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32 沈黙と癒し

※「31 毒」と連続投稿しておりますので、最新話のリンクからお越しの方はご注意ください。

**** 




 王都のはずれの森。

 エディに案内されてたどり着いた道の先には、石造りのこじんまりとした家があった。

 ちょうど昨日あたりから雨期に入り、空気がしっとりとしている。


「薬草師をおよびしました」


 エディに案内された寝室の大きなベッドに、彼はいた。

 上半身はおこし、クッションを積み重ねたところに背を持たれかけている。


 エディとフィアが入ってくる気配を感じてか、顔を出入り口に向けているが、その目の焦点はエディとフィアの方を向いてはいなかった。

 自分にむけられていない黒い瞳を目の当たりにして、フィアは胸が詰まった。


 ウィーゼンは髪が伸びていた。ずいぶんと痩せていたが、大きな肩幅は相変わらずで、骨格の具合なのか痩せていてもやはり大きな男と思わせるものがあった。


 ……ウィーゼン。


 フィアは胸がいっぱいになり、ただ頭の中も胸の中も「ウィーゼン」という呼びかけがこだましつづけているようだった。

 だが、ここでその名をよびかけることはできない。

 フィアは思いに蓋をするようにして、薬草のつまった籠や調剤の道具を入れた鞄を抱きしめて気持ちを封じた。


 エディとフィアはウィーゼンの枕元に寄る。

 エディはウィーゼンの耳元で、ゆっくりと話した。

 大きな声をたてず、囁くように話すのは、全身に痛みを覚えるというウィーゼンの症状に影響を及ぼさないためらしかった。


「薬草師の方は言葉が話せぬのです。なので、薬草師の方がおつくりになった問診表を私が読み上げますので、ウィルはそれに答えてください」

「わかった」


 そう返事をしたウィーゼンは、フィアとエディが立つ方に顔を向けた。

 顔を動かしても痛みが生じるのか、ウィーゼンが一瞬眉を寄せるのをフィアは見逃さなかった。


「私は、ウィリアム・ローウェル。元軍人だが、今はこの通り病床にある。このたびは急な呼び立て、すまなかった。あなたの薬がよく効いて……身体がとても楽になり、久々に深く眠ることができた。感謝する」


 ウィーゼンの低い声は懐かしい響きのままで、フィアは胸が詰まって、目元がぬれてくるのを必死にこらえた。

 ウィーゼンが少し腕を動かして握手をもとめるように手を少しあげた。

 その動きもまた痛むのだろう、ゆっくりゆっくりとした動きで、フィアは思わずつつみこむように両手でそのウィーゼンの手を取った。


 痛みが響かないように、そっと静かにウィーゼンの手を包む。


 昔と違い、ひんやりしているとフィアは思った。けれど、昔とかわらずウィーゼンの手指は鍛えられたものの手で硬く、タコがあった。


 フィアはその手が懐かしくなって、思わずそうっと握った。

 その時だった。

 ウィーゼンがこちらを見た。ひかりが刺さず焦点が合わぬというのに、こちらを探るように見たのだ。

 懐かしい黒い瞳が向けられて、フィアはもうこれ以上そばにいれば泣き出してしまいそうだった。

 ウィーゼンは、なにか言いたげに少し唇を開いた。フィアは吸い込まれるように、その口から発せられることばを待った。

 けれど、しばらく待っても声は聞こえてこない。

 ウィーゼン自身がまだとらえきれていないように、探るようにフィアの方を見てくる。


 ……このままでは、泣いて、声をだして、私だとばれてしまいそうだ。


 そう思った矢先、ちょうどうまい具合に、「ウィル、ごあいさつはほどほどに……」と声をかけられた。


 その声にウィーゼンは目が覚めたように、「あ、あぁ」と言って瞬きをした。


「すまぬ……その、薬草師殿は女性であったのだな。失礼した」


 そう言って、ウィーゼンはフィアに、はにかむような笑みを見せてくれたのだった。




 ****



 

