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17 女店主


 ミンダの食料品店はアドルの街のはずれにあった。


「売り物の野菜を作れるように、畑の近くがよくてね、ここに店を構えたのさ。ちょっと離れたところには、年はとってるが馬もいるよ。幌馬車くらいなら引いてくれるんだ。まぁ街の中だと蹄が傷むから、私がこうして自分で引き車で運ぶんだけどね」


 笑っていいながら、紫龍――フィア――を店舗の奥にある家の中に入れてくれた。

 食事をとったかどうか聞かれ、まだだと答えると、野菜スープとパンを用意してくれた。身体にしみわたる優しい味にほうっとした顔をすると、ミンダが「あんた、緊張してたんだね」と目尻に皺を作って微笑んだ。その顔がなんとなくまぶしくて、フィアは俯いた。


 食後しばらく、ミンダがアドルの街のことなどを話してくれ、フィアも薬草や薬液を売りに来たということを話した。


「薬草か……見ていいかい」


 問われて摘んできた薬草などを見せる。

 ミンダはそれまでのざっくばらんな雰囲気から、ピリッとした真剣な表情になり、薬草や薬液を見つめたり、匂いを嗅いだりした。

 ひととおり確かめると、うなづきながら丁寧に籠に元に戻した。またおおらかな笑顔に戻り、フィアの肩をぽんっと軽くたたいた。


「かなり良いものだ。干し方も保存の仕方もとても良い。アドルの薬草店はいくつか知っているが、これならどこでも高値で取引してくれるだろうよ」


 ミンダの言葉にほっとした。

 そうしてフィアが籠を包みなおしていると、ミンダが何気ないそぶりで


「……フィアは、何歳だい?」


と聞いてきた。

 フィアは胸がどきっとなった。宿屋の店主もミンダもフィアが初めて親に頼まれたお使いで街に来たくらいの年齢と思っているようだった。おそらくフィアも髪型や服装、小柄な体格を利用して十代後半を装ってきたのをそのままとらえてくれているようだった。

 けれど実際はもう二十一となっている。キーリンランドル人の女では、結婚し子どももいるような年齢だ。つまり、世間知らずの娘さんとしては無理がある年齢なのだ。

 どうしよう……戸惑う。

 フィアは宿がわりに部屋に通してくれ、あたたかなスープとパンでもてなしてくれたミンダを、この短時間ですでに親しく思っていて、ここで偽りを言うのが辛いと心が感じたのだ。


 いままで身を売っていたとき、『紫龍』を買う男たちの中では年齢を問うてくるものもいた、会話の流れから、若ければ若いほど興奮するような輩には、わざと年齢を低く偽るときもあった。男たちはただその年齢という数字とその数字を述べた身体に興奮するようだった。

 でも、今、ミンダには偽りを言うのが嫌だった。

 思いこんでくれている年齢を偽ることはできないことはないけれど、やはりそれをするのに抵抗を感じたのだった。


「……二十一」


 フィアは真実を告げた。呆れられるか、不審に思われるか……。

 そう思って俯き加減で座っていると、大きなため息が聞こえた。

 びくりと身体を揺らしてしまう。怒らせたのではないか、そう思った。

 

「やっぱりね」

 

 想像していなかった言葉に、思わず顔をあげると、怒ってるのでもなく呆れてるのでもない、淡々とした表情のミンダがそこにいた。


「見た目はまぁ十代後半って感じだけどねぇ、あんたの瞳や表情は、そんな若い子のものじゃないと思ってたのよ」 

「……あ……す、すまない……いえ、すみません」

「別にあやまってほしいわけじゃないし……そもそも、あんた、言葉があんまり女っぽくはないけど、身体は女であってるのよね?」

「それは、そうです!言葉は、その、父の言葉づかいが強く残ってて……す、すみません」

「だからあやまるのよしなさいって。あんたが二十一であることも、あんたが男っぽい言葉使うことも、なんら他人にあやまるようなことじゃない」


 ぴしゃりと言われて、フィアは、ぴんっと背筋を伸ばした。


「それにしても、二十一……それで、この薬草の種類と量。……フィア自身が薬草師なんだね?」


 問われて、偽らずにうなづいた。


「二級ですが……」

「女だてらに薬草売りで街をまわってるけど、ここには女部屋がある宿がなかったんだね? でもなんでこの街に……まぁ薬草はかなり取り扱いが多いから、アドルを選んだのは良かっただろうけどね」

