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30 薬


 王都というものは、朝から賑やかだ――……。

 それが、王都に暮らして三年目に入るフィアの、いまだ慣れぬことだった。


 長く、朝というものはフィアにとって、静かなものだった。

 夜、「紫龍」として仕事をし、帰ってくる。帰り道が早朝になるときもあれば、夜のうちに家に戻り、あばら家で朝を迎えることもあったが、どちらにせよ朝は静かだった。

 村からはずれ森近くにあったあばら家は、早朝、外を見れば小鳥のさえずりが聞こえた。外に出れば、草木は朝露に潤っていた。日によっては朝もやがかかり、ある日は今にも日光を欲しがるかのように葉や蔓が伸びている。

 夜に花が咲いたものは萎みしなだれ、朝に咲く花は今が出番とばかりに鮮やかな姿を見せていた。


 あばら家の生活は、貧しく衣食に困り、雨漏りとの戦いではあったが、もし何か良いことがなかったかと思い出すのであれば、あの朝の静けさを上げるとフィアは思う。そのしっとりと静かな朝は、夜に荒れ果て疲れきった自分を癒してくれていたのだろう。 


 フィアは「紫龍」だった頃の静かな朝を思い出すと同時に、ウィーゼンが泊まった翌朝の静かであるのに、あたたかさと心地よい気だるさをまとっていた特別な朝も思い出した。

 七日つづけて泊まってくれたあの日々だけ、朝稽古の剣の音がしていたことがふっと頭をよぎり、いまだに記憶が薄れてくれないことに苦笑するのだった。


 遠い記憶になっていいはずなのに、それでもフィアはウィーゼンのことを忘れきることがなかった。

 王都にくれば、未練など断ち切れるものかと思っていたが、そうではなかった。

 では、いったいなぜそんなに忘れることができないのかと自問しても、答えがみつからなかった。


 ただ、他の男性に声をかけられて共に食事をしても、話をしても、時に想いを告げられることがあっても、胸ははずむことも熱くなることもなく、次の誘いを断る言葉を探す自分がいるのだった。 



 窓越しに聞こえる王都の朝の音。人が行きかい、巡礼者たちは宿から神殿へ向かって大急ぎで歩いていく、朝いちばんの礼拝へと急いでいるのだ。

 賑やかな音にため息ともつかぬものを吐き出しながら、フィアは自分の朝一番にすべきことを始める。

 それは、鏡で髪色を確認することだった。


 

 王都に来ての日々、朝一番にフィアがすること。

 それは銀の地毛がでてきていないかを鏡で見ることだ。

 合わせ鏡もつかって後ろも念入りに見る。この三年、特に丁寧に髪を扱うようになった。


 アドルの街にいたときは、ミンダがフィアの元の髪色が銀の髪であることを知ってくれていたから、安心感があった。自分では見えない後頭部に染め残しがあっても知らせてもらえるし、生え際がもし地毛の色がでてきていたら教えてくれるだろうということ。

 実際は、こまめに染め直しているので、ミンダは「フィアが銀の髪っていうのはもちろんフィアの話として信じるんだけど、こうして一緒に暮らしていても全然わからないね」と言っていた。

  

 王都に来て一人暮らしになり、ますます丁寧に染めるようになった。

 染めながら、いつまでこうして染め続けるんだろうと思うことはある。

 シーリンの民の自治は守られ、この三年の間、ギーリンランドルが再びシーリンの地に手を出したような話は王都で暮らしていてもまったく聞かない。

 もう染めるのをやめてしまってもいいのではないか――……。元の色の髪が伸びきるまでは見苦しくなるだろうから、巡礼者のように布を頭にかぶっても良い。薬草師の中にはギーリンランドルで広く信仰されている神殿出身の者もいて、布をかぶったり巻いたりして髪をみせない人もいる。 

 

