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21 正体 (差し替え版)

※この「21 正体」ですが、27日0時に投稿時の際に不備がおき、一度、前半部分だけの投稿になってしまいました。追って、後半も足したこちらの「21 正体(差し替え版)」を投稿しなおしました。


 フィアが見下ろす稽古場は、男達の声援と野次に包まれている。

 けれどその喧噪がまったくフィアの耳には入っていなかった。

 息をつめて、フィアはその試合を見つめていた。  


 砂埃をたてながら足を進め腕を回してきた組み付いてきた相手に、ウィーゼンは即座に両手で相手の喉に手を押し当てた。急所だったのか、相手の体勢が後ろにのけぞり気味になる。

 そのまま押し倒すかと思えば、抵抗するように相手は身体をひねり、ウィーゼンに再びしがみつくように腕を回した。

 相手方はそのままウィーゼンを持ち上げようと腰をかがめた。だが瞬時にウィーゼンは相手の足の自らの足を引っかけて足元の支えを崩す。

 地面に背をつきそうになった相手は、また身体をひねり手でとびのこうとしたが、ウィーゼンの方が一手早かった。

 腕を相手の脇下に入れたと思うと、ウィーゼンは相手を一気になげとばした。

 ふっとんだ相手は、背中を地面につき、息はしているようだがしばらく動けないようだった。

 審判らしき者が数をかぞえ、終了なのか、大きな笛を吹いた。

 それとともに、再びヤジと怒声が飛んだ。男達の声が太鼓のように響く。


 素人のフィアにも、ウィーゼンの動きが素早くそして滑らかで、明らかに強いことがわかった。

 あまりの速い決着に、茫然とする。

 試合を終えてウィーゼンは倒れた相手に腕をさしだすと、倒れていた方はそれを支えに起き上がった。互いに肩をたたき合い、健闘をたたえるかのような仕草のあと、二人で陣地の見物席の方へと移動していく。変わりに次の出場者が出てきた。

 フィアの目はそのままウィーゼンを追っていた。

 ウィーゼンは見物席で周囲の兵士たちと話しているようだった。表情までは見えない。けれど、すくなくとも元気そうではあった。

 

 小さく息をつくと、そばで黙ってみていたエディがフィアの背後に立った。 


「決着がつきましたね。どこかに……知り合いでも?」

「え?」

「熱心に見ていますから」

  

 胸がどきっとした。

 けれど、ウィーゼンをもう一度見てフィアは手をひとりぎゅっと握り締めた。


 ――きっとここでは、ウィーゼンという名ではないんだろう。


 そんな風に思った。

 ウィーゼンが先ほど誰かに放り投げた上着をまた着込んでいる。あの濃い色の軍服は上位の者だ。階位章までは見えないけれど、エディが副隊長ならば似たような役職にあるんだろう。


 ――すくなくとも「雇われ剣士」ではない。


 フィアは首を横に振った。


「いえ……もうそろそろミンダのところへ戻らねば」


 そう言って振り返ろうした――……その時。


 ツンと背に当たるものがあった。

 身体を強張らせた瞬間。


「フィア。なんのためにここへ?」


 突如、今までと全く違う、冷えきって抑揚のないエディのことばが耳朶を打つ。

 驚いて、もう一度振り返ろうと身体をひねろうとすると、ぐっと背に当てたものをさらに押し付けられた。


「これ以上動けば、刃であなたの衣服が……ともすれば、その肌が切れますよ」


 ――刃?

 背に当たる硬いものは、剣なのか。

 フィアはあまりの驚きとエディの豹変にさらに身体を強張らせる。

 それでも、「どうして、エディ……」と問わずにいられなかった。

 すると、冴え冴えとした声が背から響いた。


「あなたこそ、なぜこの砦に来たのか。あなたは何のために現れたのです?」


 エディの声があまりに冷たく怖くて、フィアは冷や汗がにじんだ。それでもなんとか応えようとした。


「なんのためにって……薬草を……」


 フィアが答えると、エディは静かに言った。


「薬草を売りにだけ来たと言うのですか」

「そうです」

「信じるとでも?」

 