「薬草の取り扱いが多い?」

「ここの街の道は砦に続いているだろう。今、ギーリンランドルの西の砦に兵士が集まってる。ギーリンランドルと隣国が同盟を結び、西方のシーリンとの間が緊張状態なんだよ」


 砦、シーリンという言葉にドキンと胸が跳ね上がった。


「圧倒的に兵士の数ではこちらが多いし、しかけているのが我が国のほうだからね、戦地はおそらく隣国とシーリンの方になるから、まだこの街は、こんなに表向き呑気でいられているけどね。でも、今後、砦に薬を供給しないといけなくなるだろうから、薬草店や薬師、薬草師、医術師なんかは大忙しになるだろう。戦争ってのは、勝っても負けても戦士は怪我するもんだし、病気は流行るしねぇ。ま、だからあんたの薬草も必ず売れるよ。さっきも言ったけど、品質もいいし……」


 そう言っていたときだった、ミンダが「あ、そうだ」と言った。

  

「ちょうどねぇ、明日は砦に私も野菜と干し肉を運びに行くのさ。砦と取引していてね。さっき言っただろ、幌馬車があるって。あれで行くんだけど、あんたの薬草、直接、砦に売りに行くかい? 砦には砦専属の薬師がいるんだ。そいつが薬草を見分して値をつける。たぶん、街で売るよりも高値がつくし、薬師から必要な薬草の要望を聞けると、今度はそれを摘んで売りに来たらいいから効率がよくなるよ」

「砦……」


 フィアがそういうと、その声が強張って聞こえたのか、ミンダが豪快に笑った。


「砦って言って怖がらなくても大丈夫さ。さっき言ったみたいにシーリンと緊張状態だからといっても、戦地はここじゃない。戦争が始まったらそうはいかないけどね、今はまだ、大丈夫さ。しかも、私が取引している砦に入ってる軍は、なんと王都から来てるみたいでしっかり教育されてて、美丈夫やら逞しいのやら目の保養にもなるし、金払いもいいし、言うことなしさ、どうだい、行くかい?」

 

 ミンダの明るい声に、フィアは固まった。

 砦に行くということに大きな迷いがあった。


 砦に行けば、ウィーゼンがいるかもしれない。

 いや、きっと兵士たちがたくさんいればウィーゼンがどこかにいるなんてわかりはしないものだろう。自分は薬草を交換しにいくのだし……。いや、でも万が一鉢合わせしたら……。


 そこまで考えて、いつのまにか、自分はもう「行く」とう前提で想像を広げていたことに気付いた。


「どうしたフィア。やっぱり怖いかい? 無理にとは言わないよ。ま、ただ、本当にこの薬草たちは、丁寧に摘まれてるし、干し方も具合がいいからね、気難しい砦の薬師も気に入るだろうと思ってね」


 ミンダがそんな風に言ってくれるのを聞いて、フィアは「あ……その。と、砦が怖いということでなく……」と声を上げた。


「どうしたんだい、フィア」

「と、砦で……その、会ってはいけない人に出会ってしまったらと思うと、決めかねただけで……薬草は売りにいきたい気持ちで……」


 うまく説明できずに、ただ、ミンダの提案を拒みたいわけではないことを伝えようと言葉を並べていると、ミンダが首をかしげて問うてきた。


「うん? もしかして男かい?」

 

 その言葉にフィアが一気に頬が火照っていくのを自覚する。


「えっ……あ、男って……あっ」


 フィアがしどろもどろになると、ミンダがニヤリと笑った。


「砦に知り合いがいるんだね? なんだい、昔の恋人か何かかい?」

「恋人とかじゃっ……」

「そうかい、じゃあ、その腕の飾りをくれた人とは違うんだね?」

「え、あっ……こ、これは……」


 ミンダの鋭いことばに、フィアはとっさに右腕の飾りを左手で握った。


「こ、これは……これは、いや、その人から貰ったけれど……あ、でも……」


 ……ウィーゼン。

 ウィーゼンとの関係は恋人とは言えないのかもしれない。

 だけど、売春婦と客という関係だけだったとは自分は思いたくない。そして、今、フィアにこうして新しい一歩をくれている錆び色の髪をくれたのは、そのウィーゼンで。「フィア」という名前をここで使う勇気につながったのも、ウィーゼンのおかげで。

