23 再会
黒い瞳はフィアを凝視しながらも、その者はエディに向かって再び言葉を発した。
「エディ……その人から離れろ。傷つけるな」
もの凄く怖い形相なのは、ここにいるはずのない自分がいるからだろうか。
フィアはそんなことを思い、黒い瞳を見つめ返す。
傷つけるなと言うが、エディが持つ剣はフィアの身体すれすれにあるが、まだフィアを傷つけてはいない。
傷ついているのは、投げられたナイフによるエディの頬であり腕であった。
「エディ、離れろ」
三度目の言葉が吐かれたとき、呼ばれたエディがため息とも呆れ声ともつかぬ「あーあ」というおかしな声をだした。
緩んだ空気にフィアがエディの方をみれば、エディはさも面白くなさそうな顔で頬の血をぬぐいながら、現れた男――隊長の方を見ていた。
「隊長。やっと来ましたね。ずっと気づいて、ずっとこっちのこと気になっていたくせに……」
「黙れ」
「気が散ってるわりに、ちゃんと勝ちましたから、隊長、さすがですね」
「黙れと言っている」
エディは肩をすくめた。ちょうどその時傷口が 服にあたったのか「いてっ」と呟く。
「部下に投げナイフなんて投げてよこさないでください」
「一般の薬草師の女性にナイフをつきつけておいて意見するな。それですんだのが幸運と思え」
「投げナイフ、この女性に当たったらどうしたんです?」
「……私を誰だと思っている」
フィアは目の前で繰り広げられる会話についてはいけなかったが、ウィーゼンの姿をする男がウィーゼンの声で「私」と言ったとき、胸がチクりと痛んだ。
エディははいはいと言いながら短剣を腰鞘にしまった。それからフィアを見る。
「隊長の命令ですからしまいますが、私はこの女の侵入を許せません」
「その人は、ただミンダについてきた薬草師だ」
「知らぬふりをするつもりですか」
エディの問いに黙り込んだ姿を、フィアは見ていられなかった。
……私が来たのが間違いだったのだろう。
遠くからすこしでも、ちょっとだけでも……そんな思いが、きっと今、ウィーゼン……いや「隊長」を追い詰めているのだ。
私のような女と通じていたということは、任務以外で通じていたということは、それはシーリンとの関係が悪化している今、ただ足をひっぱることでしかないのだから。
塔の小部屋は息苦しい沈黙の中にあった。
沈黙をやぶったのは、
「……隊長、あなたは愚かだ」
という、嘆くような呻きまじりのエディの言葉だった。
「……どうしてこんなことになってるんですか。きちんと始末すればよかったんですよ。気持ちを始末できないのならば、この女を。なぜ……なぜ毒薬ではなく、染粉をわたしてるんですか、あなたは!」
エディがなじるように「隊長」に向かって言った。
それは、先ほどの自分に向かって話しかけていた冷えた声音とはあまりに違う、エディの叫びに思えた。フィアは胸が苦しくなった。
詳しくはわからずとも、話の流れから、エディが上司である隊長……ウィーゼンを信頼し慕っているのを感じる。信頼しているからこそ、自分のような女と通じていたのが許せないのだ。
「情報収集の『餌』に魅入られるなんて、我が部隊なら、新人の見習いでもありえないことだっ」
……餌、あまりに酷い言われようだ。
フィアは内心苦笑しながらも、それほどまでにウィーゼンと自分の立場が違いすぎることを悟った。
だがそのときだった。
あまりに動きが速すぎてフィアにも捉えられない、そんな勢いで、いつのまにかエディがなぎ倒されていた。ウィーゼンによって。
「エディ、訂正しろ。私の愛した人は餌などではない」
ウィーゼンが厳しい口調。エディは一度咳き込んだが、すぐさまウィーゼンを睨んだ。
「……隊長の……ばか、やろ……」
なぎ倒されてどこか痛めたのか、エディが腹を抑えた。だが呻きながらも悪態をつく。
フィアが息をつめてエディと、そして隊長と呼ばれているウィーゼンを見つめる。
「あぁ……私は馬鹿者だ」
エディが立ち上がろうとするのに手をかしながら、ウィーゼンがそう言った。
ウィーゼンがエディの傍にきたせいで、眼差しが先ほどよりも近くに感じ、フィアは息もできなくなった。
「この愛しい人を……一度は手放そうとしてしまったのだから」
……愛しい人。
その言葉に胸が詰まる。
