19 砦
フィアはベルドと別れたのち、台所にむかって歩いていた。
薬師ベルドと会った部屋から、ミンダが料理人といっしょに芋の皮むきをしている台所のある棟へは渡り廊下でつながっている。
夏季らしい、強い陽射しが中庭に照り付けている。
中庭の隅にいくつか薬草になるギジリ草が生えているのが見えた。こんもり茂っていて、あれなら乾燥させればいろいろと使えそうにみえる。
もうすこし近寄って葉の状態をみてみたいと思いつつ、勝手に廊下をでるわけにいかないので、ただ立ち止まってみていた。
次に来るとき、ベルドに頼んでみようか……。
そんなことを考えながら身を乗り出すようにしてみていると、パシャリと水音が微かにした。
振り返って、水音の元を探す。
すると、建物の脇の大木の木陰で、明るい茶色の髪の男が水を張った盥に足をつけて何度もふくらはぎに水をかけている姿が見えた。
服装はこの砦でみかけた軍服らしい制服。だが、そのズボンのすそを惜し気もなく無造作に捲し上げ肌を晒し、足を水につけているのだ。
――たしかに暑いが、昼間から水に足をつけて何をしているんだろう……。
怪訝に思ったとき、バシャバシャという水音に混じり、「……かゆみが引かないとはね……」というため息まじりの呟きが聞こえた。
はっとして、目をこらして剥き出しになったふくらはぎは、赤くただれているようだった。
――あの爛れ方……。ウィーゼンが砦付近にある森の草で地元じゃないものはかぶれてしまう葉があるって言っていた。
ついフィアはその男に声をかけていた。
「あの……草かぶれですか」
フィアの声にさっと顔をあげた男は、すぐに立ち上がり、フィアの姿を頭からつま先までざっと見てきた。険しいまなざしだったが、外見から合点がいったのか、目つきを和らげた。
「あぁ、あなたは、ミンダといらっしゃった薬草師の方ですね?」
「はい。フィアと申します。先ほどまでベルドさんと薬草の話をしていました」
「門兵から連絡が入っていました、ミンダが可愛らしい薬草師の娘さんを連れてきているとね。お会いできて光栄です。申し遅れましたが、私はエドラストといいます。エディとお呼びください」
ウィーゼンよりも細身だが、さすが砦で勤める兵士か何かなのだろう、均整のとれた体つきをしていた。捲し上げられた裾からみえる足も引き締まっている。
そつなく挨拶した男は、フィアと形式的な挨拶をした後、ちょっと砕けた感じで肩をすくめた。
「……さて、こうしてお見苦しい姿をさらし申し訳ない。あなたのおっしゃる通り、草にかぶれましてね。どうもこちらの草は合わなくて。盥の水で冷やしていたのです」
「見せてください」
「あなたも濡れてしまう」
エディは止めたが、あまりに赤く、見るからにかゆそうな爛れ方をしている肌をフィアは見過ごせなかった。
近寄って患部を見る。ウィーゼンが前に困っていたときの症状と同じであることを確認してから、フィアは抱えていた籠から小瓶をとりだした。
「もしよかったらこれを。私が常用しているもので、売りものではないのですが……」
「軟膏?」
その男は不思議そうな顔をする。フィアは蓋を開けて中身を見せた。
「あやしい薬ではありません。こうして塗りのばすとよく効きます」
フィアは指先で瓶の中身をとって、身体に悪いものでないと示すために、自分自身の手の甲に塗って広げてみせた。
ふわりと甘いかおりが漂う。セツの白い花もこの調合には混ざっているのだ。
「この香り……」
男がつぶやいたので「何か?」とたずねると、男はすぐに首を振った。
「……たしかに良く効きそうな香りだと思いまして。ありがたく使わせていただきます」
そう言うと、男はフィアから軟膏を受け取り、自分の足に塗り広げた。
「不思議だ。すっとして、かゆみもおさまってくる」
嬉しそうにエディが言うので、フィアはほっとした。
「治るまでこれを。葉のかぶれに効きますし、かゆみ止めにもなりますから」
「貴重なものでは……」
「そんなことは、まったく。私の親から教えてもらった調合ですが、薬液そのものはどれも手に入れやすい草花からできているので」
残りの瓶を渡すと、エディは「……お言葉にあまえて頂戴します。他にも葉のかぶれで苦しんでいるものがいましてね」と受け取った。
裾を戻し衣服を整えたエディは姿勢を正し、表情をゆるめて目を細めた。
「本当にありがとうございました。あまりにかゆくて、けれど引っ搔いてしまうとそこから腫れてしまうので困っていたのです。このようなよく効く軟膏の配合をご両親から伝授されたとは、ご両親も薬草師でいらっしゃいますか」
「えぇ……。もう亡くなりましたが……」
「そうでしたか。ではあなたは薬草師として一人で切り盛りされているんですね」
頷くと、エディは「お若いのに素晴らしい」と微笑んだ。それから、ちょっと姿勢をかがめて、小柄なフィアをのぞきこむようにして言った。整った顔立ちの優秀そうな軍人に丁寧に扱われて、フィアは少し恥ずかしいような緊張するような心地がした。
そんなフィアの心境を知ってか知らずか、エディは優雅にはなしかける。
「軟膏のお礼を何かさしあげたいのですが……」
「いえそんなつもりで差し上げたわけではないのです」
「ですが……」
エディが納得しかねるという表情をみせたとき、フィアの目に、先ほど見た中庭で茂っていた薬草になる葉が揺れているのがうつった。
「……薬草」
「え?」
「いえ、あの葉。薬草になるんですけど、手入れされず生えているみたいなので……もしあの葉っぱを分けていただけたら」
