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24 夜

 

「いま、隊長があまりに長くここにいるのは不自然です。ましてや任務以外で女性に話しかけることなど皆無な隊長が、砦に初めて来た若い女の薬草師と話してるなんて……あなたの恋の相手がこの人だと公言してるようなものだ」


 エディはそれまでウィーゼンにむけていた感情のある物言いをひそめ、てきぱきした口調で説明しはじめた。

 フィアは、いつも砦では、大らかな隊長とてきぱきした副隊長が切り盛りしているのかもしれないと想像した。

 自分の知らない信頼関係があるのだろうとも。


「もうすぐ階下の兵士たちは隊長の不在に気づき、呼びに来る。……夜に時間をつくりましょう。砦の者たちには、薬草師が滞在することになったとうまく言っておきます。それまでは、この女性は私と薬師ベルドの監視下におきます。……隊長、この貸しは高くつきますからね?」

「あぁわかっている」

「フィアは、私とともにまずミンダのところへ。ここに宿泊することになったと伝えにいきましょう」


 エディにそう声をかけられ、フィアはうなづいた。そのときエディと目があった。

 ほんの少し目を細められた。整った顔立ちの冷ややかな切れるような目線に、フィアは先ほどの背に当てられた剣の感触を思い出した。ぞくりとして、少し顔を強張らせてしまう。

 すると、


「隊長の命令と依頼ですから、もう剣も針も手出ししませんよ」


と即座に冷ややかに返された。

 そのまま身をひるがえし、すたすたと歩いていってしまうエディの後に慌てて続こうとすると、ふいに背中の髪を軽く触れられた。

 振り返ると、ウィーゼンだった。


 まなざしがかち合う。

 何かを言いたくて言えなくて、フィアは唇を開いたものの、また閉じてしまった。

 ウィーゼンが少し眉を寄せて、こちらを見てくる。その表情が何か言いたげにおもえてフィアが問いかけようとすると、軍服に包まれた腕がフィアとウィーゼンの間をさえぎった。


「……はやく来てください。他の兵士に不審がられる前に。話なら夜にしてください」


 二人の間を引き離すようにエディはそう言うと、そのままフィアの腕を引いて台所に連れたのだった。



 ****



「あれ、まぁ。フィアの探している人がいたのかい。そうかいそうかい。積もる話もあるってとこかな」


 ミンダがまつ台所にエディと共に伴いもどると、ミンダはすぐに何かを察したようで、すぐにそう言った。

 それからフィアに、


「わたしゃ、また明日に臨時で食料補充にくるからね、その時までに砦にのこるなり、アドルの街に帰るなり、今後を決めな。フィアが男の顔を見たくもないってんなら、ひきとめようとしても私が連れかえってやるから、安心しな」

 

と耳打ちしてくれた。

 そうして、今晩、フィアはこの砦に残ることになった。


 砦の者たちには、エディが、「薬草師」のフィアが森の草の草かぶれによく効く軟膏の調合を知っているので、大量に作りだめしてから帰ると告知した。

 かなりあの草かぶれには悩んでいた者が多いらしく、すんなり受け入れられた。

 夕食まではウィーゼンも隊長の職務がつまり、フィアはそのまま薬作りの道具のある小部屋をかしてもらい、薬師ベルドとともに薬作りにはげんだ。


 薬作りの最中は必要最小限にしか発語しないベルドのおかげで、余計な詮索も受けることなく黙々とフィアは夜まで薬作りに励んだのだった。



 夜、エディが薬草作りをした部屋の隣室に簡易の寝床をしつらえにきた。

 万が一他の兵士が変な気をおこして覗いたりしないようにと、内側からも鍵のかかる部屋だった。


「……夜、砦内のみまわりが交代する時期をみはからって、お忍びで隊長がここに来る手はずになっています。私はあなたを信用していない、同部屋は隊長に拒否されるでしょうから、私はあらかじめ隣部屋で待機させてもらいます」


 エディの言葉に頷く。それからフィアは、エディに頭を下げた。

 そんなフィアの態度を見て、心底いやそうに顔をゆがめ、エディは言った。


「私は、あの渡り廊下で、あなたがあの匂いの軟膏を差し出した時点で、この不審な女は始末すべきかと考えた。だが、あなたが間者にしては、あまりに無防備で、無邪気に砦を案内することを了承するものだから、私にも迷いが生じた」

