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15 錆び色

 紫龍は染粉を湯に溶かして泥状になったものを髪に塗りこめて、時間をかけて丁寧に髪を染めた。

 乾かすと、自分の指を通ってゆく髪が銀ではなく鉄錆のような茶色になっていた。指をすりぬけていく感触はそう悪くない。

 鏡をのぞきこむと、そこには見たことがない女がいて、紫龍は苦笑した。錆色の茶髪はなかなか良い色あいなのだが、眉は地毛なので不自然だったのだ。

 紫龍は、髪の色にあわせて眉も化粧で色をそろえてみる。化粧など、夜の街に立つときに使うだけのものでどこか投げやりに使っていたが、今は自分を変えていく道具のようで、化粧もまた丁寧に施してみた。

 髪と肌と眉やまつ毛の色が自然になじむように、眉墨を入れ、それでも不自然なのを隠すために、伸ばしていた前髪を眉が隠れるくらいに切りそろえ、髪型も全体的に編み込んで雰囲気が変わるように仕立ててみた。

 いろいろと試し、今よりも少し年下に見える村娘が鏡の中に仕上がった。

 納得がいくと、紫龍はその髪型に合うように、服も少し手を入れることにした。

 髪色と髪型の変化で若返った外見に合うように、ふんわりめのスカートになるようにギャザーを入れる。もともと痩せて小柄だったせいもあるのだろうが、全体的に十代後半の成長途中の娘のような姿になった。

 

「どこに行こうか……。あぁ、でもその前に路銀になるものを蓄えなければ」

 

 宿屋の息子がもしかしたらこのあばら家に来るかもしれない……その恐れはあったが、何もなしでここを離れてもすぐにまた身を売る暮らしに逆戻りになってしまう。

 紫龍は準備として五日余裕をもたせて、森で薬草を集めておくことに決めた。ウィーゼンが去ってからまともに食事しておらず、体力も落ちている。数日で食事をして整えておこうと算段する。

 

 ……できるだけ、やってみよう。


 紫龍は、両親からもらった薬草辞典とウィーゼンからもらったサークレットの破片を丁寧に抱きしめた。



 ****



 真剣に薬草を探し、干せるものは天日に干し、煮出せるものは煮出してと薬草に真剣にとりかかっていると四日があっという間に過ぎた。

 薬草摘みには、重かったが薬草辞典を全部持ち出した。葉をひとつひとつ調べながら丁寧に摘み取った。路銀にかえていくつもりなので、出来るだけ質の良いものを念入りに探したかったのだ。

 

 明日は出立で干す日数がないので、前日の今日は酒に漬け込んで薬草酒にできる草を選んだ。

 そして今日は、薬草摘み帰ってくるまえに、紫龍は森の奥の池に寄った。

 薬草辞典と薬草が入った籠は脇に置き、別の大きな籠を両手で持ち、池の淵に立つ。

 ずっしりと重いその籠には、いくつも袋が入っていた。ウィーゼンが今まで紫龍の前に積んできた、お金だった。

 手つかずのままたまってきた金袋……紫龍が「買われた」証し。

 ウィーゼンは買ったつもりではなく、紫龍の暮らしに役に立てばと思い高額が入った金袋を置いていってくれたらしい。その気持ちも、嘘ではなかったのだと、思いたい。

 だけど、やはり、ウィーゼンと自分の居場所の違いなのだと思った。身分の違いのようなもの。


 紫龍は、この今まで積まれてきた金袋を、出立の前に池に沈めてしまおうと思い、池に寄ったのだった。


 もしこの金袋を持っていけば、きっとこの先どんどん生活が苦しくなったときに使ってしまうだろう。自分は、きっとウィーゼンが払った金に頼るだろう……そんな気がした。

 でも、そうして使ってしまったら、完全に自分がウィーゼンに買われたことになってしまう気がした。

 まだ紫龍の中では、割り切れていないのだ。

 ウィーゼンのことが恋しい気持ちと、結局離れていってしまったことへの悲しみ。彼の隠されていた仕事……立場。

 同時に、いろいろな思いがあっても、それでも数日間過ごした甘い時間は、やはり宝物だとかんじる心。

 ウィーゼンに会いたいと純粋に願う心と、悔しいようなやりきれないようなもやもやした気持ち。

 ないまぜになった割り切れないものが、この金袋のような気がした。

 

 ウィーゼンからもらったサークレット、宿屋の息子に壊されはしたが、あの綺麗な飾りが純粋なウィーゼンとの恋心だとすれば、この金袋は欲と葛藤が混じったものに思えた。

 ずしりとくる袋。それもいくつもの数がある。


 金を沈めてしまえばすっきりするのではないかと思った。

 純粋にサークレットの飾りだけを「思い出」として、綺麗なところだけを、懐かしく思い返せるのではないかと。

 けれど、逆に、沈めてしまえば、もう本当に自分とウィーゼンとのつながりは消える。そして、やはり人間として、これほどの金貨や銀貨、銅貨を水に沈めてしまうことへの戸惑いも少しあった。