 鼻で笑われた気がして、フィアが「なぜ、そんな」と思わず反論する。すると、エディが剣をもっていない方の手で、フィアの前に瓶をかざした。


 それは、先ほどフィアがエディに渡した草かぶれに効く軟膏だった。

 

「先ほどの私の草かぶれのためにくださった軟膏。私は、以前、これと同じものを分けてもらったことがあるんですよ」

「これを?」

「そうです。その時も草かぶれによく効きました。助かりましたよ……だからね、分けてくれた人にどこで手に入れたのか尋ねました。だって、あの森の草にかぶれる者は他にもたくさんいますからね。そうすると、隊長は『買ったんじゃなくてな……恋人がくれたんだ』と話しました」

「隊長?」


 意味がわからずたずねると、エディが軟膏の瓶を引っ込めながら言った。 


「そう、先ほどの格闘技の勝者。あなたが、息をするのも忘れて熱い眼差しで見つめていた男ですよ」


 語られた言葉にフィアは瞬きを忘れた。

 ……隊長って……ウィーゼンが?


「格闘技の試合の勝者、あの男は私の上司です。その隊長が、こちらの森の草かぶれによく効く甘い香りの軟膏を分けてくれました。私は地方任務でギーリンランドルの方々をまわりましたが、あの軟膏は見たことがない。でも、あなたは自然に、私に差し出した。しかも、あなたが両親から教わって調合したといってね……」

「……」

「隊長は、あなたからあの軟膏をもらったんでしょうか?」


 口をつぐんでいると、ぐっと剣を押し当てられる。


「質問を変えましょう。あの軟膏を調合できる両親……あなたの出身地はどこです?」


 その問にもフィアは応えられず身体を強張らせたまま黙り続けた。

 するとエディがふっと笑った。


「応えられませんか……? あなたが隊長の”恋人”で、あなたはギーリンランドル出身ではないから、黙り込むんでしょうか?」


 確認するというよりも、追い詰めるようにエディは言葉を並べた。

 フィアはその場に立ち尽くすしかなかった。


「隊長は庶民の女に恋をしたと酒の席で言っていました。シーリンの制圧がうまくいっていたころは、この任務に区切りが見えれば、いったん、その女性を王都に連れ、ゆくゆくは迎えたいとも話していた。けれど、状況が一変し、シーリンがギーリンランドルに抵抗しはじめ戦火が色濃くなったころから、隊長は何も言わなくなった。そうして……雨期の頃、とてもひどい嵐の夜に、数時間だけですけどね、隊長はここを抜け出したんですよ。誰にも告げず――まるで隠れるようにして。嵐の夜、彼はどこにいったんでしょう?」


 返事ができなかった。

 だが、返事ができないことそのものが、エディには答えにうつったのだろう。

 いっそう低い抑揚のない声で話を続けた。


「本来なら隊長の恋人が、どんな女でも大した問題はない。逆にあまりに軍事にかまけすぎて後継ぎを心配されていた方ですから、我々からすれば隊長の恋は朗報といえたんですよ。……相手がギーリンランドル人であれば。せめてギーリンランドルの同盟国の者であるならばね」


 フィアはエディの言葉に、全身を強張らせた。

 エディの言葉は、暗にフィアの姿の真実を知っているのだと知らしめているような気がした。冷ややかに迫ってくる恐怖。 


「隊長はその女の容姿についても出自についても、こちらの問いを無視した。秘したい恋なのだろうとはおもいました。身分違いの恋の可能性があるなぁと、同僚たちと話していました。隊長はなかなかの名家の出身ですからね、身分違いで反対されて結婚に苦労するようなら、隊の仲間の我々で仲立ちして助けようなんて話していたぐらいに、まぁ隊長は慕われていて、隊長の恋は応援されていたんですよ」


 静かにそう語る声が、逆に怖かった。そして、語られる話が胸に痛かった。


「……雨期の嵐の夜、あの人は夜に一度この砦を抜け出した。気付いているのはおそらく私だけでしょう……あの人の不在を取り繕ったのもわたしですからね。隊長の不在に気づいたとき、おそらく、最愛の身分違いの恋人のところに行ったのではないかと私は考えました。それ以外に、彼が今まで最優先してきた”任務”から数時間でも離れる理由が見つからない」