「迷い……」

「……私の勘と予想ではほぼあなたはシーリンの女で隊長の想い人だった。だが、万が一私の予想がすべて間違っていて……隊長が任務中に恋に落ちたのも、相手がシーリンの女かもしれないことも、まさかそんな女がのこのことここに現れたことも……すべて、ただの思い込みなんじゃないかと。迷ったんですよ。だから、隊長があなたに気づき、どんな反応をみせるか確かめることにした。稽古試合の場に近づけてね。結果、このありさまです。……私は疑いが出た時点で、始末すべきだった。だが迷った。その自分の迷いの責任を今、負ってるにすぎない」

「けれど、あなたは私に手をかけなかった」

「隊長がものすごい勢いで現れましたからね。引いただけです。断じてそれはお情けでも優しさでもないので、はきちがえないでいただきたい。今でも私は、あなたを消したい気持ちでやまやまだ」


 エディはそういってバサバサと手荒く寝床のリネンを広げた。


「だが……もしわたしがあなたを手にかけ、あなたがこの世から失せたら、隊長はあの嵐の夜以上の予測不可能な暴挙に出るにきまっている。それは困る」

「……」

「さっさとあなたがたで話し合い、シーリンとの戦いが落ちつけば隊長の別荘で落ちあうなり、話をまとめ、早々にあなたは砦から出てどこかに引きこもってしまえばいいんだ」

「エディ……」


 言い方はきつかったが、エディは結局自分のことを見逃してくれてるのだとフィアは感じた。

 エディは、隊長とフィアが話すのは、どうしても別れられないから再会の約束を取り決めておくためと思っているようだった。

 

「こんな危険な逢い引きの手伝いなんて、金輪際いやですね」

「……でも、手伝ってくれるのだな」


 フィアが言うと、エディはフィアを睨んだ。


「あの廊下で私が草かぶれに苦しんでいたのは事実です。あなたに軟膏を渡されたとき、毒薬の可能性も捨てられないと思った。あなたは自らの手に塗ったが、解毒薬も持っているかもしれないのでね」


 フィアは驚いた。エディがあの明るい夏の日差しの廊下、笑顔を浮かべながらそんなことを考えていたことが驚きだったのだ。


「だが、もし、そこで私の身になにかあれば、この不審な女であるあなたを捕える大義名分が与えられますからね。塗ることにしました。……けれど、軟膏は軟膏のままでした。嫌みなくらいに、よく効いた。おかげさまで、悩まされていたかゆみがなくなり、すっきりですよ」


 すっきりしているという雰囲気はまったくない口調で、エディはそう言いながら寝具の枕を整えた。

 床の用意が仕上がったのか立ち上がり、フィアを見下ろす。


「ということで、軟膏は効果があったのはたしかですので。隊長の申し出と共にあなたが宿泊できるようにしたのは、それのお代の代わりです。ギジリ草は明日用意しますよ」


と言うと、早々に引き上げていったのだった。


 


 夜も更けたころ、遠慮がちに扉をたたく者があった。

 扉をひらくと滑り込むようにしてウィーゼンが入ってきた。

 狭い部屋に椅子はひとつしかなく、簡易の寝床に並んで座った。


 エディは隣部屋にいると言っていたが、左右どちらの部屋からも物音ひとつしない。でもきっと会話は聞かれているんだろうと思い、フィアは自分の言葉ひとつひとつが軽はずみならないようにと念じた。


