29 王都
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フィアはいくつかの準備を経て、薬師ベルドの紹介状と共に、ある春の日に王都へと旅立った。
王都はトエルよりもさらに東に行かねばならなず、何泊もかかる。
女の一人客では宿泊しづらいという経験は、アドルの街に来た初日に経験した。
なので、王都に行くまでに野宿になってしまわないよう、出発前までにフィアは宿屋の店主の知恵も借りながら、女部屋のあるような大きな宿がある街や、女性の旅人もおおい巡礼者がよく通る道筋をつかって王都にむかうことにした。
ミンダや宿屋の店主、アンジの食堂の店主やアドルの街ですごすうちに仲良くなった友達に見送られ、フィアは出発した。
王都までの道のり、時に置き引きにあいかけたり、相部屋となった同じ年の女性と意気投合して明け方まで話し込んだり、馬車を乗り間違って目的地とはちがう街についたり……それなりに様々な出来事はあったものの、フィアは予定通りに春の日差しがあたたかな快晴の日、王都に着いたのだった。
小高い山の上に大きな城が見え、そのふもとから広がる王都は、とにかく広い街だった。
フィアが見たこともないほど大きな建物や、立派な石畳で整備された中心地街。大通りは多くの人でごったがえしており、広場には噴水があり吹き上がる水がきらきらと春の陽光を跳ね返している。
たくさんの人とすれ違いながら、フィアは砦の薬師ベルドが書いてくれた紹介状と案内地図を手に就職口である薬店を探す。
探しながら、行きかう人の様相もそっと見ていた。
キーリンランドル人の主流の外見である黒や茶の目と髪の中で、フィアのように紫の目や青に近い目、緑の目、そして金にも見える薄茶の髪の人もいた。だが、老いたゆえの白髪の人はいても、若くて銀の髪は皆無だった。
慣れぬ石畳に足が痛くなりながら、中心地街をあるきまわりやっとみつけた薬店は、あまりに大きな建物で薬店とは思わずに何度も素通りしていた、レンガ造りの立派な三階建ての建物にあった。
よくみれば乳鉢と薬草の絵が描かれた看板がかかげてある。扉を開くと、フィアは一気にさまざまな薬草が混じった匂いに包まれた。
それは昔、自分が幼い頃、家の前で遊んでいて「ただいま」と帰ってきて扉を開けたときに鼻腔をみたした、懐かしい薬草を煮出す匂いだった。薬草は自分が煮出しているとだんだん鼻が慣れてくる。だが外から煮出し作業中の部屋に入ってくると、一気に濃くなる匂いに一瞬むせかえってしまうものだ。
自分以外の誰かが薬草を煮出す……その場所を、フィアは懐かしいと感じた。
薬草店はにぎわっていた。
幾人かが薬瓶を持って白衣の人と話をしたりしている。どうやら白衣の人が薬草師や薬師のようだった。
フィアが入ってきたことに気付いた白の長衣を着た女性の一人が、「御用をうかがいます」と微笑をたたえて近づいてきた。
フィアは緊張していたが、荷物を脇に置き、薬師からの紹介状、そして第一級の薬草師の資格証を手に持つと、白衣の女性の前に顔を上げて踏み出した。
「初めまして。私は……フィア。西の砦の薬師ベルド・ドナードからの紹介でこちらに参りました」
こうしてフィアの王都での暮らしが始まった。
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ミンダの家に居候させてもらい、畑仕事や店番など新しいことを学んでいくときも、毎日がめまぐるしかった。
だが、王都での新人薬草師との生活は、それ以上にフィアにとって目の回るような毎日だった。
最初の頃は、まず王都のたくさんの人と、薬草店に来る多くの患者に慣れるのに必死だった。人格どうこうではなく、人の多さに慣れることが大変だったのだ。
薬草店の三階の一室がフィアの住まいとなったので、仕事先に出向くのに時間はかからない。また、同じ階にフィアより十歳ほど年上の女性薬師が住んでおり、その女性がさっぱりした気性なのもフィアには幸運だった。
わからないことはたずね、なんとか毎日過ごしていた。
複数の薬草師・薬師でひとつの薬店を切り盛りする……そのような体制に慣れていないフィアは、時間の振り分けや、引き継ぎ事項、共同で薬を作る場合のそれぞれの規則など、集団で働くにあたって学ばなければならない基本的なことがたくさんあった。
第一級薬草師となってすぐに活躍できると考えるのは大間違いで、勤める「薬店」にまず慣れることが先だったのだ。
大所帯に慣れぬフィアは、人づきあいにしても仕事の進め具合にしても最初は落ち込むことが多かった。そういうときは、ミンダに手紙を書いて心を落ち着けた。
くじけそうなときにも、とにかくしがみついて薬草師として腕を磨こうと念じ、なんとか仕事をつづけた。
ギーリンランドルに雨期が来て、長い雨が続くのは王都も同じだったが、それが明けたころだろうか……薬店の常連の患者の顔や病状などもわかるようになり、ずいぶんと仕事をすすめるのが楽になった。
そして夏を過ぎ、木々の葉が色づき落葉するころには、仲良くなった同僚の薬草師や先輩の薬師と王都の人気の菓子店のぞくことができるぐらいには、馴染んでいた。