 剣がぐいっと押される。これで引くか押せば、刃がフィアを傷つけることだろう。

 だが刃でなくても、すでにエディの言葉、背後から立ち上る殺気に貫かれたようなフィアだった。


「でもね……考えたのですよ。シーリンとの関係が悪化し、事態がギーリンランドルにとって最悪の方向に進み始めている時になって、嵐の夜にでてゆく相手とはいったいどんな人物なのか。たしかに任務に大きな支障は出ないであろう、夜中の数時間であったとしても、彼が嵐の中を”今”会いにいかねばならない人とはどういう立場の者なのか」


 静かに話す。けれど、そこには副隊長エディの怒りなのか悲しみなのか、疑いなのか底知れぬ思いがにじみでている気がした。


「ギーリンランドル人の恋人であれば、今、会いに行く必要はないのではないでしょう? そして振り返ってみれば……常に任務の渦中にあり「暇なし隊」と言われる私たちが所属する部隊、その隊長を嬉々として務め、あの多忙を極める人が……誰かと恋に落ちる時間があるのか」

「……」

「あるとすれば、”仕事”をしていた時ではないか。そうとなれば……恋の相手は身分違いどころか……我々の部隊が追っていた銀の髪の民の女の可能性があまりに高い、と」


 フィアは背後から殺気のようなぞわりとするものを感じた。エディの声がひときわ凍りついたように思えた。


「あの人は、あろうことか任務の”対象”に恋に落ちてしまったのではないか、と」


 そこでエディは言葉を切った。

 フィアは次に来ることばに身構えるようにして、唇を引き締める。

 しばらくの沈黙のあと、エディは静かに言った。 


「……それでも、信じ難かった。私は自分の予想が間違いであることを祈るような気持ちで、隊長の行動をさかのぼって調べた。そうしたら、見つけてしまった。彼が軍に出入りしている商人を通して、髪の染粉を購入していた証書がでてきてしまった」


 エディの声がフィアの心に染みこんでくる。まさに染粉で染まってゆくように。

 じわじわとエディの冷たさとそしてその中に潜む嘆きなのか悲しみなのか、怒りなのかはっきりとせぬどろりとした感情が、フィアに染みこんでくるようだった。


「彼の髪は黒色……潜入捜査をするにしても、染粉では染まらないのに、なぜか茶に染まる染粉を買っていた」


 しんと室内が静まり返る。本当なら階下の稽古試合の歓声が届いているが、いまフィアの耳に全く入ってきていなかった。


 背後から髪をひと房、手にとられたのがわかった。

 ゆるやかにエディの指が髪を梳く。

 錆び色の髪をさらさらともてあそぶ。

 その優しい手つきが逆に怖い。

 背に冷ややかな汗がにじむ。


「……銀の髪をそめましたか」


 最終通告のようにエディの言葉が耳を打つ。

 次に何が起こるのかと恐怖の中にあったがフィアは答えなかった。答えられなかった。


 髪を染めたことだけがばれて、シーリンの民だとののしられるだけならばよい。

 だけど……今、エディが言っているのは「隊長」とされる男の恋人であるのが、自分であるのではないかと詰問されているのだ。

 隊長の恋人は、今、敵ともいえるシーリンの民の女なのか、と。

  

 ぐっと唇を噛んでだまっていると、エディは小さく息をつき、言葉を変えた。


「隊長の恋人がシーリンの者であったかもしれない……その疑いが濃厚になっているときに、あなたが現れました。あの軟膏を持って。……その驚きがわかりますか、フィア。しかも、隊長の姿をずっと見つめ続けている――熱いまなざしで。もう、言い訳は立たない」

「……」

「一番あってほしくない疑いが確信に変わってしまった」


 疑いと悪い可能性だけだったたものが……フィアが無邪気にエディに渡した軟膏、その香りと使い心地によって、いっきにエディの中で「疑い」が「確信」に変化したのだろう。

 不信な人物が隊長とつながりがあることを、自らが知らせてしまったのだとフィアは気づいた。





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