時折ふくさわやかな風に木々のあいまから見える青空。紫龍とウィーゼンの出会いの湿った夜となんと大違いだろう。そんな些細なことに気付いて胸を痛めた紫龍の心を、いっきにウィーゼンは自らの方へと引っ張り込むように告げた。


「俺だけのものだ。髪の一筋すらも」


 そう言い切ったウィーゼンは紫龍に口づけた。

 触れ合った唇のぬくもりに、紫龍はとっさに目をつむる。


 ……熱い。


 けれど、そう思ったのは一瞬だった。

 ウィーゼンはすぐにただ触れた唇をすんなりと離していったからだ。

  消えてゆく唇の感触を追うようにして紫龍が瞼をあげると、ウィーゼンはその視線から逃れるようにして身体も離し、また今まで通り、紫龍の隣で歩き始めた。

 歩みだしたウィーゼンに出遅れた紫龍は、瞬いた。

 言葉の意味もふれあうだけの唇も、どれもがとらえきれない春の蝶のよう。紫龍は数歩先を行くその大きな背中に手を伸ばし、すがりつき、確実なぬくもりをつかみたい衝動にかられた。


 ……今だけでも、今だけだからこそ……。


 けれど、高まる想いと裏腹に、紫龍は実際には、指ひとつ動かしはしなかった。

 ただ男の背を見つめていた。 


「紫龍? ほら、行こう」


 そう言って振り返ったウィーゼンは、いつもと変わらぬ太陽のような明るい笑顔。

 その笑顔に、笑みで返すのが、紫龍には精いっぱいだった。



 ****



 リドの町はトエルほどに大きくはないが、それなりに良質の野菜や果実、干し肉を扱う店があり、昼時には大通りに屋台も多くでていた。


「ちょっと待っててくれ。薬草店に寄りたい」


 紫龍はウィーゼンに断ってから、月に一、二回ほど出入りしている薬草店へと足を運んだ。

 そして懐からずいぶんと前に取得した薬草師の資格証を店主に見せてから、持ってきた薬草の束、そして紫龍自身が調合した数種の薬を店主の前に並べた。

 紫龍は住まいがある森や林で薬草を集めて干し、乾燥させたものを薬草店で売る商いもしていた。そして、いくつかは紫龍自身が調合した症状別の薬草液も取引し生計をたてている。ただそれだけではさまざまなものを背負う紫龍は到底食べてはいけるはずはなく、夜の街に立つのだ。


 薬草店から出ると、ずっと後ろについてきたウィーゼンは紫龍をしげしげと見つめた。


「紫龍は薬草液まで扱えるのか。干したものを売っていただけでなく、調合したものも取引していたじゃないか。最初に店主に見せていたのは、まさか資格証か? 薬草師なのか?」

「まぁ、いちおうは両親から伝授されていて……。親が生きているころ、貧しい中でも薬草師の勉強を叩き込まれて、子どもの頃に薬草術の資格だけは取ったんだ。資格といっても第二級だが……。それでも、森で採れる薬草だけで作れる薬がいくつかあるから、それを調合して売ることができて生活の足しになっている」

「ちょっとまて、子どもの頃に第二級薬草術を修めるとはすごいことじゃないか。 もう少しどこかで学べば、第一級も取得できるんじゃないか?」 

 

 ウィーゼンの言葉に紫龍は首を横に振った。


「たしかに私の両親は、自分たちの薬草師の知恵を私に授け、貧しい中でも試験の費用を工面して、なんとか第二級を取らせてくれた。きっと彼らとしてはゆくゆくは第一級のおさめ、私がそれで生計を立ててくれたらと願っていただろう」


 ……身を売るのではなくて。

 そんな言葉が頭をよぎったが、封じて紫龍は言葉をつづけた。


「だが、両親を亡くしている今、第一級までの薬草術を教わる人もいないし、もちろん学費などの余裕もない」

「……それでも、例えばあの村で薬草店を開けば暮らしていけるんじゃないか?」


 ウィーゼンの問いに、紫龍は笑って答える。 


「それは無理だ。私には土地がない。薬草店を開くための土地を買う金どころか借りる金もない」

「土地?」

「薬草術を本格的に行おうと思えば、それなりの種類の薬草がいる。森や林に自生するものだけでなく、栽培して収獲する大量の薬草も必要になる。もし本気で薬草店を開くには、薬草を購入する金か、もしくは自分で薬草を育てることのできる良質の土の畑がいるだろう」

「家の周りで育てられないか?」

「残念ながら、あの日当たりの悪いところでは無理だな。森や林に自生するものは失敬させてもらっているが、それも、村の者たちに薬を調合してやるかわりに採らせてもらっているんだ。あのあばら家もその周りの土地も村のものたちのものだから……まぁ、あの村で薬草店は開くことは無理だ」


 私はすべて借り暮らしだから――そう言って微笑みかけると、ウィーゼンが眉を寄せた。なぜ薬草師の資格まで持っていても夜の街に立たねば生活が成り立たぬのか――紫龍の住まいのあばら家を知るウィーゼンにはわかったのかもしれなかった。

 紫龍は哀れみの言葉が目の前の男から紡がれるのを恐れ、早口で、


「さ、行こう。野菜は新鮮なやつから売り切れてしまうから」


とウィーゼンを市場へ促した。


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