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26 生まれ変わる


 それから部屋で一人すごした夜のことは、フィアはあまり覚えていない。ただ、エディが用意してくれていた寝床に膝を抱えて座っていた。

 涙ひとつこぼさないようにして。


 部屋の小窓から明かりが差し込み、朝の鳥のさえずりが聞こえるようになると、フィアの泊まる部屋の扉にノックが響いた。

 次いで、


「朝食です」


と、扉の向こうからそっけないエディの声がした。

 静かに扉を開けると、パンとスープがのったトレーを持ったエディが立っている。


「食堂より、こちらで食べる方がいいでしょう」

 

 部屋には入らず、出入り口までフィアが来るのを待ってから、エディがそう言ってトレーを突き出してきた。

 フィアはうなづいて受け取る。そのまま俯き加減のまま部屋に引っ込もうとすると、エディの腕が伸びてきて、トレーの空いたところに、濡れ布巾を絞ったものを置いた。

 フィアが顔を上げると、冷ややかに見下ろしてくるエディの目とかちあった。


「目、腫らして無様な状態になっているかと思いましたが……。案外、強い」


 エディの言葉にフィアは首を傾け、思い当たることがあって、今トレーに置かれた濡れ布巾に指先で触れてみる。

 それは、つい先ほどまで井戸水か何かで冷やしていたかのように冷たかった。

 エディは自分が泣きはらした目をしていると思い、これを用意してくれたのだと気づき、フィアは苦笑した。

 部屋で食べる用意してくれることからも、エディには昨晩のウィーゼンのやりとりは筒抜けだったのだろう。

 乾いた唇をかろうじて動かしてフィアは言った。


「……お気遣い、ありがとう」


 本当ならば、エディに、ウィーゼンはどうしているかと問いたかった。あの茫然自失の彼を部屋から追い出したけれど、その後、彼はどうなったのだろうかと。

 けれど、別れを告げたのは自分自身なのだ。気になる気持ちを抑え、フィアはそのまま黙礼して部屋に入ろうとした。

 その時、フィアの背にエディの静かな声がかかった。


「……隊長をはじめとする我が部隊は、しばらくすればシーリンに入ります」

 

 フィアは振り返った。昨日ほどは冷ややかではないエディの目を見つめる。

 整った優男の顔立ちのエディだが、きっとエディがその気になれば、いまここで投げ針や他の技でフィアを「始末」できるのだろうと、フィアは想像した。

 ここで密かにフィアを殺し、ウィーゼンにはフィアはここを去ったと告げて、迎えにきたミンダは適当にあしらい、密かにフィアのことを葬り去ることも可能だろう。

 だが、昨日と違い、エディは少しも動かなかった。


「表立った軍とは別行動ゆえ、我らの部隊の動向はギーリンランドル国内でも知らされることはありません。……お会いすることもないでしょう」


 フィアはもう会うこともないだろうエディに、別れの言葉が何かないかと思い浮かべようとしたが、うまく当てはまる言葉がなかった。

 結局、


「……草かぶれ、早く治りますように。お大事に」


とだけ伝える。そんなフィアの言葉にエディは薄く笑い、

 

「あなたもそれなりに……お元気で」


と、よくわからない挨拶を残し、エディは去っていった。


 

 ***** 



 昼頃にミンダは幌馬車で砦に現れた。

 ミンダは、町に戻るというフィアに、

 

「本当にいいんだね?」


と一度だけ確かめた。寝不足の顔に気付いたのか、ミンダの手指が心配そうにフィアの顔にできた目の下の隈をそっとさすった。


「砦には、もう用はない」


 フィアがそう言ってしっかりと深くうなづくと、ミンダは「そうか、答えをだしたんだね」と言い、フィアの肩をぽんぽんと叩いた。いろいろ聞かれることも覚悟していたフィアだが、ミンダはそれ以上何もフィアに聞かなかった。

 ただ、


「荷物を幌馬車に積もう」


と、すぐさまミンダは籠やら箱を整理して馬車に積み込もうとはじめたので、フィアは慌ててそれにならった。

 エディが準備したらしきギジリ草の山を兵士から受け取り、フィアとミンダはアドルの街を目指し帰路についた。



 塔を出ると、灰色の空だった。

 昨日はあんなに晴れていというのに、今はどんよりとした雲が空を覆っている。陽光がささないぶん日差しの暑さはまぬがれるものの、空気はどこかじめっとまとわりつく。

 塔をでて、荒れ地を過ぎ、人も荷馬車もほとんど行きかうことのない道を、ことば少なにミンダとフィアは馬車で通り過ぎてゆく。

 フィアは振り返って自分の心が揺れてしまうのを恐れ、一度も砦の方を振り返らなかった。


 そうしてアドルへの道を中ほどすぎたところで、とうとう灰色の空からぽつりぽつりと滴が落ちて来た。

 フィアが空をみあげると、ミンダは隣で肩をすくめた。

 