フィアは必死に毎日を新米薬草師として働き、季節が一周して王都でもう一度春を迎えることには、薬店で常備扱っている薬草液のいくつかは任せてもらえるようになった。
二年目、一度、休みをもらって山のように土産を準備してミンダのところに顔を見せに帰ることができるくらいに、給金が安定した。
三年目に入った今、専属の患者を任されるようになっていた。
任された患者の病状に合わせて、その状況によって毎回配合をかえていく専任薬草師は難しいことも多かったが充実していた。
また、王都での生活にもずいぶんと慣れて、錆色の髪をそれなりに綺麗に編み込み、同僚と出かけて、足を痛めることなく石畳みを歩けるようになっていた。
そして時に薬草店で働くフィアを見初めて声をかけてくる男性が現れたりするようになっていた。
今日も、薬草店が閉店時間となり後片付けをしていると、同僚に世間話のようにして問われた。
「フィア、この前、連日待ち伏せして言い寄ってきてた菓子屋の店員の彼、どうしたの? 最近来ないね。デートくらいした?」
フィアは、誘ってくれた男性とは、食事に一度行ったがそれ以上のつきあいは断ったと話す。
「うーん。フィアは、一度の食事から関係が進まないって言われてるけど本当ね」
あっけらかんと言われて、フィアは苦笑した。同僚二名と先輩、そしてフィアの四人は、薬店働く女性四名で、必然的にいっしょに行動することが多い。三年目となると、ずいぶんとフィアも馴染んでいた。
「……話もせずに断るのはよくないと思って、食事は行ってみるが……うん、それ以上を共にするのは、なんだか違う気がして、断ってしまうんだ」
真面目に答えると、同僚たちは「そのおとなしそうに見えて、きっぱりしてるところがなんていうか真面目すぎるけど、気持ちいいよね」と笑った。
別の先輩が、「フィアは駆け引きしないものね。それでいいんじゃないの」と言ってくれる。
田舎であれば二十四になるフィアが独身でいることは目立つことであったが、王都に来てみると、仕事をもつ女も少数ながらいる。しかも、薬師ベルドが紹介してくれた薬店は店主が女性のせいか、働いている者も女性が多くてフィアは居心地がよかった。
フィアは静かに後片付けを終えて、先に失礼しようかと席を立った。そのときだった、同僚の一人が
「そういえば……」と話し始めた。
機会をいっして、フィアは座りなおした。
「そういえば、私、昼の受付に入ってるでしょう? あの時間帯って、だいたいがお歳を召した方ばっかりなんですけど、久々にすごくカッコイイ男の人が薬草液の相談に来たんですよ。すらりと背が高くてね、話し方もとっても優しくて。普通の市民の恰好をしてたんですけど、あれぜったい軍の関係だとおもう」
同僚のことばに、先輩の薬草師は「なぜそんな想像を」と呆れた顔をした。
「軍関係の薬は、軍直轄の薬師たちが扱うだろう? 貴族もお抱えの薬師がいるものだ。我々は王都に集う商人、庶民たちのための薬店、軍関係がくるわけないよ」
「ですよねぇ……。でも、あの人、足音立てないの。薬をうけとるときも気配がないんだもの。庶民とは違う気がする」
「おまえにかかると、静かで上品な人はみんな軍関係になるね」
先輩の言葉に同僚が「そうかなーっ、私の勘ってあたるんですけど」とぶつくさ言っている。同僚の人間観察眼の話をフィアは楽しみながら聞いていると、同僚が突然フィアの方に向いた。
「フィア、もしその人が来たら、あなたもよく観察しておいてね。というより、ふらふら着いていっちゃだめよ。あの人、絶対、何かあるもの」
「……私はそんな男出会ったことないし……そもそも私は奥で薬液を煮出す側にいるから……店頭にはあまり出ないし……」
話をふられて意味がわからずそう答えると、同僚がフィアにずいっと顔を近づけた。
「近々、フィアに会いにくるわよ。ぜったい」
「なぜ?」
「だってその人が店に来た理由ってね、フィアが調合した薬草液を気に入って、もうすこし大瓶で作れないかってことだったもの」
「薬草液……どれのことだ?」
「血行を良くするものと、痛みを和らげるもの、かな。フィアが調合開発したもの店舗に並べてるでしょ、あれ。香りが合うらしくて、ずっと眠れなかったのが初めて使ってその日はぐっすり眠れたんですって。その日はフィアも非番の日だったし、その人もいつもの大きさの瓶を五つお買い求めになって帰られたんだけど、絶対また来るって。すごい熱心だったもの」
同僚の言葉に頷きつつ、フィアは内心、ほんの少し恐れた。
同僚が「軍関係」という言葉を使ったものが、自分の調合した薬草液を気にいる――それは、なんとなく、昔を思い出させたからだった。
フィアが調合した草かぶれの軟膏。いまやそれはアドルの街で一般的に売られるものとなったが、あの軟膏一つで、エディはフィアのことを気付いてしまった。
まさか同じようなことが起こるとは思えない。
けれど、なんとなくフィアの心はざわつき、フィアは今も外せずにいる腕飾りを白衣の上からそっと撫でたのだった。