 それからフィアは、仕事帰り、また週末ごとにウィーゼンの屋敷に寄っては薬草液を調合した。


 痛みは全身に及ぶというが、どこから来ている痛みなのか、頻度はどうなのかを詳しくみていくことで、薬草の種類も煎じ方も変えていくとより効きやすくなる。

 血行をよくする部分と、冷やして痛みを軽減させる部分でも対応を変えてゆき、朝、昼、夕での処方もそのときそのときに合った薬草の組み合わせにしていく。


 同時に目薬も開始した。

 目のまわりの血行をよくするよう薬草で顔や額をあたためる。

 痛みがあまりない日は、目元のマッサージや手指のマッサージなども施してみる日もあった。



 ウィーゼンの元に足しげく通い始めて一月ほどたったころだった。

 雨期半ばのせいか、ウィーゼンの横たわるベッドがある寝室も湿気がある。


「雨の中、すまない」


というウィーゼンに、返事の代わりに彼の手を二度なでて「いいえ」という気持ちを伝える。


 フィアは無言のまま薬草液や薬を準備する。今まで飲んでいたものの減り具合をたしかめ、エディが記録してくれている薬を飲んだ後の状態を確認する。

 一通り確認をおえて、フィアはウィーゼンの枕元に座り、ウィーゼンの目元を血行がよくなるようマッサージしはじめた。

 しばらくして、香草の香りが寝台をつつむ。今日は湿気もあり寝苦しいことも多いだろうと、さわやかなかおりの香草を選んだ。

 マッサージをしていると、


「天にものぼる心地というのは、こういうものかな。目元を癒してもらっているのに、身体がすぅと軽くなる気がする」


とウィーゼンが戯言めいたことを言った。

 薬草茶を準備して持ってきていたエディが「何言ってんですか」と呆れたような顔でいうと、ウィーゼンはぽつりと言った。


「龍の背中にでも乗って、空をめぐっているようだ」


 どきっとしてフィアは手を止めてしまった。「龍」という響き、それがあまりに懐かしかったのだ。

 すると、隣でエディが茶器を並べながら笑う。


「子供みたいなことを。ウィル、今だに龍が好きなんですか」

「あぁ、龍は綺麗だろう」

「ウィルは、ほんと昔から、古典の物語に出てくる龍が好きでしたね。私の母がウィルの乳母だった時代から、とにかく龍の絵本やら物語ばかり読んでましたもんね」

「エディだって龍の冒険譚は好きだっただろう」

「それは、ウィルにつきあっていてあげてただけですよ」


 軽口を言いあっているウィーゼンとエディの言葉をききながら、フィアは涙がこぼれそうになるのを必死に止めた。


 ……前に。前に、「龍」が好きだと、「龍しか好きじゃない」と言っていたのは、本当だったんだな。


 あの頃、ウィーゼンの言葉は何が真実で何が嘘かわからなかった。気持ちは本当だったとしても、言葉はどこまでが本当のことなのかわかりようがなかった。

 けれど、「紫龍」の元に通ってきてくれて、そこで話してくれている中にも「本当」はいくつも込められていたんだということがわかって、嬉しいような切ないような気がした。


 フィアはまた黙って指を動かしつつ、涙がこぼれてウィーゼンの顔に落としてしまわないよう必死になんども瞬きを繰り返していた。


 ウィーゼンの身体に薬草が染みわたるように願い、またシーリンの毒を解毒する方向は何かないかいつも探している日々が続いた。



 さすがに一か月も、エディが連日のように迎えにくれば、同僚たちも「あれは誰だ」と色めき立つ。

 フィアもなんと説明していいかわからず濁していたが、運よく同僚たちはフィアが王都に来る前の元恋人と復縁したらしいと誤解してくれた。

 ただ、エディとの再会の時にそばにいた先輩薬師だけは、シーリンの毒のことは省いて、元軍人の知り合いが病気でフィアの薬草の知識を欲していること、おおよその内情を伝えた。フィアが仕事で長引きそうなときはかわってくれるなどして、いろいろと支えてくれるのがありがたかった。


 仕事から終わる頃にエディが迎えにきて共にウィーゼン家まで行き、薬草液の状態やマッサージを施したあと、また薬店の上の家に帰ってくる。ウィーゼンの家から自宅までの帰りもエディは送ってくれる。