 だが、そう思いはするものの、フィアは結果的にまた染粉を手にし丁寧に染めるのだった。

 民の行き来がないのは変わらないのか、シーリンからギーリンランドルにわたってくる者がいないのか、やはり銀の髪の人を見ることはない。

 たった一人、銀の髪をさらす――それは、やはりまだ怖い。


 いつか白髪であってもおかしくない年齢に差し掛かったら、すべてを晒せるのだろうか。堂々としていられるだろうか。

 そんなことを思いながら、鏡の中でフィアは髪の染め具合を見るのだった。


 そうして自分の本来の色が無いことを確認できたら、錆び色の髪に櫛を通し、仕事の邪魔にならぬように編み込んでゆく――……。


 それがフィアの日々のはじまりで、今朝も変わらぬはずだった。



 **** 



 朝食をとり、仕事用の白衣に着かえ、一階の薬店の店舗への階段を下りていく。

 そのとき、フィアは階下でフィアと同じくこの建物に住む先輩薬師が少々声を荒げているのを聞いた。


「何度も説明いたしますが、薬草液は薬店の薬草師、薬師、皆で作りだしたものです。どの薬草師が作ったものかと個人の名を聞かれてもお答えしかねますっ」


 丁寧な口調ではあるが、先輩薬師は明らかに怒っているのが声音からフィアはわかった。

 ときどき薬店には明らかな難癖をつけてくる人が現れる。効果が足りない、もっと口当たりをよくしてほしいなどの改善を求める声ならば聞くことができるのだが、この薬は他店と類似しているから販売を中止しろだとかの暴言は可愛いもので、新薬の配合を教えろと脅迫してくる場合もあった。

 よってたいていの薬店では、その店独自の開発した薬に関しては、その薬の配合を考えたものの「個人名」は基本的に明かさないのが常だった。

 もちろん店内の薬師や薬草師同士では誰が考え出したかわかっているのだが、それは口外しない。そうでないと、薬が効かないといってその薬の配合の考案者に難癖をつけたり、恨んだりして、個人をつけねらってくる場合があるからだった。

 

 フィアは先輩の声と言葉からして、またそういう難癖をつけてきた者かと思った。先輩の助けになれないかと、急いでフィアも階段を下りる足を進める。

 だが、先輩の話し相手らしき男性の声が聞こえてきた途端、足が完全に止まった。


「この薬の調合がとても身体に合っているらしくて……調合したものに会って、さらに細かく身体に合うようなものを作っていただけないか依頼したかったのですが……難しいのですね」


 綺麗な発音、丁寧な話し方。けれど、どこか冷ややかさを持つ声。

 

 ……まさか。いや、でも、似た声の人などたくさんいるのだから……。


 フィアはそう思って、でも、足がすくんで動けない。

 階下で話す先輩もその相手も、フィアが下りてきてることは気づいていないのだろう。男の言葉に続いて、先輩の声が聞こえて来た。


「ですから、その場合でしたら専属薬師の契約を結ぶ方法があります」

「それは先日ここに来た折に他の薬草師に説明いただきました。だがその時の説明でも尋ねましたが、その契約の流れでは、この薬草液を作った者と契約を結べるとは限りませんね? そもそも先日来たときの話では、専属契約も人気があるので順番待ちになる可能性が高いと伺いましたが」

「それはそうですけれど……薬草師にも薬師にも人数に限りがありますから順番はお待ちいただくしかありません。どこの店でもそういうものです」

 

 引かない相手に先輩薬師も困っていたのか、最後は困惑と苛立ちがあらわになっている。フィアは男の声が覚えがあることに気をとられながらも、先輩になにか助け船をださなければならないと思い、もう一度階段を下りた。

 一階の廊下に出て、恐る恐る顔を上げて声の方を見る。


 フィアは、二人の姿が視界に入った途端、自分の全身が凍りついたと感じた。

 ありえないと思いつつ、もしかしたらと予想した姿がそこにあり、思わず踵をかえしそうになった。


 だが、その瞬間。


「……まさか、フィア!?」


 向こうの方がフィアに気付くのが早かった。

 フィアの名を呼ぶのは、女の先輩とはあきらかに違う、男の声。

 

「なぜ、なぜ、あなたがここにいるっ!」


 明らかに驚きが隠せないというような男の声は、顔をそむけようとしたフィアにあっというまに近づいて――そして、腕を取った。逃げる間などなかった。

 向こうで先輩薬師が「何をしてるんですか!」と男を止めようとしているのがわかる。

 だが、フィアが男に向かって、


「……エディ」


と名を呼ぶと、先輩薬師が「知り合い……なの?」と驚いたようにつぶやき、男をひきはがそうとするのをいったんやめた。

 フィアをつかむ男は、目を細めた。


「……まさか、ここで会うとは」


 フィアは返事ができなかった。だから、ちょっと口角を上げて微笑むにとどめた。


 砦で会った、ウィーゼンの部下。

 たった一度だけしか会ったことのない人間だというのに、ウィーゼンの熱く悲しい記憶と共に、どこかで深く記憶に残っていた人物。


 今、フィアをつかむ男は、記憶にあった軍服とは似ても似つかぬ、王都の庶民の中で流行の上着を着こなしている。

 だが、そこにある整った顔は、明らかに砦で会ったエドラスト――エディ、だった。




 ****




 フィアとエディは、薬店から大通りを抜けたところにある噴水のある広場にきていた。

 

