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2 朝食


「一週間、ここにいると言っていたが、本当にそのつもりなのか」

「あぁ。あと七、八日すれば、雨期がやってくるだろう。その前まで、ここにいる」

「それからは?」

「いつものとおり、国境の砦の兵隊さ。……この焼いた玉子、うまいな。それにこのスープも香草か何か入っているのか? すごく良い匂いがする」


 はぐらかされたのを感じて、紫龍も「料理は好きなんだ」と話題をするりとうつす。

 ウィーゼンと名乗るこの男は、数カ月に一度この地を通って国境に向かう雇われ剣士だと語った。

 とはいえ、ウィーゼンという名が本名なのかどうかはわからないし、誰に雇われているのかも紫龍は知らなかった。

 紫龍の住まう鄙びた小さな町からはるか東、馬で移動しても10日はかかる王都からはるばる来ているらしい。だが、なぜ年間を通して滞在するのではなく数カ月ごとに通っているのかたずねたことはなかった。それだけでなく、一人で動いているのか、それとも別の街には仲間も共にいるのか、詳しいことは一切たずねなかったし、ウィーゼンも話さなかった。

 『紫龍の住まう町からさらに西に進み、ギーリンランドルと隣国ケイリの国境にある砦で雇われている』

 紫龍が彼に関して知っているのはそれくらいだ。

 それ以上、込み入ったことを聞く相手ではないと思っていた。紫龍は、自分がウィーゼンに買われたにすぎないとよくわかっていたからだ。


 二人の間で、食事中の食器の触れ合う音だけが微かに鳴る。

 微妙な沈黙が漂い、紫龍はウィーゼンが返答に困らないような話題はないかと頭の中で思いめぐらす。

 すると先に口を開いたのはウィーゼンだった。


「そういえば、前に薬草液を混ぜた塗り薬を持たせてくれただろう。砦にいるとき、とても役立った。ありがとう」


 気まずい沈黙が破られたことにほっとしながら紫龍はうなづいた。 


「……あぁ、あの軟膏か。役に立ったなら良かった。砦の近くの森に生える草に肌が負けると言っていただろう? 西の方で肌を傷める草というと、あの軟膏が効くんじゃないかと思って」

「そうか。王都の軟膏だとあまり効かなかったんだが、紫龍にもらったやつはすごく効いて、仲間にも好評だった。紫龍、草をよく窓辺で干しているとは思っていたんだが、あれは薬草だったんだな」


 ウィーゼンの言葉に紫龍は肩をすくめる。


「森の奥に生える草で、高く売れる薬草がいくつかあるから。……まぁ、大切な収入源のひとつだ」


 そう言いながら、紫龍は薬草の収入だけで生きている女であれば、ウィーゼンとは出会わなかったのだろうかとふと思った。

 二人の始まりが娼婦と客だったからだ。

 隣町トエルの酒場で紫龍が男に誘いの声をかけ、男は紫龍を気に入った。この国ではめずらしい淡い銀の髪は、なかなか人気なのだ。出会った二人は、そのままトエルの”そういう”ことにつかわれる安宿で一夜を過ごした――それがウィーゼンと紫龍の出会い。

 出会いなんてものでもない、一夜限りの客、その場で終わるもの。

 紫龍は決して、自宅で客をとったことはなく、トエルという大きな町の場末の酒場とその上階の宿が金に困った時期の”仕事場”だったから。


 けれど他の客と違い、ウィーゼンが紫龍の家に来るようになった。それは偶然の再会からだった。

 ウィーゼンとの一夜から数カ月たったころだった。旅装束のウィーゼンが偶然にも紫龍の住むこの村を通ったのだ。


 その日、紫龍は人気のない夜をみはからって、そっと水汲み甕をかかえて小さな手持ちランプを頼りに井戸にむかっていた。そのとき、もの影からぬうっと男が出てきたかと思うと「水を汲める場所がないか」とたずねてきた者がいた。