 その送迎の間に、エディと今後の打ち合わせや回復状況を話し合った。

 そこで話しているうちに、なんとなく会話からわかっていたが、エディはウィーゼンの乳母の子で、乳兄弟として共に育ったこと。身体が大きいわりに風も引きやすく気持ちも引っ込み思案だったウィーゼンが、剣と出会い変わったこと。

 大剣をふるうのが一番好きだったのに、ウィーゼンのもう亡き父親の差し金によって士官学校時代に斥候となるべく別部隊の教育を受けざるをえなくなったことを聞いた。


 そうしていつものように話しながら帰っていたある夜、エディに問われた。


「……隊長は見えるようになりますか」

「……それは……わからない。見えるようになるかもしれない、ならないかもしれない。今はまだなんとも。ただ、足の痛みは抜けてきているから、もしかしたら……歩くことはできるかもしれないと、今、その方向に効く薬草にの組み合わせについて考えているところです」


 フィアがそう答えると、エディは言った。 


「……効果は、もう祈るよりほかはないですが……」

「そうですね」


 フィアがうなづくと、エディは言いにくいことを言うように、いちど口をつぐんでから、またひらいた。エディの表情を不思議に思って耳を傾けていたフィアは、次のエディの言葉に驚いた。


「私は……フィアが来てくれてから、ウィルが前よりずいぶんと長く眠れ、笑う日が多くなったことに感謝しています。大きな目に見える成果もすごいことでしょうが、眠れていて……本当に良かったと思う。長く呻き声しか聞こえなかったから」


 エディに感謝されるとは思わず、フィアは瞬きした。

 そのフィアの表情が気に入らなかったのか、エディはすぐにすっと目を細めた。


「なに、茫然とした顔をしてるんですか、私が感謝したらおかしいとでも?」


 エディの言葉に痛いくらいに首を横に振り、そんなつもりはないのだと必死に伝える。

 エディはそんなフィアにむかってため息をついた。


「……いつまで沈黙のままウィルのところに通うつもりですか」


と聞いてきた。まさか今問われると思わず、すぐに返事ができない。

 フィアがフィアであることを知られないようにする――その申し出をしたのはフィアだが、フィアにもそれがいつまで続けばいいのかよくわからなかった。




 ****




 それは、フィアが通い始めて二か月ほど経つころ、雨期明けがもう間近というころだった。


 雨の中たずねると、ウィーゼンが「ちょっとみてくれないか」と声かけてきた。

 フィアがウィーゼンの手を軽くなで了承の意を示すと、ウィーゼンは横になっているベッドの自分にかかる布団の端を握った。ゆっくりゆっくり腕をうごかし布団を下げる。

 エディが驚いたように「ウィル、どうしたんだ?」と尋ねる。

 そのままウィーゼンは一度ぐっと唇を引き締めた。

 それから震える手をゆっくりとベッドの脇につくと、そのままウィーゼンは自分の足をすこしずつすこしずつ動かしながら、ベッドから床に下したのだった。


「ウィル!」


 エディが叫ぶ。

 床に足をつけると痛みが走るはずだった。百戦錬磨であったはずのウィーゼンが、呻いて座り込むくらいの痛み。

 だが、ウィーゼンはエディを制し、両足を床につけて、ぐっと力をいれて立ち上がったのだった。


 ウィーゼンの顔はフィアをさがすようにして、枕元に向けられる。

 目は回復しないままで、やはり視線は合わない。けれどウィーゼンの表情は明るかった。


「どうだ?……立ち上がれるようになったのだが」

「いつから!」


 エディが聞くと、ウィーゼンが言った。


「ここ十日ほど、日に日に痛む時間が少なくなっているのを感じたんだ。たしかに動かすと痛むんだが、その痛みが持続しない。床について立ち上がれるとわかったのは……今朝だ」

「歩くのは?」

「筋力が落ちてるんだろうな、まだ一歩がせいぜいだ」

「すごい、すごいじゃないか!」


 エディが興奮したように言って、ウィーゼンの肩をたたく。するとすぐさまウィーゼンがうめいたので、エディはあわてて「すまない!」と叫び、よろめいているウィーゼンを支えるようにしてベッドに座らせた。