 ウィーゼンはフィアにとって恩人ともいえる人なのだ。


「恋人じゃないけど……でも、大切な人で……ちょっとは好きでいてくれたかも、しれないけど、でも……」


 フィアが腕飾りを握りながらそう言うと、ミンダはくすっと笑った。顔をあげると、あざ笑うのではなく、ゆったりと包み込むような笑みがそこにあった。


「あんた、『でも』ばっかりだねぇ……」


 そう言いながらも、ぽんぽんと肩を優しくたたいてくれた。


「無理して話さなくていいけど……話していいなら、言ってごらん。その男のこと、フィアはどう思ってたんだい?」

「私?」

「そうだ、フィアがどう思ってたか、だよ」

「私……私は……」


 ウィーゼン。

 ちょっと長めの癖っけの黒髪。伸びすぎたときは、後ろでくくっていたことすらあった。逞しい身体つき、でもその肌はいろんな傷跡が残っていた。

 剣のふるう音は、七日間一緒にいたときの朝稽古の時だけだった。でも、きっとあんな大剣を簡単にふるうくらいだから、きっと手練れに違いない。

 優しい男だ。触れ方も接し方も。そして、あんなに砕けた感じであけっぴろげな雰囲気だったのに、本当は小さなことにもよく気付く人だった。雨漏りにも、立て付けの悪い扉にも。すこし傾いた戸棚にも。

 気づいて、それを黙ってなおしてくれる人だった。

 一緒にいて、いつもあたたかだった。熱いくらいに情熱的なまなざしをむけてくるのに、甘い言葉はあまり言いはしなかった。


「私は……好きだった。好きだったし……今もまだ、会えば好きだと思ってしまうし、何かを言われたら信じてしまう」

「そうかい」 

「……身体からのつきあいだったんだ……。王都に連れていってくれるって話もあって……でも、そのシーリンとの戦いだとか忙しくなったんだろう、無理になったみたいで、別れた」

  

 彼が斥候だったとか、そういう話はせずにそれだけを伝えた。

 ミンダはうなづきながら聞いてくれる。


「わ、私は、身寄りもないし……貧しいし……きっとあの人は私を哀れに思ってくれてたんだろう……でも」


 腕飾りをさする。大きな紫の石は奪われてしまった。でも、その贈ってくれたときの驚きと、その後の抱擁と、俺を忘れるなという彼の思いをのせた言葉が奪われたわけではない。

 こんなにも、ウィーゼンは自分に与えてくれたのだから。

 自分は何も与えられなかったのに。

 苦しい……。だけど。


「でも、私は彼のそばに……そばにいられたらそれで良かった」


 心の底にある願いは、ただそれだけだった。



 ****



 聞き上手なミンダは、布団を敷いたあとも、眠りにつくまでフィアの話を聞いてくれた。びっくりするぐらい、自分の口からいろんな言葉がでてきて、だれかに聞いて欲しかったのだということがフィアは自覚した。「だれか」がいなかったから、こんなに自分はためこんでいたのだ。


 思わぬ出会いから、行くつもりのなかった砦に行くことになり、興奮にあって目が冴えていたが、さすがに森を走り抜けてきた疲れか、瞼が落ちてくるとはやかった。

 ミンダが「ゆっくりおやすみ」そう声をかけてくれるのが遠くに聞こえた。夏の暑さをしのぐためなのか、扇子でゆっくりと風を送ってくれるのを感じたまま、フィアはしゃべりつかれた眠った。


 朝起きて、支度するときに、ミンダはフィアの底が擦り切れた靴を見て呆れた顔をした。


「あんた、こんな靴で……昨晩も、この靴であるいて引き車を一緒に引いてくれたのかい」


と息をついた。そうして、「たしか前にもらったやつがあったはずだ」といって倉庫から、新しい靴を取り出して渡してくれる。お代をというと、ミンダは首を横に振った。


「もらった靴だけど、私には小さかったから」


 そう言って、フィアの手にわたしてくれた。

 幌馬車で、ミンダは手綱をとり、フィアはその隣に座る。ガタガタゆれる道を早朝に出発した。


「老いぼれ馬だからね、ちょっと時間がかかるが、昼までには着くよ」


 そう言いながら出発した。

 暑さが厳しいので、馬に休憩を入れながらも進む。

 砦が近づくにつれて、フィアはウィーゼンと鉢合わせしてしまうかと思うと身が強張って、ミンダとの会話の返事も硬くなっていってしまった。

 そんな様子から察するものがあったのか、ミンダは言った。

 

「砦にいるかもしれないっていう、フィアの男の話だけどねぇ……。聞いてると、あんたは自分に自信がないみたいだ。だから男から愛されることで、自信をつけたいんだろうね」