「雨だねぇ。でも雨のおかげで、畑の野菜も育つってもんさ」


 顔や身体に雨を受けながら、フィアはミンダが手綱をとる幌馬車の揺れに身をまかせた。

 ミンダの鼻歌が雨音に混じってきこえた。聞いたことがないその調べは、どこか物悲しい。

 フィアは降る雨のしずくをぬぐうふりして、目元をこすった。  


「……フィア、雨は、降っている雨粒は冷たいけれどね。その恵みは、時を経てちゃんとフィアに届くよ」


 手綱をとりながらフィアと肩をならべるミンダが、空いた方の手でフィアの肩を抱き寄せた。

 大きくはないけれど、畑をいじる硬くたくましい手。寄り添うとふわりと柔らかい肉づきのよいミンダの腕。


「自分ひとりで頭を支えるのがつらいときは、ちょっと人の肩をかりたらいいんだよ」


 ミンダはそういい、フィアの頭をそっと自分の肩にのせるように引き寄せた。

 ふんわりあたたかい。ウィーゼンの包み込むようなあたたかさや熱さとちがう、じんわりとしたやわらかなぬくもり。

 頬を濡らすものが雨なのか涙なのか、わからない。

 でも、隣のミンダはそんなことをフィアに問いただしたりしない……それがわかるから。揺れにまかせて、ただフィアは目をとじて、顔を濡らしてゆく自分を……許したのだった。




 アドルの街、ミンダの家に戻ってきたときは、もう夕方遅くになっていた。

 二人で遅い夕飯を準備するなかで、フィアは話の流れから、戻る住まいがなく、これから薬草師として取引先をさがしつつ住む町も決めていこうとしていることをミンダに話すことになった。


「治安のよさそうな町に住まえたら、仕事をみつけて薬草師の勉強を再開して、第一級の資格をとりたいと思っている。そうしたら……そうだな、いつか王都に行ってみたいんだ」

「でも、住む町を探して仕事も探してだと……なかなか苦労するね」

「あぁ……まぁ、そうだろうとは思う……」


 フィアがそう返事すると、考えこむような顔をしていたミンダが顔をあげて言った。


「それならさ、フィア。……薬草師として安定して仕事ができるようになるまで……第一級の資格がとれるまで、ここに住むかい?」

「え……」


 驚くフィアに、ミンダが頬をかいた。


「いや……まぁ、昨日今日出会ったばかりで、あんたも私のことを信用してるかどうかわかんないけどね……なんていうかね、ちょっと私もおせっかいというか、フィアを放っておけないと思っちゃってねぇ。あんたが嫌じゃないんなら、ここの空き部屋使ってもらっていいよ」

「ミンダ……」


 じっと見つめると、ミンダが焦ったように言う。


「断じて、薬草師のお前さんを利用するとか、そういうんじゃないんだよ。ほら……私もちょっと今、独り身だしさ……女同士助け合おうっていうかさ……。あ、砦に会いたくない男がいるんだろうから、砦の取引は私ひとりで行くし、あんたがここにいるってことは一切言わないよっ!」


 ミンダがそう言ってフィアを見る。

 フィアは驚きとそれから嬉しさで胸がつまってすぐに返事ができなかった。

 自分のようなものに優しくしてくれる……それが嬉しくて仕方がなかった。

 でも、フィアはすぐにうなづくことできなかった。

 あまりに嬉しいミンダの申し出だが、フィアの目には自分の髪先の「錆色」が目に入っていたのだった。


 ――今の自分の姿は、髪色を偽っている。

 フィアはそう心の中で思った。シーリンの民であると一目でわかる姿を隠している自分。そんな自分を砦のエディは「隊長」にふさわしくないと拒んだ。ギーリンランドルでは不要の存在ともいえる自分なのだ。それなのに、ミンダに偽ったままミンダの家に居候などしていいものか。