 昼間とちがい軍服をきっちり着こなしたウィーゼンは凛々しく、上げて整えた前髪にさっぱりと短くなった髪形からは、到底流れの雇われ剣士には見えなかった。

 そもそもあの嵐の夜から大剣を見ていない。さっきの格闘技や投げナイフなどをみていると、背負っていた大剣そのものも偽りの小道具なのかもしれないとフィアは思った。

 何が真実でなにが演技だったのか、どこから会話をはじめればいいのかつかみそこね、フィアはすでにわかっていることを口にしてみた。


「……隊長なのだな」


 フィアがぽつりとつぶやくと、ウィーゼンはうなづいた。

 だが言葉が続かずフィアは黙るしかなくなった。

 次に口をひらいたのはウィーゼンだった。


「フィアールカ」


 ここに来て、初めて名を呼ばれた。胸がきゅっと締まるような気がした。

 名を呼ばれた瞬間、フィアはこのウィーゼンの身体に寄り添いたい、腕を回して、すがりたいと思った。

 けれど、フィアは耐えて、その気持ちを微笑みで隠し、「なんだ?」と返事するにとどめた。


「……驚いた。まさかここに、と」

「私が現れるとは思ってなかったか」


 フィアが問うと、ウィーゼンは少し考えたのち、言いにくいことを白状するようなうつむき加減の姿勢で言った。


「今日の昼、食料の仕入れを頼んでるミンダが、若い女の薬草師を連れてきている話が伝わってきた。どこかで期待する自分がいたんだ……。いてもたってもいられず、その薬草師の名前を検問係に確認するため、職務室から階下まで出ようとしたんだ」


 ウィーゼンの言葉にフィアはウィーゼンの方をみる。精悍な横顔がランプに照らされて、陰影を作っていた。

 ゆらめく影をみながら、言葉に聞き入る。

 

「そうしたら稽古試合中の部下に出会い、相手をせざるを得なくて……。だが試合開始前、無人のはずの空き塔に人の気配を感じて目をむけたら、エディといるフィアが見えた。……あとは無我夢中だった。試合を手短に終えて、不自然にならないように抜けて……夢中で塔に駆け上がった。エディがナイフを突きつけてるのがわかったから、制した」

「……投げナイフ、驚いた」

「怖がらせてすまない。……エディは生真面目だ。私の恋人がシーリンの者であるとばれれば、フィアの身が危ういと思った」

「心配かけてしまったんだな」

「心配といえば聞こえはいいが……。結局、俺は、フィアが他の男と二人でいるなんてことそのものが……我慢できなかった」


 静かなウィーゼンの声は、けれどどこか熱を帯びていた。横顔から、こちらに顔を向けた彼と向き合うことになり、二つのまなざしがフィアに向けられる。


「自分の気持ちがごまかせないことがよくわかった。前は……待っていてほしいと願えば、フィアを束縛してしまうと……そういうフィアをがんじからめにしてしまう自分が怖かった……。いま、もうフィアの姿をみて、こらえきれない」


 ウィーゼンの手がゆっくりと伸ばされて、そっとフィアの髪先に触れた。丁寧に指先で梳く。

 それは銀の髪にしてくれたのと同じ、手櫛の手つき。懐かしいウィーゼンの指先だった。


「茶色の髪も似合う」

「……実は自分でも気に入っているんだ」


 フィアがそういうと、ウィーゼンが微笑んだ。だが、笑んでいるのに泣きそうな顔だとフィアは感じた。

 言葉にはならない。けれど、ウィーゼンは、銀の髪を染めさせてしまったと胸を痛めているんだろうと不思議と彼の気持ちが予想できた。

 

「……フィア。危険を承知でここに来てくれたのは、私に会いたかったからだとうぬぼれてもいいか」


 胸が熱くなる。

 髪先に触れられているだけで、肌は合わせていないというのに、ウィーゼンから熱い熱いものを注がれているような気になる。

 その想いに浸って……頷きたかった。一目でも会いたかったんだと叫んで、ウィーゼンに抱き着きたいと思った。

 

 けれど、フィアはそう返事しなかった。


「シーリンとの間が緊迫してるときにすまなかった。」


とだけ落ち着いた声音で言った。

 その落ち着いた声は、もしかしたらウィーゼンには冷えた声に聞こえたのかもしれないと思った。

 けれど、そう思われたとしてもフィアは否定する気はなかった。


「フィア?」


 戸惑ったように問いかけてくる、ウィーゼン。

 フィアはぐっと腹に力をこめ、あえて胸をはるようにして明るい表情をウィーゼンに向けた。


「ここに来たのは……礼を言いたかったからなんだ」

「染粉のか? そんなもの……」

「染粉の礼もあるが……今までの、礼だ」


 フィアはごそごそと自分の荷を解いた。

 そして、今までもらった金袋を出した。そのまま。いくつもいくつもいくつも……。

 最初の出会いの一夜をのぞいて、あとは手つかずの袋。一度、森の池に捨て去ろうとしたものの、人買いたちが来てできなかったもの。


 それらを簡素な机に並べた。


 積まれたこの金袋の数だけ、逢瀬があったということだ――そう思いながら、懐かしく、切なく、苦しく思いながら、「紫龍」だった時代の袋をすべて並べたのだった。



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