 ウィーゼンがフィアの方に顔を向けた。


「……薬草師殿。ありがとう。ここまでこの短期間で回復したのは……あなたのおかげだ」


 フィアは今目の前で起こったことに驚いて、胸がいっぱいになって、ただ手を握りしめ、首を横に振り続けた。


「薬草師さん、感極まって首を横に振り続けても、ウィルに見えないんですけど……」


 エディがそういうと、ウィーゼンが笑った。


「薬草師殿が喜んでくれていることは、気配でわかる。……本当に、連日……感謝している」

「……」

「そもそも私は……もう立ち上がろうという気力すらなかったから……本当に、あなたの薬草液と出会えて、ぐっすり眠ることが出きてどれだけ嬉しかったかわからない」


 さすがに身を起こしているのがつらくなったのか、ウィーゼンの上体がよろけた。あわててエディがクッションでウィーゼンの背中をささえるようにあつらえた。

 ウィーゼンはそのクッションに身をあずけると一度ふぅっと息をついた。

 それから「薬草師殿」と呼んだ。返事の代わりにフィアはウィーゼンの手に触れる。

 すると、ウィーゼンはもう片方の手をフィアの手の上にふわりと重ねた。


 ウィーゼンの顔がフィアの方に向けられる。

 視点はあわなくとも、彼が自分に向かって話しかけてくれているのがとてもよく伝わってきて、フィアは胸がきゅっとした。

 ウィーゼンが形のよい唇を開いた。

 そうして静かに、静かに言葉を紡いだ。


「錆びた剣のような私に……時間を割いてくれたことを、感謝する。今まで、ありがとう。この日々を忘れない」


 フィアは目を見開いた。

 その言い方は、まるで「ここまでで良い」というような言い方だったからだ。エディも驚いたようにベッドの脇でウィーゼンの方を凝視していた。


「あなたのような若い女性に、ここまで時間を使ってもらい……申し訳なかった。本当にありがたいと思っている。これからは、いままでいただいた配合を使わせてもらうなり、店で売られている薬草液を購入させてもらおう」

「ちょっとまて、ウィル。その言い方では、もう薬草師さんに来てもらわなくていいってことか? やっとここまで劇的な回復を見せてくれてるのに!」


 抗議の声をあげた


「エディ。その方を連日拘束して、ご無理させてしまうのは決していいことではない」

「引きずって連れてきてるわけじゃない! きちんと……薬草師の希望をのんでの上だ! 給金も払っている」


 エディのことばにウィーゼンが首をふった。

 そうして言ったのだ。

 見えない目をエディに向けて。


「エディ、私にこの人との時間をくれないか。この人に話したいことがあるんだ」


 その言葉に、エディもそしてフィアも凍り付いた。

 ――この人との時間をくれないか――……。

 それは砦でウィーゼンがエディに頼んだことだった。命乞いのかわりのようにして、投げ針をしのばせたエディからフィアをかばうようにして、ウィーゼンが頼んだこと。


「ウィル? 何を話すっていうんだ。そもそも、これからもこの薬草師に来てもらって……」

「エディ」


 エディの言葉をウィーゼンが静かに遮った。それから見えぬ目でエディの方向を見る。


「エディ、この方を私と二人きりにするのは嫌かもしれないが、少しでいいんだ。話す時間が欲しい」


 ウィーゼンの言葉にエディは眉をよせ、そしてちらりとフィアの方を見た。フィアはうなづいた。

 ウィーゼンの意図はよくわからない。ただ、話したいことをあるという彼を拒むことはできなかった。

 それよりも、もう今後こなくていいとウィーゼンがフィアを拒むような物言いに心が打たれていた。

 エディはフィアのうなづきを確認したからか、小さく息をつくとウィーゼンの方に近づいて言った。


「わかりましたよ……。薬草師さんも頷いてますから、了解ってことでしょう。……話が終わったら、呼び鈴を鳴らしてください。他の使用人にもここに寄らないように言っておきますから」

「ありがとう」


 エディは一度ウィーゼンと、それからフィアの方を見たが、何もいわずそのまま寝室から出て行った。



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