 綺麗なだけではない自分。でも、欲にまみれたくない自分……。

 たくさんの想い。


 ずっと籠を抱えるようにして、池を眺めていたが、紫龍はとうとうその籠を持ち上げて投げ入れる姿勢を取った。


 ……でも、断ち切るには、手放すのが一番だからっ


 思い切って投げ入れようとした時だった。


 紫龍の耳が、男たちの話声を捕えた。下卑た笑い声も混ざり、良くない何かを感じ、とっさに紫龍は籠を抱えたまま木々と茂みの合間に身を隠した。

 息をつめるようにして身をかがめていると、池のはたの道を複数の男達が通っていくのが葉のあいまから見えた。

 紫龍は籠を抱えたまま眉を寄せた。

 男たちが歩いてきたのは、紫龍のあばら家の方向からだったのだ。

 嫌な予感がして、紫龍は、男達と距離を保ちながらも聞き耳をたてて様子を探った。


「……出払っちまってるようですがね、食いものがそのままありましたから、じきに戻ってくるでしょう」

「本当にあのあばら家に銀の髪の女がいるんだな」

「いますよ……いやあね、わしらの村も扱いにこまってたんです」


 やはり紫龍のあばら家から戻ってきた男達のようだった。

 紫龍の記憶が正しければ、ひとりは村の長である老人の声だった。葉のすきまからのぞくと、その長らしき人と、いやに身なりだけが派手で立派な中年の小太りの男が歩きながら話していた。その斜め後ろに、年よりが一人付き添っているのも見えた。

 その年寄りは、見覚えがあった。何度か薬を頼みに来ていたからだ。その年寄りが村の長に話しかける。


「でも、長よ……あの女がいなくなったら、わし等の薬はどうするんだ……あの女の薬はよく効いたんじゃが……」

「老いぼれはだまってろ!」


 村の長の怒鳴り声が耳に響いた。

 だが、すぐに声色が気持ち悪いくらいに高くなり、派手な身なりの小太りの男の方を向く。


「あぁ失礼しました。いやあね、その女、少々薬草を扱えるんでね、わしらも薬で便利にしていたんですよ ははは」


 紫龍は眉を寄せた。

 自分が戻るのを待たれているが、それはまったく良いことで待っているのではないのはよくわかったからだ。


「それにしても、あいつなかなか戻ってきませんで……お待たせしてすみません。あの家にも村の者を張らせておきますし、数人に探しにも行かせますから、あなた様はどうぞ我が家でご休憩を」

「あぁ、そうさせてもらおう。とはいえ、ことを荒立て勘付かれて逃げられては困るから気をつけろよ。これから銀の髪の女は、売れるからな。逃げられちゃ困る。顔や身体にも傷をつけるなよ」

「もちろんですとも。まぁ薬草を売るだけでは足りず、身を売っていた女ですからねぇ、無傷とはいえませんけどな」

「外見に傷がなければいいんだよ。結果的に軍人は敵国の女ってのは、ぼろぼろに扱うんだからなぁ」

「そういうもんですかい」

「そうさ。そんなに敵国の女の外見を嫌悪するんなら買わなきゃいいのに、不思議と人気がでる。戦況では負けてるから、床の中だけでも制圧したいのかねぇ」

 

 下卑た笑いが漏れる。唾棄したいような気分になりながらも、じっと紫龍は耳を澄ませた。


「ま、どっちにせよ、綺麗な銀髪の若い女とくれば、荒れた戦士から、注文がひっきりなしだろう。人買いにとっちゃ、戦いは本当にありがたいものだよ。人の命が軽くなればなるほど、商品が簡単に手にはいる」


 気取って首元のリボンをピンっといじる男は、そんなことを言いながら紫龍が隠れる茂みの少しさきの道を去っていった。

 男たちのここに来た目的がわかったいじょう、追いかける意味はなかった。

 

 男の言葉で、紫龍は合点がいった。 

 人買い……つまり、自分は村の者に売られたのか。

 売るもなにも、自分が「村の者」だったつもりもないが――とにかく、売られたのだ。

 この気取った男が自分をひっとらえていく者なのだ。明らかに自分の身はぼろぼろにされるに違いないと予想ができた。

  

 逃げねば……。


 紫龍は、今の自分の姿と持ち物をさっと確認した。

 染め粉で茶色になった髪、村娘のような普段着。いつ宿屋の息子があらわれるかわからないため、染粉と種の入った皮袋は紐をぬいつけて首からさげて服の下に隠し、いつも肌身はなさず持っていた。  また、薬草摘みをするために、ちょうど親から受け継いだ薬草の本と辞典は手元の籠の中にある。

 ウィーゼンからもらって宿屋の息子に壊されたサークレットは残った鎖と石をつなげて腕飾りにした。


 あと、本当にたまたまだがウィーゼンから今まで積まれてきた金袋がすべてこの手元にある。池に投げ入れるべきか迷っていたが……、今はとにかくこれも抱えて逃げよう。

 ここ数日衣服と保存食を作りだめしていたが、それはもったいないが置いておくしかなさそうだ。家に戻って、もし人買いに見つかってしまえば、もう二度と自由を得る可能性はない。

 紫龍は思い切って、その場を後にした。


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