ウィーゼンの眼差しはフィアからそらされず、前に共に過ごしたときのように、いやそれ以上に、熱い瞳がフィアに向けられていた。
離れていったのはウィーゼンだが、それをなじる気持ちなど寸分も生まれてこないぐらいに、熱心で一途な眼差し。
「守れなかったときを恐れ、離れてしまった……こんなに恋しいのに」
フィアは荒れ地のようだった心に、雨が降るのを感じた。
宿屋の息子から暴言、暴力を浴びせられ、疑いと不信にあふれていた。
信じたい信じたいと思いながらも信じ切れず、どこかで嵐の夜に別れを告げたウィーゼンをなじり怒る気持ちがあった。
だが、その荒れ地のようだった心が、今、ウィーゼンの眼差しと言葉で潤っていくのだ。嵐で荒れた海のような想いがすっと凪いでいく。
愛しい人。恋しい人。
この場でそれを言ってくれるのか。
だがそんな思いのフィアの前で、エディは震えるようにして叫んだ。
「……隊長っ! やめてくださいっ! みんな……みんな隊長を信頼し、尊敬してるんですよ。シーリンとの戦いを前にして、隊長への信頼をよりどころにしてる兵士もいるんですよっ!」
ーー……あなたは、そんな女のために全部をむちゃくちゃにするつもりか。
フィアは、嘆きの声をエディから受け取ったきがした。
自分がウィーゼンを信じ好きだと思ったように、隊長としての彼を尊敬し信じている人たちがいる。しかもきっと大勢。想像するだけで胸がキリキリした。
そんな思いが錯綜するなか、ウィーゼンは静かに言った。
「エディ」
「なんですっ」
投げやりな返事をするエディにむかってウィーゼンは言った。
「頼みたいことがある。私にこの人との時間をくれ。きちんと話せるまとまった時間がほしい」
ギリっと歯を食いしばるような歯ぎしりのような音がした。フィアが音のほうを見ると、エディが苦渋の顔で立っていた。
「……私があなたの命令に背かないのを知っていて、あえてそれを願うんですか」
「まだ、砦の中で、この人の正体はエディしか気づいていないだろう? だから、お前に頼んでいる。お前の言うとおり、私は馬鹿者で……強欲だ。私はもう、この人を離したくない」
「勝手にすればいい」
エディが言うと、ウィーゼンが少し首を傾けて薄く笑った。
「……お前の左手首のブラウスの裏の投げ針が、この人を狙い続けているのに?」
ウィーゼンの言葉にフィアは驚きエディの手を見た。フィアからはわからない。
だが、エディが悔しそうに眉をひそめた。
「エディ、この人を狙うな。……お前が私という隊長を失いたくないのであれば」
「……脅しですか」
「私はお前が、命令を違えないこと、承諾した依頼は必ずやり遂げると信頼しているから、こうして頼んでいるんだ。私は、この人と話したいんだ。臆病者の私だったのに、ここまで来てくれたこの人と……話したいんだ。エディ、お前も手練だ、実際わかってるだろう? この人はひっくり返したってシーリンからの間者ではない。私たちを狙うよう放たれた暗殺者でもない。武器より乳鉢や秤がよく似合う薬草師なんだ……頼む。時間をくれ」
時間をくれ。
その言葉は、つまり、いいかえればフィアの命乞いをしてくれているのだとフィアは気づいた。
ウィーゼンは今、エディという部下がフィアにも思いもつかない方法でフィアを始末できる状況であることをわかっていて、それを止めるために、エディに頼んでくれているのだとわかったのだ。
……私が現れてしまったために。部下にまで。
しばらくエディはウィーゼンからも紫龍からも顔をそむけていた。だがウィーゼンもまた沈黙のままで引かなかった。
先に静まり返った空気の中で息をついたのは、エディだった。険しい顔つきのまま、フィアの方を振り向いた。
「あなたは、隊長と話すことがあるのか」
突然問われ、フィアはいまこの時しか機会がないのだと悟り、頷いた。
ウィーゼンの方を見れば、その熱いまなざしとぶつかった。
……もう一度、話す機会が与えられた。
ミンダが言っていた、ちゃんと向かい合って、フィアが決めればいいと。自信をもて、と。
……私は……私はこの機会を逃したらいけないんだ、きっと。
エディは強く目をつむった後、ふたたび大きく息を吐いた。ためたものをすべて吐き出すようなそれに、エディのあまりに複雑な想いがこめられている気がした。
「隊長の希望を……ききましょう」
と言ったのだった。




