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22 副隊長と娼婦

 フィアは唇をかむようにして、うつむいた。背に当たる硬い刃は、身を切っていないのに、エディの言葉が身を切り刻んでくるようだった。


「今、この時に、何をしに来たのです」

「……薬草を売りに……」

「ギーリンランドルが今、シーリンに手を焼いている今、無邪気に恋人の元へ会いに来たんですか?」

「恋人などではない……た、隊長など、知らない……」


 絞り出すようにそう言った。

 すると、背後でエディが息を吐いて笑うのを感じた。

 

「では、シーリンに連なる者として、この砦に潜入するつもりですか? 隊長を手玉にとり骨抜きにして、この砦に現れ……我々に勝つ気でもいるのですか」


 潜入と思わぬ言葉を聞いて、フィアは心底驚いた。

 驚いたが、同時に、なんともいえぬ呆れるような思いが沸き上がった。


 そうか、この砦にいる者にとっては、銀の髪を持つ女が髪を染めて密かにいれば、偵察に来ているように思うのか――。

 ウィーゼンが、雇われ剣士を演じて、銀の髪のシーリンの民のつながりを探っていたように、自分たちも探られていると考えるのか。私こそがウィーゼンをだまし、ウィーゼンから情報を取ろうとしていたように……。

 

 ……なんて、馬鹿らしい。


 でも。

 ウィーゼンが、なぜ私にいろいろ問うことができなかった、知ることが怖かったと言ったのか、今、分かった気がした。

 ウィーゼンもまた……私に騙されているのではないか、その恐れを心のどこかに抱いていのかもしれない。


 好きだと伝えるのが怖かったのは、私だけではなかったのか。


 そう思うと、ウィーゼンが自分に気持ちを伝えてくれたことが、思いを通じ合わせたあの数日がどれだけ貴重だったのかが痛烈に身にしみた。


 本当に宝物のような時間だったのだ。

 本来なら、ウィーゼンと自分は心を交わらせてはいけない者どうしだったのだ。 


 しゃらりと、フィアはわざと腕飾りを小さく鳴らした。

 自分を奮い立たせるために。

 毅然としていられるように。


「……私の答えによっては、その剣で貫くつもりですか?」

「答えによっては即貫きます。私はあの人の部下であり、この砦をあずかる者、危険であるならば、即ここで」


 エディの声は冷静で、それが嘘偽りでないであろうことがよくわかった。

 フィアは背に当てられる剣の硬さに恐れる自分をふるいたたせるようにして、口を開いた。


「……私はただの薬草師です。そして娼婦です」

「娼婦?」


 そのどこか驚きを含んだエディの声音に、ウィーゼンが自分のことを本当に『恋人』だと紹介していたのだとフィアは悟った。本当に、恋人から貰った軟膏としてフィアが渡した薬を使ってくれていたのだ。

 

 ……ウィーゼンが染粉を持ってきてくれたこともすべて、どれだけ無理を押してのことだったか。私を王都に連れていく……そう言ってくれたことが、どれだけ彼が背負うものあってのことだったか。

 今は、ほんの少しだけだがわかる気がした。

 あのあばら家からでて、ミンダと出会い世界が広がった今ならばすこしは想像がつく。


 フィアは思う。

 自分はあのあばら家と身を売る宿とそのまわりの小さい街だけしから知らなかった。

 その世界からすれば王都は夢のようで、そして優しく接してくれるウィーゼンという男は物語にでてくる王子様のようだった。

 憧れて、夢を見た。

 愛されて大事にされることばかりを夢想した。

 さらにひねて素直になれず、同情されてるのだとか、金で買われてるのだとか、卑屈な思いばかりならべていたけれど……。


 じゃあ、私はウィーゼンにどれだけのことをしてあげられたんだろう。

 私が彼にしてあげられたことってなんだろう。


 せいぜい草かぶれに効く軟膏や薬を渡してあげられたくらい。

 でもそれすら、いまこうして私が現れてしまったことで、仲間に敵と通じているのではと疑いをもたれる結果に結びついてしまった。


 それなら私が彼のためにできることは……無関係を示すことだけ。

 

「そう、私は娼婦で春を売って……あの黒髪の兵士にも春を売りました。良い男だったから……草かぶれで困っているのをみて、可哀そうに想えて。良く効く軟膏をあげた。それだけのこと。……恋人からもらっただなんて話してたんですね」


 エディが押し当ててくる刃が、「可哀そうに想えて」と言った瞬間、ぐいっと力が入ったのを感じた。娼婦なんかに同情されたと怒るんだろうか。

 エディは怒るのかもしれない。

 でも、なんとなく……ウィーゼンは人に同情されても可哀想がられても怒らないだろう、そんな気がした。

 『そうだろ、可哀そうだろ、こんなにかゆいんだ』

 卑屈にもならず、プライドが傷つくだとかさわぐこともなく、相手が娼婦だろうが貴族だろうが、私のような少数民族のしかも敵となった国の女であろうが……わけへだてなく、屈託なくわらって、ありがとうと軟膏を受け取るだろう。

 私が誰であろうとも、彼はきっと私を対等の人として扱ってくれる。

 今ならそれがわかる気がした。

 

 ……だから。そういう人だから……。好きになったのだから。

 

「エディ、たしかに貴方の言う通り、私の髪は銀色……。でも、シーリンの民とは到底言えないんです」

「どういう意味だ」

「両親はもしかしたらそこの出身かもしれない、けれど、彼らは幼い私を連れてシーリンを出て、私をギーリンランドルの地の片隅で私を育てた。私はシーリンの言葉も文化もろくに知りはしない」


 ツンと剣が突いた。


「……その話を信じたにせよ、あなたが銀の髪を持ち、シーリンの民の血をひくには変わらないのだろう? そんな女性がここにいることは……」


 低い男の声をさえぎるように、フィアは自ら言った。


「そうですね、私がここにいることは、あの人の、邪魔になりますね。だから、あなたは私をこの砦を守る者として処罰していいと思います……」


 そう笑いを浮かべたときだった。

 

 カンカンカンッ


 高い音がしたかと思うと、フィアの横の壁に何かが連続で当たって落ちた。床に落ちたのは、小さなナイフが三つ。

 エディが投げたのかと思った。だが後ろでエディがくっと息をのむ気配がし、フィアの背に当てられた剣がゆるまる。

 異変に驚き、フィアはぐっと身体をひねって振り返った。

 フィアは目に入ったエディの思わぬ姿に息をのんだ。

 エディの頬にすっと切り傷が入り、服も左側だけが切れていた。だがその傷を目に留めた瞬間、視界に入った存在が信じられず、フィアは目を見開いた。


「エディ、何をしている。その人から離れろ」


 傷ついたエディの体の向こうにある存在が、低く腹に響いてくるような声を発した。

 フィアは自分の身体が全身震えるのを感じた。

 声だけで、こんなに震えてしまう。

 それは恐れではなくーー歓喜の震え。


 フィアの背後で頬に血をにじませるエディの身体のその向こうに、会いたくなくて、でもやはり会いたかった姿がある。


 癖のある髪は短くなれど、前と変わらぬ熱さを宿した黒い瞳がフィアのことを見ていた。


 


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