 思わぬ再会の直後、エディはフィアと話す時間が欲しいと願ってきた。

 仕事前のフィアだったが、フィアとエディが古い知り合いで何かあると察した先輩薬師は「開店準備はしておくから」といってくれ、少し時間をもらい今ここにいるのだった。


 噴水の横にこしかける。

 水しぶきが気持ちいい。

 まだ雨期を迎えておらず、空は晴れ渡っていた。


 エディもフィアの隣に腰かける。


「……元気そうですね」

「はい」


 エディの問いに答えたが、それっきり沈黙が続く。

 ただ一度会ったきりの人なのに、なぜ呼び止めたのだろう――そう思うけれど、なんとなく予感がした。このエディという人間がフィアを呼び止め用事があるとするならば、それはたった一人きりの人物に何かがあるとしか考えられなかった。

 

 何を切り出されるのかと恐れる気持ちと、もう以前のような自分ではないという跳ね返すような強い気持ち。どちらの気持ちも抱えながら、フィアはエディが話しだすのを待った。


 エディは言った。


「シーリンの自治は守られた……知っていますか?」

「はい。……最近、わずかではあるものの鉱石の取引は公平な形で開始したようですね。じょじょにギーリンランドルとの国交も回復すると良いのですが」

「……それなりに情勢は知っているのだな」

「王都で配られる新聞には目を通していますから、庶民が知らされていることについては、だいたい」


 そう答えながら、のど元まで出かかった。


 ――ウィーゼンは……いや、あなたの隊長は、どうしているのか。元気にしているのか。


 聞きたかったが、フィアはそんな気持ちを見せずに、背筋を伸ばし座り、朝の通りを歩いてゆくひとを見ていた。

 

 しばらくしてエディの方から言った。


「……隊長のことは、気になりませんか」


 問われて、胸が詰まった。けれど、フィアは堪えた。


「隊長とは誰のことでしょう」


 そんな風に言って、間を置き聞き返す。エディが、今、なぜここでフィアにそんなことを問うのか……恐ろしい気がした。

 薬店の前での再会、その前の先輩との会話、そして、今……。

 エディの行動と言葉が、何かよくないことをフィアに告げてくる気がした。


「……ウィリアム・ローウェルです」


 フィアにとっては親しみのない名、ウィーゼンの本名。

 それが示され、フィアは逡巡した。


 かぶりついて聞きたい気持ちもあった。

 けれど聞いてしまえば引き返せないと思った。

 エディからこれ以上何かを聞けば、再会したい気持ちがきっと燃え上がってしまうだろう。


 では、無視できるかというと、それもできそうになかった。


 結局……捕らわれている。心は恋い焦がれている。

 きちんと自分で生活を送れるようになり、暮らしも安定しても、なお、やはり心が求めている。

 頼るのではなく、反発するのではなく、すがるのではなく……。


 好きだったのだ。

 好きな人だったのだ。

 恋をしたのだ。


 ……聞きたい。


 フィアは、自分の心に従った。けれど何が聞きたいのか心は整理できてなくて、当たり障りない問を選んだ。


「……彼は王都に?」


 フィアが思い切ってそう口にして隣のエディを見上げると、エディはフィアから目をそらした。


「あぁ……王都の一番端ですが、いちおう王都の範囲にはいるんでしょうね。王都のはずれから森が広がっているでしょう? あそこの近くにある別荘を本宅がわりにして過ごしています」

「そうか……出会ったことはないな」


 いつのまにか、近くに住んでいたのだろうか。

 フィアは基本的に薬店とその周辺の店を回るばかり、王都のはずれの森の方面まで出かけたことはない。城の方や軍人の多い地区にも一切近づかない。

 だから出会わなかったんだろうか。 


 そう思いながらも、エディがフィアの勤める薬店で買った薬瓶のことが気にかかった。さきほど薬店に詰め寄るために持ってきたのか、今もエディの手ににぎられる薬瓶。

 自分が作り出した、その薬草液――効能も香りも、熟知しているつもりの「それ」が、彼が「元気なのか」と問うことを躊躇させているのだ。

 

 エディはしばらく黙って、それから息をついた。


「出会いはしないでしょうね。……この薬を飲んでいるのは、彼ですよ。」


 フィアは、膝の上でぐっと握りこぶしを作った。 


「痛みが……全身を襲う痛みがものすごいらしくてね、あの屈強な人が……歩くための一歩も踏み出せない。まともに眠ることすら……長くできなかった」

「……」

「この薬……それを薬草液で身体を拭って、別瓶のを口にして……やっと……二年ぶりにこのまえ眠れたんだ」



 エディが求めていた薬――それを使うのがウィーゼンだということは……もうすでに、心のどこかで気づいてた。


 ……聞きたくなかった。……いや、聞きたかった。

 

 ただ、聞いてしまえば――……駆けつけてしまう自分がいるのはわかっていた。





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