 警戒しつつランプで照らすと、いつぞやの客だった。

 紫龍がこの男が覚えていたのは、大きな身体に大振りの剣というあまりに物騒な姿の割に物腰も、触れ方も丁寧で、さらにお代も上乗せする上客だったからだ。

 男もまた、その水がめを抱えている女が数か月前の娼婦だったことにすぐさま気づいたようだった。淡い銀の髪を覚えていたらしい。

 こうした再会は、結局、時折紫龍の家に顔を出す「馴染み客」としてのつながりへと変化したのだった。


 ウィーゼンは国境の砦と王都を往復する際、この村を通り道中の水や食べ物の補給がてら滞在し、紫龍の家で寝起きし出ていく。

 一泊するときもあったし、急ぎだということで、半日や数時間、ただ寝台を共にし、すぐに身支度をととのえ出ていくこともあった。

 ウィーゼンが何に指示され、何に急ぐのかは、問いかけたことはなかった。

 もう少し長くいてもいいのに……たとえ、そう思った朝があったとしても、一言も口にしたことはない。

 家に寝泊まりすることがたびたびあったとしても、決して恋人ではないのだと紫龍はわかっていたから。


 ――だって結局は身を売る女とそれを買う客だもの。


 その証拠に、今まで会うたびに、去り際に金袋が必ず置かれていた。

 一泊するときも、逢瀬のような数時間であっても、ウィーゼンはお金の入った袋を紫龍のあばら家にある壊れかけた机に置く。それは紫龍にとってあまりに高い金額だったが、ウィーゼンはおしげもなくそれを置いて去っていくのだった。

 つまり、紫龍はウィーゼンに買われているのだ。


 ウィーゼンが紫龍の家を訪ねるようになった当初は、「体格も顔もよい上に、さらに気前も良いとは”恵まれた者”は違うものだ」と皮肉まじりに金袋を見ていた。

 しかし回数を重ねていくうち、机に置かれる金袋に思わず唇をかまずにいられないようになっていた。


 ウィーゼンの接し方はあまりに紫龍を大切にするから。見下げることもなく、普通に会話をし、人として対等であるように扱ってくれるから……紫龍は時おり、自分が特別に大事にされているのではないかと夢をみたくなってしまう。

 けれど、ウィーゼンの逞しい腕が机の上に金袋を置くと、夢は泡のように消える。ただ、金袋の重みだけが紫龍に残る。

 ……いらない。ウィーゼンからは、受け取りたくない。

 そう思うのに、突き返すこともできないでいるのだった。


 ……突き返したとしても、恋人になれるわけでも、ましてや夫婦になんてなれないのだから。


 それがわかっているから、紫龍は、ウィーゼンが机に置く金袋にきちんと手を伸ばすことにしている。

 燻ぶる気持ちを抑え、「悪いな、私のような痩せぎすの女に」と言いつつ、あっさり受け取り、あまつさえ中身をたしかめるような下卑たまねすらしてみせる。

 そのたびに、胸にかみしめる。

 この男と私は恋人ではない。

 馴染みの客……なんだ、と。



 けれど、今朝はあまりにいろいろなことが違った。

 朝起きた時に、剣の音が聞こえたことも。

 いつもなら金袋が置かれるはずの古い小さな机に朝食を並べていることも。

 これから一週間もウィーゼンがそばにいるということも――それが、たとえ「買われた時間」であったとしても、こんなに共にいることがあるとは、紫龍にとって夢のようだった。


 紫龍にとっては奮発しているつもりでも、きっとウィーゼンにとっては粗末であろう食事を、ウィーゼンはさもおいしそうに口に運んでくれている。

 大きな口に、ぱくぱくと豪快にパンを運ぶすがたはすがすがしいくらいで、紫龍は目がしらが熱くなるのを必死に顔をこわばらせてこらえた。

 そんな紫龍に気付いたのかウィーゼンもスプーンを持つ手を止めた。


「どうした? 食事の手が止まってるぞ。紫龍は食欲がないのか?」

「……あぁ、いや、ぼんやりしていただけだ」

「そうか。なら良いが……。雨期の気候に弱いと言っていただろう。雨期が近づいて体調を崩しやすいようなら、ちゃんと言ってくれよ。数日だがここにいるんだから、薪割りでも屋根の修理でもやっておくぞ」


 ウィーゼンの自然に会話に織り込まれる気づかいに、紫龍は胸があたたかくなる。

 同時に、このあたたかさに慣れてはいけないと心の半分が警告を鳴らしているのを感じた。


「大丈夫だ。……もし、必要なことがあったときは、頼む」

「あぁそうしてくれ。お、紫龍、このパンも旨いな」

「まだ、焼いてあるから……もっと食べてくれてかまわない」


 そうしてパンの入ったバスケットをウィーゼンの方に押し付けながら、紫龍は戸惑う自分を律するようにして深呼吸した。


 朝稽古といい、一週間という長さといい、いつもと違う何か。

 嬉しい。けれど、これほどの違いは、きっと、何かの前触れでもあるだろう――よくないことの。

 紫龍はそんな風に考えた。


 ――最後、なのかもしれない。もう、ここに立ち寄るつもりがないから、最後に少しながく留まってくれるのかもしれない。


 ふとそんな風に思い、それは紫龍にとって正解のような気がしてならなかったのだった。



 

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