 びっくりした。


「自信がないから……愛されたがってる……? 愛されることで、自信をつける?」


 意味がわかるようでわからなくて、思わず問い返す。

 ガタゴトとゆれる馬車の中、その振動でミンダの声を聞き漏らしてしまうことがないように、フィアはじっとミンダの言葉に耳を澄ませた。

 フィアが真剣に話を聞いているのを感じたのだろう。ミンダは馬の手綱をうまくあやつりつつ、フィアに聞こえるようにしっかりとした口ぶりで言った。


「そうさ。愛されていたら、この男に愛されるだけの自分なんだって、思えるだろう? それでようやく自信がちょっともてる。……逆に言えば、そうだねぇ、たとえば同情で可哀そうな女だから会いにきてやるって、もし思われてたとしたら自信を無くしちまわないかい」


 思わずうなづく。

 近いところでいえば、ウィーゼンが自分を金で買ってくれてると思えばおもうほど、自分に価値が無い気がした。お金が払われているのだから、「お金」の価値があると考えてもいいようなものなのに、自分はそうは思えなかった。金額が高ければ高いほどむなしかったのだ。


「でもねぇ、はっきり言えば、同情もある程度あって仕方ないんじゃないかい? だってはっきり言って、貧しいし不遇だし……。そんな娘っ子を前にして、同情せずに何から始まるってんだい」


 あまりにはっきりしたミンダの物言いに、フィアはびっくりして返事ができなかった。


「そうやって心を動かすことができるほど、優しさを失ってない兵士だったんだろうさ。それよりにね、フィア。もしあんたが、その男を好きなら、そのきっかけをみすみす捨てるんじゃないよって思うねえ。最初は向こうとしては、同情だったかもしれない。だけど、手放せない女になるのさ」

「手放せない女?」

「そうだ。人との出会いは天からのお恵みさ。誰が誰とどう出会うかなんて、わかりゃしない。後は、その出会いをどう生かすかだろう? 出会いによっちゃ逃げて手放した方がいい出会いもある、向こうが逃げようったって、しがみついて追いかけるそんな出会いもあるかもしれない。最初は向こうがその気にならなかった出会いだとしても、こっちの生かし方によっちゃ、向こうさんに火がついて追っかけるのは向こう、逃げるのはこっちってことにもなるんだよ」


 フィアはミンダが語る言葉が、あまりに自分の予想外だったのでただただミンダの横顔をみていた。

 前をキリッとむいて馬車を引く馬の手綱をあやつるミンダ。白髪が混じり、皺があり、シミもある頬は、それでもなにかゆるぎない強さとたくましさと、大地に根をはって葉をしげらす大樹のようなうつくしさがあった。

 

「出会い……天からの恵み……」

「そうだ。たとえば雨が降る。雨の恵み。でも、その雨水は野菜を育てる慈雨になる場合もあれば、大水となって畑を押し流してしまうこともある。雨を受け取るものが、その水をどう受け止めてゆくか……野菜はそこから動けないがねぇ……人は考えて動くことができるよ」

「私は……考えて動けるだろうか」

「あのねぇ、フィア。そんな自信がない顔をしてないで。あんたと会ったのは、昨晩。私は最初、あんたは不審な女だなって思ったよ。でも、しばらく過ごしてね、あんたはちょっと取り繕うってことができない年齢の割に要領悪いとこがあるけど、一生懸命で良い子だなと伝わってきたよ。あんたは、きっとあの靴底みたいにすり減らして、すり減ってるのに無理やり生きてきたんだろう……でもそれは恥じゃない」

「ミンダ」

「あんた自身がちゃんとその剣士さんを魅了する良い女になって、支えるなり、共に戦うなり、ぞんぶんに愛されるなりすればいいのさ。きっかけにうじうじしてたら、せっかくの機会も逃がしちまうよ。王都にもさ、連れてってもらうって考えじゃなくて、ついてってやるとか、私が連れていってやるってくらいの意識になりな」


 びっくりした。

 私から……ついていく。さらに、連れて行く?

 私が?


「それでさ、それくらい強い気持ちで再会して。あぁやっぱり、この男はやめておこうって思ったなら、やめていいんだよ。いい男はいっぱいいるさ。そして、男無しでも、人生は楽しめるさ!」


 ミンダはそう豪快に笑うと、バンバンと励ますようにフィアの背を叩いたのだった。



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