31 毒
――『隊長は、シーリンの毒にやられた』
エディはそう言った。
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フィアは仕事場である薬店に戻ってきていた。
ひとまずエディから概要を聞いたが、もう一度詳細を話してもらうため夜にまた会うことを約束し、仕事場に戻ったのだ。
先輩薬師が非常に心配してくれたので、古い知り合いだったことを話し、自分の知人が迷惑をかけたことをあやまった。また今後、休暇をつかって薬草を調合しに出ることがあるかもしれないと告げた。
心を落ち着かせるため、店頭に出る前に、一度手洗い場で髪を結いなおすことにした。
錆色の髪をもういちどきっちりと編みなおす。そうして手指を動かして、エディから聞いた話に動揺する自分を整理した。
エディから聞いた話は過酷だった。
ウィーゼンの部隊がシーリン入りした直後、シーリンの毒によるギーリンランドルの攻撃が始まったこと。ウィーゼンがシーリンの民の毒を仕込んだ刃を受けたこと。
ギーリンランドルがシーリンの地を奪うために軍をすすめたとき、シーリンから毒の制裁があったことは一般的に知られていない。
フィアもうすうす軍内で緘口令がしかれているのかとは思っていたが、エディも実際そうだったのだと話した。あと、陣営地に仕込まれた毒については、熱と湿疹の流行病を病状を装う症状の毒だったため、症状の出た者たちが「毒を受けた」という自覚がなかった場合も多かったらしい。
だた、「けれどね……」と、エディは先ほど肩をすくめて言っていた。
『上層部はね、あの戦地で出た被害が、シーリンによる『毒』であることを認めたくないんですよ。病であることにしたいのです。『毒』の場合、帰還した兵士たちに後遺症が残れば多かれ少なかれ保障してあげねばないと不満がでますから』
エディの言葉に驚いて彼を見返すと、「こういうことはよくあることです。全部とはいいませんが、上は、下を駒と思ってる場合が多いんです」とあきらめたように笑う。そうしながらも、目は決して笑ってはいなかった。
『ですが、今回、最悪だったのは……。シーリンの民は、まるでそういう軍の体質を見抜いてるみたいな毒をね、剣にも仕込んでいたことなんですよ』
陣営に流された毒は、熱と湿疹の病状が収まれば、解毒薬なくてもすんなり引いたらしい。
けれど――剣に仕込まれた毒は違った。
その「病気のような」毒で弱まっている兵士たちに突っ込んできたシーリンの少数精鋭の兵士。シーリンが自らの瀟洒な剣に仕込ませた毒薬は、そんな甘いものではなかったのだ。
流行り病とみられる症状でてんやわんやの兵営に仕掛けられる夜襲に奇襲。隊長、指揮官といった軍兵の中でも長にあたる者を正確に選び剣を向けてくる。
その瀟洒で折れてしまいそうな細い剣に仕込まれているのは――時を経るほどに痛みが増し、動けぬほどの激痛に見舞われる毒だったのだ。
剣の傷を受けた当初は痺れを感じる程度だったそうだ。そういう痺れを感じさせる毒を仕込むことは、ギーリンランドルにもある……だから戦地では見過ごされた。
エディは話していた。
『剣の傷を受ければ、誰でも痛みは感じる。毒が仕込まれていれば、痺れる。もしくは猛毒があれば、『すぐに』死ぬ、もしくは死に至るような症状がでる――そういうものだ。まさか、半年、一年、年をへて症状が酷くなる毒を仕込むなど……思いもよらなかった』
半月、半年、しびれがだんだんと痛みにかわる毒だったらしい。
最初は治りの悪い傷口周辺が痺れはじめる。
よって、診断は剣の傷の治りが悪く、傷口から病気になったとの見立てとなる。
けれど、一年経つと、傷を受けたところを動かすと大の男でも呻くほどの激痛が走るのだ。
そのような共通した症状が……シーリンの剣を受けた者達でではじめた――。
だがすでにそんな報告があがってきたときは、シーリンの自治が決定して一年近く経った頃。もちろん西に集まっていた兵士は解散し、次の配置に動いた後だった。
それが毒のせいであったかどうか、いまさら証拠は集めようがない。
ただ、シーリンの地に攻め入ろうとした際にシーリン兵から刃を受けた者達が『奇病にかかっている』。
それをどう見るか……。
国の上層部はシーリンの毒による攻撃を認めて、その毒の後遺症に苦しむ人間の生活を保障するのを拒み認めない。国王はじめ貴族たち、軍の上層部が「シーリンの毒」を認めないものだから、解毒剤の研究はほぼ進まない――悪循環だった。
既存の解毒薬はないのかとたずねたが、エディは首を横に振った。
おそらくシーリンの民は解毒剤を持っているのだろうと。それゆえに自らの剣に仕込めるのだから。 けれど、それはどこにも出回っていない。ギーリンランドルにも隣国ケイリにも。
エディは言った。
『あなたのようにね、ギーリンランドルにもごくごく少数ですが銀の髪の民はいるにはいる。あなたのように親や祖父母をシーリンの民だった者です。ですが……調べても調べても、これが、ことごとく『何も』シーリンのことを伝承してきていない』
銀の髪の民から解毒薬の情報を得る方法は見つからない。解毒薬を開発するにも、軍の上層部が頼れない以上、軍直轄の薬師や薬草師を通すこともできない。
それでエディは、庶民の薬店の薬を片っ端から試すことにしたらしい。
そこで、フィアの作った薬草液に出会ったのだ。……まさかフィアが配合を考え出して生み出した薬だとはエディは知らないままに。
仕事の準備をしながら、フィアはエディの別れ際に話したことを思い出した。
『……フィア、隊長のところに来てください』
言われて駆けつけたい気持ちでいっぱいだった。けれど、彼が自分を認めてくれるのかすらわからない。
フィアの戸惑った表情をエディはどう受け取ったのかわからない。
ただ、エディは言った。
『隊長は、目の光も失われているんです』
『え……』
『あなたが隊長と男と女として再会することを恐れているんであれば、あなただということは言わなければいい。あなたは黙って、私を介して問診してもらうのでもいい……とにかく、隊長の苦痛をやわらげてる薬が欲しい』
『目も見えていないのか?』
フィアが問うと、エディは苦しそうにうつむいた。
『シーリンの毒を受けて、激痛を抱えたものは多数いることがわかっていますが……全身に刃を浴びて、一度、息の根を止めるほどの状況になったのは隊長だけ』
『どうして、どうして、あの強い人が』
『あの人は……馬鹿だ。本当に本当に、軍人としても馬鹿になって……あんたの顔によく似た、紫の目の銀の長い髪の……ちょうど同じような年頃の女兵士を前にして、反撃の一撃を一瞬迷った。それが命取りになるというのに』
エディがこちらを見た。
強い瞳だった。有無を言わさぬ瞳。
エディが口を開いた。
『……私は、前のようにナイフでも針でも、この腕ひとつででも、あなたを脅し羽交い絞めにし、隊長の元へ連れて行くことはできるだろう。でも、それはしない』
『エディ……』
『あの人は、私にフィアの命を狙うなと言った。私はそれに従う返事をした。それを反故にはしない――だから、頼みます』
エディは頭を下げた。
『フィア、どうか来てください――あの人に、薬を』
フィアは自分の手を握り締め、ぐっと唇を引き締め、頷いていた。