 フィアはとてもミンダの傍にいたかった。

 いごこちがいいし、ミンダのはきはきした強さに憧れた。黙ったまま、このままお世話になることも心の片隅に思い浮かんだ。

 けれど、年齢を偽れなかったのと同様に、この髪を抱えたままでミンダの好意に甘えることはできなかった。


「どうしたんだい、フィア。やっぱり考えこんじまうかな?」


 こちらをのぞき込むミンダの瞳をフィアは見つめ返した。


「……ミンダ、話したいことがあるんだ。それを聞いてもらったうえで、それでもミンダが私をこの家に置いてくださるのなら、お願いしたいと思う」


 真剣な口調で話したからだろう、ミンダもその眼差しに何か覚悟を決めたような色を混ぜた。


「……わかった。何か大事な話なんだね。聞こうじゃないか」


 フィアはミンダの淹れてくれたお茶で口を一度潤してから、話し始めた。


 自分の亡くなった両親のこと、そして銀の髪のこと――……。

 そして、勇気をだして、『紫龍』だったこと、つまり娼婦だったことも明かした。ウィーゼンが斥候だったかもしれないことは伏せつつも、砦の重要な位置にいる人と娼婦の自分が出会って恋をしたことも――……。

 

 フィアは怒涛だった日々を思い出しながら、ただじっと耳を傾けてくれるミンダに話し続けたのだった。




 すべてを話し終えたとき、すっかり準備した夕食は冷め、食卓の蝋燭もずいぶんと短くなっていた。

 フィアのことばが途切れると、フィアとミンダの間に沈黙が落ちた。

 ミンダはフィアが話したことをゆっくりと心におさめるようにして、一度目を閉じ深く息を吸い込んだ。その仕草をフィアは見つめていた。

 

 ミンダは深呼吸すると、瞼を上げフィアを見た。

 

「……宿屋の前で大荷物を抱えてんの見たときから、何かある子だとは思ってたけど……いろんなもの背負ってきたんだねぇ」


 しんみりした言葉だった。そして続けて言った。

 

「結論からいうとね、あたしの思いは変わらないね」


 フィアはミンダの顔を見つめた。ミンダが口角を上げ笑みを浮かべる。


「うちは食料だけじゃなく雑貨も扱ってる。あんたが恋人からもらったほどの上質な染粉は手に入らないかもしれないけどね、そこそこ取り扱いやすい染粉は手に入るよ。ギーリンランドルとシーリンの間がきな臭い間、身の安全のために染めてたらいいよ」

「ミンダ……」

「ここにいて、薬草師としての基盤を作りな。……ここで生まれ変わればいい」


 ミンダの言葉に、緊張していたフィアのこころがふいに緩み、同時に目に涙が浮かぶ。


「お願いする。……お願いします。もちろん、畑とかなにか手伝います」

「ははっ、頼もしいね」


 フィアは浮かんでくる涙をこすりながら言った。まだ、どこか自分をそのままで受け入れてもらっていることが信じられない気がした。


「あの、でも……どうしてそんなに、良くしてくれるのか……」


 フィアは戸惑いながらたずねた。

 するとミンダは「あ……」とちょっと困った顔をした。それから少し目をきょろきょろさせた後、息をつく。


「まぁ……私もね、私にもね……もう遠いところに……えっと……娘が……そう、娘がいるからね。その子を思い出すっていうかね……。だから、フィアが頼ってくれて、まぁ悪い気はしないんだよ。嬉しいというか」


 ミンダの言葉にフィアは合点がいった。

 ミンダには自分と同じような年頃の娘がいるんだろう。理由があって一緒にくらしていないのかもしれない。そして、フィアに重なてみてくれているんだろう。

 フィアは身代わりでもなんでもよいと思った。

 ミンダの優しさに、この三日でどれだけ救われたかわからないのだから……。


「ありがとうございます。ミンダは私の恩人です」


 そう言うと、ミンダは照れたように頬を赤くした。それから照れ隠しなのか冷めたお茶をがぶがぶと飲み干してから言った。


「まぁ、よろしくやろう。……あと、フィアがうちに来たらいいと思ったのはさ。あんたが、その髪のこと一つでも、あたしに偽って要領よくやればいいところを馬鹿正直に話す……不器用だけど真面目なとこが気に入ったんだよ」


 そう口早にいうと、「さ、冷めちまったけど、夕食にしよう。新しい生活に乾杯だ」と言って、ミンダはフィアの杯になみなみと果汁を注いだ。


 こうして、フィアはミンダの家に間借りさせてもらう新しい生活が始まったのだった。




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