フィアが言うとエディは目を丸くして、それから吹き出した。
「葉っぱ……ね。あれで良いのですか?」
「はい。葉っぱというか、ギジリっていう名前はあるんですけど」
「ギジリ……名前はじめて知りましたね。あの葉はすごい生命力でね、草抜きしても草抜きしても生えてくるんですよ。砦のあちこちに、生えていますけど、本当にあれでいいんですか?」
「はい……あ、でも踏まれたりしていない、状態が良いものがいいです」
「なるほど。後で持っていかせましょう」
「お手数でなければ……」
恐縮しながらフィアが言うと、エディは「でもね、この軟膏の効き目に比べたら、あの葉では申し訳ない」と言う。
よほどかゆみに困っていたのだろうと思い、フィアはエディに笑いかけた。
「私にはあのギジリで十分。そうだ、この軟膏については、薬師ベルドさんにも、この調合をお伝えしておきましょう」
「……ご両親からの秘伝ではないのですか?」
「まさかそんな」
「私は軍の者として、各地を回っている身ですが、この香りや使い心地は王都でも地方でも出会ったことない初めてものです。あなたのお家に伝わる貴重な配合でしょう?」
エディの問いの内容に、フィアはこの軟膏がギーリンランドルでは作られてこなかった調合の可能性があることに気付いた。
「……あまり王都では使われていない田舎者の調合なのかもしれません。なのでそんな秘伝ではありません……」
そう答えながら、この軟膏の調合は両親から引き継いだもの、もしかしたら両親独自、もしくは……シーリンの調合なのかもしれないと思い当たった。
これ以上深く問われては困ると思い、口をつぐむ。
ちょうどその時だった。
「フィア? どうだい、薬草は売れたかい?」
いい具合にミンダの声が台所の方から響いてきて、フィアは顔をあげる。
「あ……連れを待たせていますので、私はこれで失礼します」
フィアは籠を抱え、その場を立ち去ろうとした。すると、エディはあっさりとフィアの抱える籠を取り上げてしまった。
「私が運びましょう」
「そんな」
「お礼です。あの草も刈り取る時間がいりますしね」
そう言うエディは颯爽と台所の方へと向かう。思わぬかたちでフィアはエディと連れだって行くことになってしまった。
台所に着くと、フィアの横に立つ男の顔をみて、厨房にいた皆が驚いた顔をした。
フィアが皆の表情に怪訝に思ったやさき、ミンダが声をあげた。
「副隊長、どうしたんですかい! こんな厨房まで!」
と駆け寄ってきた。
隣で籠を運んでくれた男が副隊長だと聞いてフィアは驚いてエディの顔を見上げた。
副隊長と呼ばれる人がこんなに若いとは思っていなかったのだ。
びっくりしているフィアのよそに、ミンダはかけよってきながらも、副隊長と呼ばれたエディからフィアを少し引き離すようにし、そっとこちらに目配せしてきた。
どうやらエディが、フィアの好きな男なのかどうかと確認しているようだった。フィアが小さく首を横にふると、わかったというようにミンダはうなづいた。
「私の連れの娘になにかごようですかい、副隊長殿」
ミンダがそう声をかけると、副隊長と呼ばれたエディはちょっと人当たりの良い笑顔を浮かべた。
「ミンダに許しをもらいに」
洗練された身のこなしと、なまりのない綺麗な言葉遣いは、なんとなく上流育ちの雰囲気を感じさせた。
「許し?」
「フィアから軟膏をいただいて、そのおかげでかゆみがおさまったんですよ。とても嬉しくてね。お礼というのも変ですが、砦の中を少し案内したいなと思ったのですが、ミンダのお連れの方だということで、許可をもらいたいと思いましてね」
エディの言葉にフィアは驚く。砦の中を案内してくれるという申し出には、ここに生える草木に興味があるのでありがたい気持ちもある。だがやはり、困る気持ちもあるのだった。
……もしウィーゼンに見つかったらどうしよう。
戸惑うフィアをよそに、エディは「どうでしょう? 砦に生えている草や木も他にも見ることができますよ」とフィアにもたずねてくる。ちらりとミンダの方を見ると、ミンダは「いい機会じゃないか
」と笑顔を向ける。
口にしないが、『フィアの”好きな男”を探せる絶好の機会だよ』というような表情だ。だが、フィアがいろいろ恐れていることを表情から読み取ったのだろう。
まなざしをやわらげミンダがぽんっと肩をたたいた。
「フィア、薬草もちゃんと売れたんだろ? あんたの腕、確かだよ。……自信を持ちな」
エディや他の料理人がいる手前、詳しいことは言わなかったけれど、「自信、持ちな」という最後の言葉は、ウィーゼンという好きな男との再会に怯える自分への叱咤激励に違いないと紫龍は思った。
「砦の中なんて、そうそう歩かせてもらえないしね。しかもこの副隊長と連れ立ってなんて、街も若い娘なら悲鳴あげて喜ぶ子もいるよ? な、副隊長、もてもてだものねえ」
「……ミンダ、よけいなこと言わないでください」
エディの言葉にはははっと声をあげるミンダの屈託のない笑顔、そのあたたかなまなざしを前にしているうちに、フィアはウィーゼンに会ったらどうしようとうじうじ迷っている自分が馬鹿らしくなってきた。
うじうじしているのは……紫龍だったときで十分だ。
――私は薬草師のフィアになったんだ。
フィアは勇気をふりしぼった。
「砦の中、案内していただけるでしょうか」
フィア自身から、エディにそう頼んでいた。
「もちろん」
という返事と、エディの優雅な誘いによって、どきどきしながらもフィアは一歩を踏み出したのだった。




